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井上純

日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから

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井上 純(いのうえ じゅん、1970年6月8日 - )は、宮城県仙台市太白区出身の元プロ野球選手外野手、左投左打)。引退後はコーチ、小学生対象のベースボールアカデミーコーチを経て、東北楽天ゴールデンイーグルスのチーム統括本部に在籍しスカウトをしている。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
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プロ入り前

東陵高校時代は大会屈指のスラッガーとして、3年生時の1988年夏の甲子園宮城県予選決勝の東北高戦では3点本塁打を放ち、同校の初優勝に貢献。同年夏の甲子園に初出場した。本戦では、初戦の福井商業高に敗退した。

打撃力と俊足を評価され、1988年のプロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズから3位指名を受け入団。

横浜時代

入団当初「屋鋪要よりも速い」と評されたほどの俊足や、高校通算打率3割・38本塁打の打撃で期待されたが、プロの壁は厚くレギュラー争いに食い込めず。

1995年キャンプでの打撃フォーム改造が奏功し、9月にプロ初本塁打。その後は徐々に打撃技術が向上し、代打の切り札として一軍に定着。

1998年波留敏夫の欠場もあり前半戦は中堅手として大いに活躍する。打席数こそ少ないものの打率.330の好成績を残した。西武との日本シリーズ第5戦、8番DHスタメン出場し活躍。チームは38年ぶりのリーグ優勝・日本一。

1999年も打率3割を記録し、プロ入り後最多の4本塁打を放った。

2001年も3割をクリアするなど、少ない出場機会の中で確実に成績を残した。

2002年は腰痛や足の故障、若手の台頭により出場機会が激減。年齢的な面もありシーズンオフに戦力外通告を受けた。

ロッテ時代

2003年にはロッテのテストを受け入団。花粉症の影響で、オープン戦やシーズン開幕直後は極度の不振。そのため当初は期待外れと酷評されたが、シーズン中盤からは大車輪の活躍。9月には3番スタメン出場が定着していた。8月19日に故郷仙台での西武戦で森慎二投手より本塁打を打ったが、これは高校3年の県大会の決勝で打った本塁打(前述)と同様のコース、同様の直球、同様のスウィングで打ったものだった。 この年はプロ入り後最高の成績を収めた。

2004年は春先に受けた死球の影響で調子を落とすものの、復活後はベテランらしい活躍を見せる。前年同様に主軸として活躍し、自己最高の24打点を記録した。

2005年はかつての所属球団である横浜とのセ・パ交流戦で古巣横浜スタジアムのレフトスタンドに本塁打を放つ。この年は打率が1割台と苦しんだが、プレーオフ第2ステージ第5戦で、8回裏から左翼手の守備に着き、リーグ優勝のウイニングボールを捕球。チームは阪神との日本シリーズも制し、31年ぶりのリーグ優勝・日本一を手にした。

2006年アジアシリーズでの1試合4三振などの屈辱をバネにフォームを改造。これが功を奏し、絶好調な状態で開幕を迎え5番を打ったこともあったが、夏に近づくにつれ調子を落とし、10月2日に戦力外通告を受け、現役を引退。

引退後

2006年10月16日に古巣の横浜ベイスターズ二軍、湘南シーレックスの外野守備走塁コーチに就任。背番号90。

2010年からは一軍外野守備走塁コーチを務めた。

2011年は再び二軍外野守備走塁コーチを務めた。8月16日に行われたイースタン・リーグのロッテ戦で審判員に暴行したとして退場処分を受けた[1]

2012年は一軍打撃コーチを務め打率リーグ最下位、得点5位と低迷し同年退団[2]

2013年から地元宮城で楽天イーグルスのベースボールスクールジュニアコーチに就任[3]。2014年頃からJ SPORTSプロ野球中継の楽天主催試合(球団制作映像)の一部や東北放送ラジオの中継で同ジュニアコーチ複数名が解説者を兼任するようになり、井上も解説を行うことがあった。

2024年1月にチーム統括本部への異動が発表され、スカウトに転身した。

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選手としての特徴・人物

俊足・巧打を誇る外野手。横浜時代は主に代打の切り札として活躍。ロッテ移籍後は一時レギュラーとしてクリーンナップ担い、その後も準レギュラーとして活躍した[4]

1998年に横浜の38年ぶりの日本一、2005年にロッテの31年ぶりの日本一と、セ・パ両リーグで30年以上優勝から遠ざかっていたチームのリーグ優勝、日本シリーズ制覇(日本一)を経験するという珍しい経歴の持ち主。

ロッテ移籍後、選手名コールや千葉マリンスタジアムでのスコアボードの表記は、2003年は同姓の井上貴朗が在籍していたため、「井上純」と表記されていたが、井上貴朗が退団した2004年以降のスコアボード表記は「井上」に変わった。一方選手名コールのフルネーム呼びは継続され、2003年(怒髪天『サスパズレ』)・2004年(ソウル・フラワー・ユニオン『殺人狂ルーレット』)に作られた応援歌は共に「純!」の合いの手を連呼するものだった。

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...

記録

背番号

  • 32(1989年 - 2002年)
  • 47(2003年 - 2006年)
  • 90(2007年 - 2012年)

脚注

関連項目

外部リンク

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