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上毛電気鉄道上毛線
上毛電気鉄道の鉄道路線 ウィキペディアから
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上毛線(じょうもうせん)は、群馬県前橋市の中央前橋駅と同県桐生市の西桐生駅を結ぶ、上毛電気鉄道の鉄道路線である。
赤城山南麓を東西に横断する線形で、赤城山系が一望でき、桐生市内では渡良瀬川を渡る。沿線途中はおおむね小規模の町や農業地帯である。主力は朝夕の高校生通学輸送である。
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路線データ
駅
→駅の一覧は「#駅一覧」の節を参照
近年、補助金の交付などにより体質改善が図られ、各駅の改修工事や、中央前橋駅、赤城駅、粕川駅の駅舎改築が実施され、2006年にはわたらせ渓谷鐵道運動公園駅近くに桐生球場前駅が新設された。上毛線は開業当初から跨線橋のない地平ホームのみの路線であったため、ホームの嵩上げ工事だけでバリアフリー化もスムーズに進んだ。なお、大胡・赤城の変電所施設も冷房車導入のために改良・増強されている。
西桐生駅は開業当時からの駅舎で、マンサード屋根をもつ洋風建築の建物となっており、登録有形文化財・県近代化遺産に登録され、関東の駅百選にも選定されている。また、同駅ホーム上屋も登録有形文化財に登録されている。
大胡駅駅舎は、併設の電車庫・変電所・受電鉄塔・避雷鉄塔とともに登録有形文化財・県近代化遺産に登録されている。
中央前橋駅には1970年代初頭に建てられた駅ビルの上電プラザビル(自社ビル)があったが、テナントが相次いで撤退して荒廃が進み、最終的には建物の老朽化を理由に解体された。2000年に開放的な雰囲気のガラス張りの駅本屋に建て替えられたため、かつての面影は全くないが、ホーム部分は改装に留まったため、改築以前の雰囲気を色濃く残している。新設された駅舎は、大きくなった売店や自動販売機、各種パンフレット置き場、待合室が設置され、グッズの販売も行われている。
丸山下駅を除く1面1線の駅では、冬季の北から吹く季節風(赤城颪)を避けるため、北を背にしてホーム及び待合所を置いている。
他社線との接続
近接した路線があるにもかかわらず、他社線と直接接続しているのは東武鉄道桐生線と接続する赤城駅のみである。直接接続していないが徒歩で連絡できる駅は中央前橋、赤城(わたらせ渓谷鐵道大間々駅)、桐生球場前、西桐生の4駅。大胡駅や新里駅など他社によるバス・乗合タクシーの運行も行われている。
- 中央前橋駅 - JR前橋駅とは約1キロメートル離れており、徒歩で15分前後かかる。日中はかつて自社バスが連絡輸送していたが、1996年9月から日本中央バスによるレトロ調の連絡バスが上毛線と同じ30分間隔で運行されており、中央前橋駅での接続もよい(運賃・100円。ぐんネットも使用可)。
- 西桐生駅 - 桐生駅は徒歩5分程度で乗り換えは比較的容易である。駅こそ離れているもの、かつては連絡運輸扱いも行っていた。
- 桐生球場前駅 - わたらせ渓谷鐵道運動公園駅へ徒歩5分弱で連絡。
- 赤城駅 - わたらせ渓谷鐵道大間々駅が約1キロメートルの距離にあり、徒歩15分程度で連絡。
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凡例 出典:[2] |
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歴史
要約
視点
群馬県の県庁所在地である前橋市と、県東部の主要都市・桐生市(1921年市制)は明治時代から生糸・織物産地として発展してきたが、明治時代中期に両毛鉄道の手で建設された国鉄両毛線は、やはり織物産業の要地である伊勢崎をもカバーするため、前橋 - 桐生間で南方平野部へ迂回して敷設された。より北方にあたる赤城山南麓の農村地域は絹糸産業を支える養蚕地帯であったが交通は不便で、主要都市への交通の近代化が求められ、大正時代中期以降、電気鉄道建設の計画が複数の方面から立案された。
先行したのは「東毛電気軌道」である。1919年、勢多郡粕川村(現・前橋市粕川町)の資産家の出で当時早稲田大学学生であった田島丑太郎が、郷里の開発のため、前橋 - 桐生間を結ぶ既存県道に近いルートでの軽便鉄道建設を発案し、同じく群馬県出身の早大生らと研究を始めた。田島は既に開通していた足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)大間々駅と、当時建設中(1920年開業)であった上越南線群馬総社駅間を結ぶ路線を企画、前橋に拠点を置く上毛新聞社からの人脈を通じて前橋市長ら沿線有力者の支持を得、電車による前橋 - 桐生直結を目標として1922年末までに「東毛電気軌道」建設計画の主立った発起者を集めていた。
これに続いたのが1920年頃から立ち上がった「上毛電気鉄道」計画である。地元電力会社の群馬電力(当時は大手電力・東邦電力系。1925年に早川電力と合併して旧・東京電力となり、のち東京電灯に合併)専務・小倉鎮之助と、同社土木課長・上倉俊が、自社電力を利用し、絹糸に代表される繊維産業が隆盛しながら鉄道交通の希薄な群馬県南部・埼玉県北部を合計100 km以上にも及ぶ電気鉄道網で結ぶことを計画したもので、東毛電軌よりも格段にスケールの大きな内容であった。こちらも群馬県知事などの協力を得て発起者を集めた。
東毛電軌は、当初電力供給を大手電力会社の東京電灯に打診したが、東京電灯は当時、群馬電力の親会社である東邦電力と激烈な競合関係にあった。前橋 - 桐生間電車線が二者競願見込み(かつ、その一者は自社の対立企業系)であったためか、東京電灯の回答は保留され、東毛電軌は1923年1月に予定していた最初の発起人会を開けなかった。上毛電気鉄道側もほぼ同様な趣旨の計画で地元競合するのは本意でなく、両グループ発起人団は同年2月5日の協議で合同を決議、2月25日に「上毛電気鉄道」合同発起人団が正式結成された。この名称は1926年に設立された会社名に継承される。
1924年6月7日付で第一期建設区間である前橋-桐生間および大胡 - 伊勢崎 - 本庄間の建設免許[3]が下りたが、大胡-伊勢崎-本庄に至る区間の建設は不況期に入り、実現しなかった[4]。これについては「上毛電気鉄道#過去にあった路線計画」を参照。
前橋-桐生間は国鉄と接続せず、ターミナルは両市の繁華街に近い立地で設置された。電力会社や沿線からの資金調達により、1928年(昭和3年)2月着工、非常なハイペースで建設され、難工事であった渡良瀬川橋梁も10月に竣工、11月には全線開通した。当初から1500Vの高圧直流を用いるなど、地方私鉄としては意欲的な投資が為されている。
開業当初は片道45銭の運賃こそ並行する両毛線と互角であったが、距離の短さと電車運転の威力で所要時間は若干短く、運行頻度は2倍以上で、両毛線から前橋 - 桐生直通客を奪取した。電気機関車は保有しなかったが、電車による貨車牽引や電車への貨物搭載で貨物輸送もおこない、沿線からの産品輸送に利用された。電車車内を半分に仕切って絹糸輸送に充てたこともあったという。当初孤立路線であったが、1932年に東武鉄道が桐生線を新大間々駅(現・赤城駅)へ延長して接続した(開業時の電車は足尾線大間々駅から新大間々駅へ臨時の渡り線を敷設して搬入した)。
戦後に至るまで地域の主要な交通機関として利用されてきたが、1960年代に入り急速に進展した農村部のモータリゼーションにより通学客以外の利用が減少、利用者数は1965年をピークとして減少の一途を辿り、1968年9月の両毛線全線電化で前橋-桐生間での直通優位性も低下した。以後は慢性的な赤字経営が続いており、「群馬型上下分離」[注釈 1]と呼ばれるスキームの導入など沿線自治体による支援、筆頭株主である東武鉄道からの支援も行われているが[5]、少子・高齢化などにより情勢は依然として厳しい。
現在、他社線との直通運転は無いが、かつて東武鉄道からの乗り入れ列車が運行されたことがある。戦前の東武桐生線全通時の短期間のほか、浅草駅から中央前橋駅までの夜行直通列車が1953年から1960年まで、同じく浅草駅からの急行列車が日中に1956年から1963年まで存在した。もっとも前橋と東京の間は国鉄高崎線経由の方がはるかに速く、赤城から中央前橋まで直通急行に通しで乗る客も少なかった。大胡から先は客が皆無で乗務員しか乗っていない事態も生じ、その場合には中央前橋まで行かず、本社指令に連絡して三俣駅にあった側線に留置することもあった。このような状態のため、幾度かの乗り入れは長続きせずに終わっている。なお東武車の一部は高性能車で電力消費が多く、上毛線では電圧降下を起こして他の列車の運行に支障が出ることもあり、また高速・高加速で、当時の低規格な上毛線ではかえって運転しづらかったという。
年表
- 1924年(大正13年)6月7日 鉄道免許状下付(前橋市-桐生市間、勢多郡大胡町-児玉郡本庄町間)[3]
- 1928年(昭和3年)11月10日 中央前橋 - 西桐生間が開業[6]。
- 1932年(昭和7年)3月18日 東武鉄道桐生線が開業、太田 - 中央前橋間に直通列車運転開始。
- 1933年(昭和8年)12月18日 赤坂駅開業。
- 1934年(昭和9年)11月24日 鉄道免許失效並起業廢止許可(大胡-本庄間)[4]
- 1935年(昭和10年)12月1日 東武鉄道が太田 - 中央前橋間の直通運転廃止。
- 1938年(昭和13年)3月10日 天王宿駅開業。
- 1939年(昭和14年)7月11日 北原駅開業。
- 1947年(昭和22年)9月15日 カスリーン台風被災により全線不通。9月26日以降区間復旧、全線運転再開は11月2日であった。
- 1948年(昭和23年)5月1日 武井駅を移転し、新里駅に改称。
- 1953年(昭和28年)1月5日 東武鉄道が浅草 - 中央前橋間に不定期列車「赤城夜行」を週末に運転開始。
- 1956年(昭和31年)12月22日 東武鉄道が浅草 - 中央前橋間直通の急行列車を運転開始。
- 1958年(昭和33年)11月1日 新大間々駅を赤城駅に改称。
- 1960年(昭和35年)4月1日 「赤城夜行」廃止。
- 1963年(昭和38年)2月23日 浅草 - 中央前橋間直通の急行列車廃止。
- 1965年(昭和40年)9月8日 赤坂 - 江木間に前橋病院前信号所開設。桃ノ木川河川改修により上泉駅を現在地に移転、新築。
- 上泉駅は開業時は現在の位置より5mほど北側にあり、隣接して上毛電鉄直営の誘客施設「竹の花プール」も昭和初期から営業されていたが(営業は夏期のみ)、駅移転に先立ち廃止された。桃ノ木川の河水を直接引き込んだ原始的施設だったため、衛生規準の問題なども伴って廃止されたものである。
- 1986年(昭和61年)11月1日 貨物営業廃止。
- 1993年(平成5年)10月19日 東新川駅開業[7]。
- 1994年(平成6年)4月10日 前橋病院前信号所を駅に変更し循環器病センター駅開業[7]。一毛町駅を城東駅に改称[7]。
- 1999年(平成11年)6月1日 ワンマン運転開始。
- 2001年(平成13年)6月1日 循環器病センター駅を、施設名改称に伴い、心臓血管センター駅に改称。
- 2006年(平成18年)10月1日 赤城 - 天王宿間に桐生球場前駅開業。
- 2025年(令和7年)冬 ICカードを導入(予定)[8][9]。
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使用車両
開業時からの車両の変遷は大まかに、自社発注車→他私鉄からの譲渡車(およびその車体更新車)・国鉄払下車→西武譲渡車→東武譲渡車→京王譲渡車(ワンマン運転改造)と推移している。1950年代までは在籍車両がきわめて雑多だったが、1960年代には西武建設所沢工場での車体更新車によって一定の体質改善が図られ、さらに1977年(昭和52年)以降は西武鉄道からの譲渡車導入で、主力車両の形式統一を実現した。
1998年(平成10年)から700型が営業運転に使用されている。この700型導入によって上毛線の車両は大幅に近代化された。開業当時から在籍するデハ100型101は営業用として車籍を有しており、整備状態も良く、臨時列車[10]・貸切列車[11]や、バラスト散布の臨時貨物列車牽引などに使われている。
なお2018(平成30)年度以降、700型の代替として、開業翌年に落成したデカ10型以来89年ぶりとなる自社発注車の導入が計画されていた[12]が、上毛電鉄の提示した条件で受注可能なメーカーが不在であるため、2023年(令和5年)度以降に延期される事となった[13]。その後、2023年に策定された「第6期上毛線再生基本方針」[14]では、自社発注車ではなく東京メトロの中古車両を譲受する計画に変更されている[5][15]。
2024年(令和6年)2月29日、東京メトロの中古車である800形が営業運転を開始した[16][17]。
上毛電鉄の電車形式呼称は昔から「型」を使用しており、会社内部の公式車両図面にも「型」と掲載されている(他の私鉄やJRの場合は「系」「形」が一般的)が、800形では「形」を使用している。電動車の形式称号はデハ、制御車はクハである。
→過去の車両は「上毛電気鉄道#車両」を参照
- 800形(2024年4月)
- 700型(2022年4月)
- デハ100型(2015年6月)
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運行形態
平日・土休日とも同じダイヤである。中央前橋駅 - 西桐生駅間の全線運転を基本とし、1時間に朝ラッシュ時は3本、日中から夜にかけては2本(30分間隔)運転されている。始発列車・最終列車などで大胡駅を始発・終着駅とする区間列車がある。全列車が普通列車(各駅停車)である。すべて2両編成で運転されている。
前橋・桐生の両都市間で比較するとJR両毛線より列車本数は多いが、所要時間は倍近くかかり、運賃も割高となる。
- 上電上毛線:日中毎時2本、所要52分、運賃690円
- JR両毛線:日中毎時1本、所要30分、運賃510円
駅間距離も1-2キロ前後でJR両毛線のそれと比べて短く、途中区間における乗車機会を重視している。
また、赤城駅で東武桐生線の特急、普通列車との接続を図り、東武本線鉄道網の一翼を事実上担っている。JR両毛線と競合しない大胡駅と東京の浅草駅との間は、上毛線と東武特急により最速およそ2時間20分で結んでおり、乗り換え時間がかさむ前橋・高崎・JR新幹線経由よりも若干速く、優位に立っている。
歴史節で記したように、赤城駅で接続する東武鉄道とかつて直通運転が行われていた。1932年3月18日から東武桐生線太田駅 - 新大間々駅(現・赤城駅) - 中央前橋駅間で快速列車が運行された。上毛線内は新大間々駅、粕川駅、大胡駅、中央前橋駅に停車した。この快速列車は1935年12月1日で廃止されたが、戦後の1953年には臨時夜行急行列車が浅草駅から中央前橋駅まで乗り入れた。1958年には定期列車として急行「じょうもう」が乗り入れたが臨時に格下げされた後、1963年に廃止された(りょうもう#年表も参照)。
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利用状況
要約
視点
輸送実績
上毛線の輸送実績を下表に記す。輸送量は、ほぼ一貫して減少している。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
収入実績
上毛線の近年の収入実績を下表に記す。収入総合計額が増加した時期もあったが、最近では減少している。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
営業成績
上毛線の近年の営業成績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
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駅一覧
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運賃
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定[18]。
- 赤城 - 富士山下・丸山下・西桐生駅間は280円の特定運賃
カードへの対応について
現状ではICカード乗車券(Suica、PASMOなど)は利用できない。赤城駅の簡易改札機は東武線用(入出場)であり、本路線の乗車・降車には使用できない。
2025年4月11日に沿線自治体でつくる上毛線再生協議会が上毛電鉄に交通系ICカード決済機能を導入すると発表した。同年冬に利用開始の見通しとしている[8][9]。
サイクルトレイン
上毛線では自転車を解体せずそのまま手押しで列車内に持ち込んで乗車できるサイクルトレインを実施している。2003年4月より実証実験を行い、2005年4月より本格開始となった。
平日は朝ラッシュ終了後から最終列車まで、土休日は終日利用可能。手回り料金はかからず、持ち込みした旅客の運賃のみで利用できる。自転車がある場合は後部車両に乗車することになっている。
脚注
関連項目
外部リンク
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