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東京から出雲市間で運行されている東日本旅客鉄道・東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道の寝台特別急行列車 ウィキペディアから
サンライズ出雲(サンライズいずも)は、東京駅 - 出雲市駅間を、東海道本線・山陽本線・伯備線・山陰本線を経由して運行している寝台特別急行列車である。
サンライズ出雲 | |
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概要 | |
国 | 日本 |
種類 | 寝台特別急行列車 |
現況 | 運行中 |
地域 | 東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・岐阜県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・岡山県・鳥取県・島根県 |
前身 | 寝台特急「出雲」 |
運行開始 | 1998年7月10日[1] |
運営者 |
西日本旅客鉄道(JR西日本) 東海旅客鉄道(JR東海) 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
路線 | |
起点 | 東京駅 |
終点 | 出雲市駅 |
営業距離 | 953.6 km (592.5 mi)(東京 - 出雲市間) |
平均所要時間 | 約12時間 |
運行間隔 | 1往復 |
列車番号 |
5031M → 4031M(下り列車) 4032M → 5032M(上り列車) ※岡山駅で列車番号を変更 |
使用路線 |
JR東日本:東海道本線(東海道線 (JR東日本)) JR東海:東海道本線(東海道線 (静岡地区)・東海道線 (名古屋地区)) JR西日本:東海道本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)・山陽本線(JR神戸線)・伯備線・山陰本線 |
車内サービス | |
クラス | A寝台・B寝台・普通車 |
身障者対応 | B寝台「シングルツイン」(バリアフリー対応):2 / 9号車 |
座席 | 普通車指定席「ノビノビ座席」(簡易寝台):5 / 12号車 |
就寝 |
A寝台「シングルデラックス」:4 / 11号車 B寝台「ソロ」:3 / 10号車 B寝台「シングル」:1・2・5 - 7 / 8・9・12 - 14号車 B寝台「シングルツイン」:1・2・6・7 / 8・9・13・14号車 B寝台「サンライズツイン」:4 / 11号車 |
展望 | ミニラウンジ:3 / 10号車 |
その他 | シャワー室:3・4 / 10・11号車 |
技術 | |
車両 | 285系電車(JR東海大垣車両区・JR西日本後藤総合車両所出雲支所) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 | 直流1,500 V |
最高速度 | 130 km/h |
なお、「サンライズ出雲」の母体となった列車で、主に東京 - 出雲市・浜田間を東海道本線・山陰本線経由で運行していた寝台特急「出雲」(いずも)、および首都圏と山陰地方を結んでいた優等列車についてもここで記述する。
「サンライズ出雲」は、1998年7月に[1] それまで14系客車(いわゆるブルートレイン)によって運転されていた寝台特急「出雲」2・3号を、新たに製造した285系電車に置き換える形で運転を開始した。「出雲2・3号」時代は全区間単独運転であったが、東京 - 岡山間は同じく寝台特急「瀬戸」から置き換えられた「サンライズ瀬戸」とともに併結運転されるようになった。
「サンライズ出雲」運行開始後も2006年3月17日(始発駅発車日)までは、東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両で運行する「出雲」(旧1[2]・4号。鳥取駅経由)がもう1系統として継続して運転されていたが、利用客が低迷し車両の老朽化も進んだため、同日をもって廃止された。鳥取県は廃止に対し、県庁所在地である鳥取駅から東京駅へ直通する列車の消滅を理由に最後まで反対した(ウィキニュースの記事も参照)。鳥取県内で寝台列車が停車するのは、唯一「サンライズ出雲」の米子駅のみとなっている。
また、東海道本線全線(支線を除く)にわたって運行される唯一の定期旅客列車でもある。
2016年3月21日(到着)をもって臨時寝台特急「カシオペア」が運行終了、翌22日(到着)をもって急行「はまなす」が最終運行[3] となったため、3月23日以降「サンライズ瀬戸」とともにJR線を走行する唯一、定期運行を行う寝台特急列車でかつ、夜行列車となった。
2015年3月ダイヤ改正前より日本語と英語の二か国語で車内自動放送が行われている。JR西日本の在来線特急列車としては本列車と「はるか」、「サンライズ瀬戸」、「サンダーバード」の一部でのみ行っており、寝台特急列車への導入はカシオペアに次いで二例目である。
愛称は、島根県東部の旧国名である「出雲国(いずも/いづも のくに)」に由来する。2往復のうち1往復を285系電車で置き換えた際、イメージの刷新に加え、客車列車のまま存置されたもう1往復との区別の意味も含め、置き換えた列車に同形式の愛称である「サンライズエクスプレス」の一部を冠することとなった。
伯備線を介して首都圏と岡山県・鳥取県西部・島根県東部を結んでおり、東京駅 - 出雲市駅間で約12時間をかけ毎日1往復運転されている。東京駅 - 岡山駅間は「サンライズ瀬戸」と併結運転される。
列車番号は区間により異なり、東京 - 岡山間は併結相手の「サンライズ瀬戸」に合わせて下りが5031M、上りが5032Mであるが、岡山 - 出雲市間は下りが4031M、上りが4032Mとなっている。
東京駅 - 横浜駅 - 熱海駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 -(浜松駅)-〔大阪駅〕-〔三ノ宮駅〕- 姫路駅 - 岡山駅 - 倉敷駅 - 備中高梁駅 - 新見駅 - 米子駅 - 安来駅 - 松江駅 - 宍道駅 - 出雲市駅
西日本旅客鉄道(JR西日本)の後藤総合車両所および東海旅客鉄道(JR東海)の大垣車両区所属の、285系電車を使用している。7両編成で、客室は個室A寝台「シングルデラックス」、個室B寝台「サンライズツイン」「シングルツイン」「シングル」「ソロ」、普通車指定席「ノビノビ座席」で構成されている。また、3号車と10号車にはミニラウンジが設けられている。
東京駅 - 岡山駅間は「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」を併結して岡山駅で増解結を行うため、車両の運用は一巡するように組まれており、「サンライズ出雲」東京行→「サンライズ瀬戸」高松行→「サンライズ瀬戸」東京行→「サンライズ出雲」出雲市行の順に運用されている。この運用形態は1994年 - 1999年までの「さくら」、2005年 - 2009年までの「はやぶさ」「富士」で見られた。
3・4・10・11号車にはシャワー室があり、シャワーカードにより6分間利用することができる。このうち、4号車と11号車のものはA寝台利用客専用となっている。個室A寝台利用客は車掌から配布されるシャワーカードで利用できるが、個室B寝台・ノビノビ座席利用客は、3号車・10号車にある販売機でシャワーカードを購入する必要がある。
運転士、車掌共に東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)が自社区間のみを担当することから、会社境界である熱海駅・米原駅などで交代する。担当車掌の詳細は下記のとおり(JR東日本区間の上り列車とJR東海区間の上下列車は車掌1人乗務)。
2015年3月14日改正前日発の下り列車まで車掌は、東京 - 出雲市間全区間をJR西日本の米子車掌区が担当していた[4][5]。同区は前身の寝台特急出雲誕生時以来40年以上にわたり全区間の乗務を担当していた[6]。2015年3月12日時点のJR線で車掌が会社境界を跨いでかつ長距離の越境乗務をしている列車は本列車(米原 - 東京間445.9 km)と「サンライズ瀬戸」(サンライズ出雲に同じ)、「トワイライトエクスプレス」(直江津 - 青森間578.6 km)の3列車のみであったが、本列車をもって国鉄時代から続いていた夜行列車の長距離越境乗務は消滅、900 km超に及ぶ通し乗務もまた消滅した。 この乗務区間の分割により、乗降の少ない区間や客扱いのない一部区間では車掌数の減員が行われている。前述の改正前までは岡山 - 東京間は3名(岡山車掌区1名、米子車掌区2名)で通し乗務していた[7]。米子車掌区が越境乗務していた当時は車掌がシャワーカードとアメニティセットの販売も行っていたが、前者は自動券売機での販売へ移行、後者は販売を終了している。
予備編成を使用した「サンライズ出雲91号」および同「92号」が、2014年12月28日より繁忙期を中心に運転されている。
下りは東京駅を定期列車より約30分遅く出発して出雲市駅に約3時間遅れて到着し、上りは出雲市駅を定期列車より約4時間早く出発して東京駅に約40分早く到着する。
また2018年9月21日に、「山陰デスティネーションキャンペーン」の一環として京都駅発出雲市駅行きの「サンライズ出雲93号」が運転された[9]。京都始発のサンライズ出雲が設定されるのは初のことである。
下りは岡山駅で山陽新幹線「みずほ」(鹿児島中央行き)に乗り継ぐことで福岡県・佐賀県・熊本県・鹿児島県には午前中到着が可能であり、さらに小倉駅・九州新幹線停車駅での乗り換えにより、大分県・宮崎県・長崎県にも早くて午前中に到着可能である。上りも夕方に九州方面から逆ルートで九州・山陽新幹線「みずほ」(新大阪行き)を利用し姫路駅で乗り換えると、翌早朝には静岡 - 東京間に到着でき利便性が高い。平均乗車率は2008年時点で69%となっており[10]、運行後期の乗車率が不振で廃止となった「銀河(2007年12月時点30 - 40%[11])」、「あさかぜ(後期20[12] - 30%程度[13])」、「はやぶさ・富士(2007年度平均約20%[14])」と比べ安定した乗車率を維持している。特に金曜日の平均乗車率は高く、2003年には86%だったのが、島根県の観光プロモーション等の影響により2012年には99%に達している[15]。
2006年に廃止された「出雲」に代わる首都圏と鳥取県東部を結ぶ役割を担う列車として、「サンライズ瀬戸・出雲」の停車駅に上郡駅を追加し、同駅で特急「スーパーいなば91・92号(サンライズリレー号)」との接続が考慮された[16]。東京 - 鳥取間の走行距離は「出雲」は743.9kmであったのに対し、「サンライズ瀬戸・出雲」と「スーパーいなば91・92号(サンライズリレー号)」との乗継ぎの場合は767.1kmと約20km長くなったが、「スーパーいなば」は高速運転が可能な智頭急行線を経由するため、逆に所要時間は約1時間短縮されていた。
しかし、2010年3月からは岡山駅で「スーパーいなば1・12号」と接続するダイヤに変更されたため、上郡駅は通過するダイヤに戻された。
いずれの接続でも特急券の乗り継ぎ料金制度や乗車制度の特例はない。また、岡山駅乗り換えの場合は、上郡 - 岡山間が重複乗車となるため、岡山駅を境界駅として別々に乗車券を購入する必要がある。
出雲 | |
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概要 | |
種類 | 特別急行列車 |
現況 | 廃止 |
地域 | 東京都、神奈川県、静岡県、愛知県、岐阜県、滋賀県、京都府、兵庫県、鳥取県、島根県 |
前身 | 急行「出雲」[注釈 1] |
運行開始 | 1972年3月15日 |
運行終了 | 2006年3月18日 |
後継 | 寝台特急「サンライズ出雲」 |
旧運営者 |
日本国有鉄道(国鉄) → 東日本旅客鉄道(JR東日本) 西日本旅客鉄道(JR西日本) 東海旅客鉄道(JR東海) |
路線 | |
起点 | 東京駅 |
終点 | 出雲市駅 |
営業距離 | 898.2 km (558.1 mi)(東京 - 出雲市間) |
使用路線 |
JR東日本:東海道本線 JR東海:東海道本線 JR西日本:東海道本線・山陰本線 |
車内サービス | |
クラス | A寝台・B寝台 |
就寝 |
A寝台「シングルデラックス」:1号車 開放式B寝台:2 - 4・6 - 11号車 |
その他 | フリースペース:5号車 |
技術 | |
車両 |
EF65形電気機関車 DD51形ディーゼル機関車 24系客車 |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 |
直流1,500 V(東京 - 城崎温泉、伯耆大山 - 出雲市間)[注釈 2] 非電化(城崎温泉 - 伯耆大山間) |
運行速度 |
最高110 km/h (68 mph)(EF65形牽引時) 最高95 km/h (59 mph)(DD51形牽引時) |
「出雲」は、1928年12月に大阪 - 浜田・米子間(福知山線・山陰本線経由)で運転していた準急列車(料金不要、戦後の快速列車に相当)がそのルーツで、1935年3月に急行列車に格上げして出雲今市駅(現・出雲市駅)から大社線に直通し、大阪 - 大社間を運転していた。
1943年には太平洋戦争の激化に伴い廃止されたが、1947年に準急として復活、1951年には再び急行に格上げして「いずも」の列車名が与えられ、編成の一部が大阪駅から東京 - 宇野間を運転する急行「せと」に併結されて東京駅まで直通した。また、大阪駅から浜田発着編成の連結も行われるようになったが、出雲市 - 浜田間は快速列車として運転していた。
1956年には「いずも」から漢字の「出雲」に改称の上、急行「せと」との併結を取りやめ、東京 - 大社間を単独運転するようになった。1961年10月から京都 - 福知山間を山陰本線経由に変更し、従来の京阪神と山陰地方を結ぶ列車の役割を捨て、東京と山陰地方を結ぶ列車としての性格を強めはじめ、1972年3月には特急列車化され東京 - 浜田間を運転していた。
1975年3月には、急行「銀河」を格上げして運行系統を整理し、東京 - 米子間で特急「いなば」の運転を開始したが、3年後の1978年10月には出雲市発着に変更のうえ「出雲」に統合し、この時から「出雲」は2往復体制で運転するようになった。
1998年7月からは、1往復に285系を投入して電車化を行い「サンライズ出雲」として伯備線経由で運行開始。残りの1往復は引き続き山陰本線経由で運転していたが、2006年3月に車両の老朽化や利用客の減少などの理由により「出雲」が廃止された。
2006年3月廃止時点では、停車駅・車両性能・経由線区の違いから、東京駅先発の「出雲」が後発の「サンライズ出雲」より後に終点の出雲市駅に到着する、つまり「出雲」は途中で「サンライズ出雲」に追い越されるというもので、上り列車の場合は先発の「出雲」が後発の「サンライズ出雲」より30分近く先に東京駅に到着していた。列車番号は、下りが3列車、上りが4列車であった。ただし、3月17日の最終列車のみ臨時列車扱いとしたため、下りは9003列車、上りは9004列車であった。ダイヤが乱れた場合、下り列車は京都 - 福知山間は福知山線経由での迂回運転していたこともあった。この時は綾部駅を経由せず、福知山以西で大幅に遅れて到着した。
「出雲」の廃止により東京駅を発着する単独運転の寝台特急列車、定期列車から食堂車オシ24形の運用、EF65形電気機関車の寝台特急の牽引が消滅した。
東京駅 - 横浜駅 - 沼津駅 - 静岡駅 - (浜松駅) - 京都駅 - 綾部駅 - 福知山駅 - 豊岡駅 - 城崎温泉駅 - 香住駅 - 浜坂駅 - 鳥取駅 - 倉吉駅 - 米子駅 - 安来駅 - 松江駅 - 宍道駅 - 出雲市駅
廃止直前の「出雲」 | ||||||||||||||||||||||||
← 出雲市 東京 →
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運転末期の客車は、JR東日本の尾久車両センター所属田町車両センター常駐の24系25形客車が使用され、電源車を含む9両編成で運転していた。なお、多客期は東京 - 米子間にて3両を増結していた。客車は個室A寝台「シングルデラックス」(この車両のみ金帯化はされていない)・開放式B寝台・「フリースペース」で組成されており、「フリースペース」については営業休止となった食堂車が使用されていた。
牽引機関車は、東京 - 京都間をJR東日本の田端運転所所属田町車両センター常駐のEF65形1000番台で、京都駅で機関車を付け替えを行い、京都 - 出雲市間はJR西日本の後藤総合車両所所属のDD51形であった。DD51形の車両基地が米子駅(後藤総合車両所)にあるため、上り列車(東京行き)は、米子駅でDD51形から別のDD51形への機関車付け替えを行った。
1972年3月に「出雲」が特急化された時は20系客車を使用し、東京 - 京都間がEF65形500番台、京都 - 浜田間は当時山陰本線の主力機関車だったDD54形が牽引していたが、DD54形の故障が続発し問題となったため、1974年度中にDD51形に変更された。
1975年に24系客車が投入されたものの、翌年1976年には24系25形化された。このとき初めて1人用個室A寝台も同時に連結を行なった。当時の「出雲」は国鉄有数の寝台券の入手が困難な人気列車として知られており、B寝台車が3段式の24系から2段式の24系25形への変更による定員減で、それがさらに強調される結果となった。1978年10月に「いなば」を米子 - 出雲市間延長により「出雲」2・3号に改称し、従来の「出雲」は「出雲」1・4号に変更された。
なお、1人用個室A寝台には1986年より「シングルデラックス(DX)」と命名され、JR分社化を経て1991年から2・3号にも連結された。
「出雲」2・3号 | ||||||||||||||||||||
← 出雲市 東京 →
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「出雲」2・3号には「いなば」以来の14系客車を引き続き使用した。なお、国鉄分割民営化直前の1986年11月に、品川運転所(現・東京総合車両センター田町センター)と宮原運転所(現・網干総合車両所宮原支所)から出雲運転区(現・JR西日本後藤総合車両所出雲支所)に「出雲」2・3号用として14系客車25両が転出している[18]。
その後、1991年3月に「出雲」2・3号にB寝台個室は1人用B寝台個室「シングルツイン」、2人用B寝台個室「ツイン」を連結し、A寝台は開放式から1人用A寝台個室「シングルDX」へ変更した。なお、「シングルDX」は従来より連結していた「出雲」1・4号とは異なり、同時期に連結を開始した「あさかぜ」2・3号および「瀬戸」に準じた室内を持つ車両とした。また、「シングルツイン」、「ツイン」は「トワイライトエクスプレス」に準じた室内を持ち、従前のB寝台個室「ソロ」・「デュエット」とは異なる料金を必要とした。
1935年に列車名のない急行列車として運転を開始した時には和食堂車を連結していたが、1978年1月に「あさかぜ」1・4号(いわゆる「博多あさかぜ」)の24系25形化に伴い、食堂車の運用を捻出するため、食堂車は浜田駅までの基本編成から出雲市駅までの付属編成へと変更された。この措置は共通運用の「富士」「はやぶさ」についても同様に行われた。
この当時、食堂車については増備を行わない方針であったため、運行時間が丸一日となる「富士」「はやぶさ」の食堂車を途中折り返しとすることで東京駅に戻る日を一日早めることができた。「出雲」は運行時間から言えば変更によるメリットはなかったが、「富士」「はやぶさ」との共通運用である側杖を被った格好であった。
また、「いなば」 → 「出雲」2・3号については、1975年の「いなば」運行当初より連結されていたものの、運行時間から営業を行っておらず、1984年の「紀伊」廃止に伴う「出雲」2・3号単独運転以降連結を廃止した。
なお、山陰本線の電化工事により「出雲」1号が伯備線経由で迂回運転時はDD51形が岡山 → 米子間を重連で牽引しており、米子 → 岡山間DD51形を重連で回送されていた。この迂回運転は下り1号のみであり、「出雲」4号は通常通り山陰本線経由で京都駅まで牽引し、その牽引してきたDD51形を所属基地の米子駅まで回送するため、「出雲」3号も京都 → 米子間を重連で牽引していた。
また、1987年から翌1988年にかけての一時期、出雲市行きの「出雲」3号は、毎日運転の臨時普通列車として出雲市 → 知井宮(現・西出雲)間で延長運転を行っていた。「出雲」3号の車両を回送する際の間合い運用であったが、寝台特急列車の末端区間を普通列車として運転するのは極めて珍しい事例であった。
「出雲」の混雑緩和のために1975年3月から1978年10月まで東京 - 米子間で運転されていた寝台特急列車である。「あさかぜ」の1往復削減で捻出された14系客車が使用された8両編成であった。同じ14系客車を使う「さくら」「みずほ」と共通運用を組む関係上、食堂車が編成に組み込まれていたが、食堂車は営業を休止していた。
東京 - 名古屋間では、特急「紀伊」と併結運転された。また、名古屋駅で「紀伊」と増解結を行うが下りが2時台(運転停車)、上りが0 - 1時台に作業を行うために作業中の連結器の衝撃音で目を覚ます乗客からの苦情が絶えなかった。
牽引機は東京 - 京都間がEF58形、京都 - 米子間がDD51形であった。
1978年10月に運行区間が東京 - 出雲市間に延長されたことにより、「出雲」2・3号に改称した。
出雲 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
← 浜田・出雲市 東京 →
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「出雲2・3号」最終日編成 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
← 出雲市 東京 →
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「出雲」最終日編成 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
← 出雲市 東京 →
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付属は到着後DD51-1121の牽引により回送
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