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井上順

日本のタレント、歌手、俳優 (1947-) ウィキペディアから

井上順
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井上 順(いのうえ じゅん、本名同じ、1947年昭和22年〉2月21日 - )は、日本のタレント歌手俳優コメディアン。東京都渋谷区生まれ・在住[1]。一時は井上 順之(いのうえ じゅんじ)の芸名も使用していた[2]。身長171cm[2]血液型AB型

概要 井上(いのうえ) 順(じゅん), 基本情報 ...
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来歴

要約
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東京都渋谷区の代々木公園前で馬場を営む家の3人兄弟の末子として生まれ、麻布龍土町で育った。祖父は日本で初めて競走馬を輸入した人物で、富ヶ谷で「井上馬場」を経営していた[3]。父親は馬場専属の獣医師[4]である。父の影響もあり、幼少期は獣医に憧れていた[5]渋谷区立大和田小学校渋谷区立松濤中学校卒業[1]。小学校の時は映画が好きで、当時は保護者同伴の場合に小学生は無料であったことから、父親に相当する年齢の男性に付いて入館し、数多く鑑賞した[6]。中学校の卒業集合写真は、ジャズ喫茶に入り浸りたびたび学校をサボっていたため、一同が並ぶ写真の左上で欠席枠に入っている[6]

1961年(昭和36年)、13歳で、峰岸徹大原麗子田辺靖雄ジェリー藤尾らがいた「六本木野獣会」へ加入し、峰岸にはデビュー前から飲食や遊びなどにしばしば誘われ、峰岸が亡くなるまで弟のような存在だった[7]

成城学園高等学校在学中に野獣会の仲間とバンド「野獣会オール・スターズ」を組み[2]、銀座や新宿のアシベ、上野のテネシーや池袋のドラムなどで演奏活動をしているときに田邊昭知が率いるザ・スパイダースから「新しい形のスパイダースを作りたい」と声をかけられ[2]、1963年(昭和38年) 成城学園高等学校在学中の16歳のとき加入[5]。加入後はグループ・サウンズ時代の最年少メンバーとして、ツインボーカルを堺正章と、パーカッションは「サイドタンバリン」などと自らネタにしつつ、コンサートMCは堺と共に、それぞれ担当した。後年にフジテレビの『夜のヒットスタジオ』などで見せる軽妙なトークと気さくな性格はこの時期に研鑽され、現在の芸風の基盤を作り上げた。

1970年(昭和45年)、スパイダースが解散した後に「井上順之」と芸名を改めるが、痔を患ったことから「『じ』は良くない」と1973年に「順」へ戻した。

1971年(昭和46年)、24歳のときに『昨日・今日・明日』でソロ歌手としてデビューした。歌手を本業としながら俳優や司会もこなして「ジャーニー!」「ピース!」など数々の流行語を生み出し、シングルも発売し続けた。『ラブラブショー』の共演をきっかけに、資生堂の人気モデル青木エミと大恋愛の末に結婚するが、1982年(昭和57年)夏に離婚して以後、独身である[8]

フジテレビの『芸能人野球大会』で「堺とデッドボールをぶつけ合う」「乱闘と見せかけて二人で社交ダンスを踊る」などの秀逸なコントが例年見られた。スパイダース解散後も、堺とは仕事を数多く共にして近年はジョイントコンサートを催している。

1976年(昭和51年)から1985年(昭和60年) 、『夜のヒットスタジオ』の男性司会者として最長の9年半の間、3代目司会を務め、干支が一回り上の芳村真理と絶妙なコンビネーションで番組黄金期を築いた。「茶化し」に徹しつつエンターテイナーとして出演者を鼓舞する井上の司会に、当時学生の三谷幸喜は感銘して、映画監督デビュー作の『ラヂオの時間』で「『夜ヒット』の井上順」を彷彿させるキャラクターを登場させ、これを本人が演じた(三谷作品では『3番テーブルの客』や『真田丸』にも起用されている)。

石井ふく子がプロデュースする作品で頻繁に起用されており、「石井組(ファミリー)」の一員と認知されている。

1999年頃から感音性難聴で補聴器を装用[9]している。『夜のヒットスタジオ』で司会者として共演した芳村真理と約30年ぶりにTV番組で対談した際に「迷惑をかけたくない、自分の負の部分を見せたくない。だから30年間共演を避けていた」と、その心境を芳村に打ち明けた[10]

2002年(平成14年)に放送を開始したNHKの教育番組『ピタゴラスイッチ』で、「テレビのジョン」という犬型ロボット役とフレーミーで声優を担当した[11]。NHKの『みんなのうた』で歌った楽曲「テトペッテンソン」は、インパクトがある歌詞が子どもたちに好評で人気となった[12]

2012年1月に父親が102歳で他界した。2013年に「見た目が変わらない芸能人」として、『文藝春秋』で市毛良枝野口五郎由美かおるらと共に紹介された[13]

2019年2月、リオン株式会社の「リオネット補聴器アンバサダー」に就任[14]

2020年1月6日、渋谷区名誉区民に顕彰[15]。同年4月、Twitterアカウントを開設。

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人物

受賞歴

2024年

音楽作品

要約
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シングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

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ライブ・アルバム

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ベスト・アルバム

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その他

  • 井上順のプレイボーイ講座12章(2019年11月20日、テイチクエンタテインメント、TECI-1662)
    • 井上によるプレイボーイ講座のナレーションと「小西康陽とプレイボーイズ」によるバックトラックを収録したアルバム。
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出演

歌番組

バラエティ

テレビドラマ

通販番組

  • 井上順の7日間お世話になります!

映画

ラジオ

  • 順と真利子の白昼堂々(TBSラジオ
  • 井上順のサンデーTOKYO(TBSラジオ)
  • 井上順之の歌謡大作戦(文化放送
  • 電リク'75(文化放送)
  • ロッテ・歌謡紅白ベストテン(文化放送)
  • 井上順・真理ヨシコのホイホイルーム(ニッポン放送
  • 井上順の週刊No.1(ニッポン放送)
  • 井上順のルンルンジャーニー(RKBラジオ九州6局ネット)

舞台

MV

CM

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『夜のヒットスタジオ』での「洒落」

要約
視点

1976年(昭和51年)4月から、初代三波伸介に代わり芳村真理の3代目パートナーとして『夜のヒットスタジオ』司会に抜擢された。

井上が、相手役の芳村、ゲスト歌手、「ご対面」ゲストとして登場した一般人、などあらゆる人物を「茶化し」て「冗談」や「駄洒落」などのジョークを連発すると、芳村が受け流して軌道修正する絶妙のコンビネーションが確立され、視聴者らに好評を博した[独自研究?]井上は「テレビに不慣れな歌手の緊張感をとにかくほぐして、その人が気持ちよく歌ってもらえるようにするための策として『茶化し』や『シャレ』などを多用した」と語り、芳村は「歌の時は、順ちゃんでさえも相当緊張していた。だから、歌手の緊張感を同業者としての視点から誰よりもよく分かっていた」と評価している。[要出典]

その一方で、司会末期は井上が知らないジャンルの歌手やバンドが増えたこともあり、若手や新人をジョークで茶化すことが芸能界の悪習だとして、歌手やファンの怒りを買うケースも生じていた。また、シーナ&ザ・ロケッツの出演時に鮎川誠の出自へ不用意に言及するなど、無神経だと指摘されることもあった。[要出典]

芳村真理関連

芳村の衣装を「茶化し」たり「駄洒落」にするものが多かった。

  • カトリーヌ・ドヌーヴから「カトリーヌ・ドブース」。
  • 黒澤明監督の映画「蜘蛛巣城」から、芳村のモジャモジャとした髪型や濃い目のメイクを「蜘蛛巣城」。
  • 中森明菜が初登場した際に、中森の楽曲『少女A』から「老婆A」(1982年9月20日放送分)。
  • 白いマントコートを羽織る姿を「月光仮面」。
  • パンク風の髪型を「(今日の東京が)外はみぞれでね風が強いってことが分かりますよ」(1985年3月11日放送分)。
  • 石川さゆりに年齢を尋ねた直後、23歳年上の芳村へ「ちょうど倍ですね」。
  • 番組内でテレビ電話を初めて使用した際に、その画面を指差して「芳村さんの場合はここに皺がたくさん……」。
  • 「芳村さんなんか"はちまきおじさん"と呼ばれてるんですから」
  • 「女の子が髪形を変えるときは何かがある」と語る芳村の髪を注視して「毎週何かあるんですか?」。
  • 西城秀樹が老人風の特殊メイクでオープニングメドレーに登場すると、芳村を示しながら「僕は女の人のこういう皮膚は、いつも毎週見てるからどうってこともないけど」(1985年7月10日放送分)。
  • 生本番当日の芳村のリムジン車内の映像を見て、「あ、車の中でお化粧して。だからだいぶズレているんですね。顔が。」(1985年3月25日放送分)。
  • 芳村の衣装から、芳村の顔を「月見草と団子」、チャイナドレス風のスカートを「チャイナ服はよほど自信がある人じゃないと着れませんよ」、金髪風のカツラを「急に金髪が嫌いになりました」(1984年12月24日放送分)など。

ゲスト歌手関連

  • 沢田研二勝手にしやがれを歌う際、演出で用意していた煙が多くですぎスタジオが煙たくなった際「すみません、スタジオ内でタバコを吸う人がいたもんで」、「カラーじゃない人がもしかしたら、ジュリーってのは忍術使いかなって思ったりして」(1977年5月23日放送分)。
  • 西城秀樹が青年将校風の服装で登場した際に「今日は『麦と兵隊』でも歌うの?」。
  • 彼岸の時期に梓みちよがゲスト出演した際に「梓、寒さも彼岸まで」。
  • 秋季に梓が露出度の高い衣装で登場した際に「めっきり暑くなってまいりましたね」。
  • 「ポスト山口百恵」の急先鋒として松田聖子が初登場したときに「郵便受け百恵ちゃん」(1980年4月28日放送分)。
  • ダーク・ダックスなどの年配やベテランの歌手が登場する際に「今日は○○さんで見事に年齢層が上がりました」。
  • 山口百恵が「下半身の体型がふくよかであることを気にしている」と発言した際に「下半身沈殿デブ」。
  • 芳村が「山口百恵の衣装が戦闘服みたい」と発言した際、当日の芳村の装いと化粧を「服がガッチャマンで、顔がガッチャマン」。
  • 中森明菜が風邪を引きやすい体質」の話題で「か細い人は風邪を引きやすい」との会話から、中森の足首を見て「丈夫な足してるじゃない」。
  • 吉川晃司が過激な衣装でオープニングメドレーに登場した際、洒落て「冗談じゃ済まないよ」(1985年3月11日放送分)。
  • 中井貴一が持ち歌披露の直前で緊張している際に「僕みたいに朗読すればいい」。
  • 渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』を「かもめがかもめって言うかね?かもめが翔んだ日」と紹介。
  • 小柳ルミ子の八重歯を「吸血鬼、ドラキュラみたい」。
  • 長渕剛が歌の準備に入る前に、井上自ら楽譜を置きに行き、さらにはアコースティックギターを持って歌おうとした。
  • 歌手が作ってきた料理を食べ、わざと苦しむふりをする(松田聖子や高田みづえほか)。
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井上順を演じた俳優

著書

  • 『グッモー!』パルコエンタテインメント事業部, 2021.10(ISBN 9784865063684)

脚注

関連項目

外部リンク

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