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大阪市北区にある中洲 ウィキペディアから
中之島(なかのしま)は、大阪府大阪市北区にある堂島川と土佐堀川に挟まれた中洲および町名。東西に細長く、長さは3 km、幅は最大で300 m、面積72.6 ha。
現行行政地名は中之島一丁目から中之島六丁目。
北側の堂島・堂島浜、南側の中央区北浜(北船場)とともに、中之島は伝統的な大阪のビジネス街・中心業務地区 (CBD) であり、大阪の都心部にあたる。大阪市役所や日本銀行大阪支店などの重要な公的機関も所在する。東西に細長いため、単に中之島と言っても場所を特定しにくいこともあり、堂島川および土佐堀川に架かる橋名、橋名由来の駅名、旧町名などもよく用いられる。例えば御堂筋沿いの淀屋橋駅の北側のエリアは南側の中央区北浜などとともに淀屋橋と呼ばれることが多い。
土佐堀川に架かるアーチ型の淀屋橋(橋梁)をはじめ、日本銀行、大阪府立中之島図書館、大阪市中央公会堂の建物など、太平洋戦争前からの歴史的建造物が立ち並び、景観についても条例などによって規制され、維持されている。「大阪の迎賓館」とも呼ばれるリーガロイヤルホテル本店や、関西経済連合会も中之島の西側に位置している。官公署が多い東部に比べて西部の開発が遅れていたが、近年大阪大学と大阪大学医学部附属病院の跡地を開発して誕生したほたるまちをはじめ、大阪府立国際会議場や大阪市立科学館、大阪府立中之島図書館、国立国際美術館、こども本の森 中之島、大阪中之島美術館(2022年開館)などが立地する大阪の文化・芸術拠点となりつつある。2008年(平成20年)に、京阪中之島線が開通したことでアクセスも多少改善され、周辺の再開発も活発になっている。
中之島の東側に位置する中之島公園は、都心部の貴重な公園となっており、バラ園が有名。またイベントも数多く行われており、中之島まつりやOSAKA光のルネサンスは毎年開催される。
旧ダイビルを解体した跡地に出来たダイビル本館、中之島ダイビルをはじめ、新朝日ビルディングとフェスティバルホールを建替えた中之島フェスティバルタワー(朝日新聞大阪本社ビル)は竣工済み、大阪朝日ビルと朝日新聞ビルも解体され、中之島フェスティバルタワー・ウエスト(ヒルトン系列のコンラッド大阪)へ建て替えられた。このほか、住友不動産による住友中之島ビルの超高層ビルへの建て替え、京阪電鉄と大林組による外資系ホテルを誘致しての複合高層ビル(中之島四丁目再開発)も計画されている。
現在、玉江橋(なにわ筋)より堂島大橋(あみだ池筋)間の堂島川左岸約400メートルの堤防上等に、水上カフェをはじめとする飲食・物販店が集まった「中之島バンクス」を整備中である。
中之島の開発は大坂の陣後、大坂屈指の豪商である淀屋(淀屋常安)によって1615年(元和元年)に始まった。
淀川(現:旧淀川)本流の中洲であることに加えて、大阪湾から遡上する二大航路の安治川と木津川の分岐点でもある中之島には諸藩の蔵屋敷が集中し、全国各地の物資が集まる「天下の台所」大坂の中枢を担った。米市は淀屋橋の南詰の路上で行われていたが、1697年(元禄10年)に堂島川を挟んだ堂島へ移り、1730年に米の中央市場である堂島米市場が設置された。この堂島米市場は世界初の先物取引市場と言われている。
明治になると、諸藩の蔵屋敷は払い下げられ、大坂の商業やビジネスの中心としての役割だけでなく、国の重要文化財の大阪府立中之島図書館や大阪市中央公会堂(中之島公会堂)等の文化施設や大阪帝国大学(現:大阪大学)をはじめとする学校や病院が市民の寄付などで建設され、近代商都大阪においては情報と文化の発信地でもあった。
ただし、明治時代の払下げから大正時代初期に現在の大阪市役所、中之島図書館、中央公会堂、また過去には豊國神社や裁判所(現在の大阪高等裁判所の前身)、旧陸軍関係施設があった時代もある。中之島一丁目周辺は地籍図が混乱しており、土地の所有関係が不明瞭であることが問題でもある[5]。
近世の町名は、中之島上之鼻・上中之島町・肥後島町・築島町・久保島町・白子島町・西信町(さいしんまち)・常安町(じょうあんちょう)・塩屋六左衛門町・湊橋町・宗是町(そうぜちょう)・本五分一町(もとごぶいちちょう)・常安裏町(じょうあんうらまち)・治郎兵衛町・小倉屋仁兵衛町(こくらやにへいちょう)・庄村新四郎町となっていた。
1870年に中之島上之鼻を上中之島町に編入。1872年に中之島1 - 7丁目・宗是町・常安町・玉江町1 - 2丁目に改編。1978年に中之島1 - 6丁目の現行行政地名を実施し、中洲の全域が中之島の町名に統一された。
2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 355人 | [6] | |
2000年(平成12年) | 464人 | [7] | |
2005年(平成17年) | 751人 | [8] | |
2010年(平成22年) | 1,316人 | [9] | |
2015年(平成27年) | 1,288人 | [10] |
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 226世帯 | [6] | |
2000年(平成12年) | 283世帯 | [7] | |
2005年(平成17年) | 484世帯 | [8] | |
2010年(平成22年) | 829世帯 | [9] | |
2015年(平成27年) | 743世帯 | [10] |
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]。北区内の全ての市立中学校と、大阪市内の小中一貫校が対象で学校選択が可能(抽選を実施)。
都心回帰と大型マンションの林立で都心部の児童が増え、かつて児童が減少していた都心部の小中学校で再び教室不足が起こり始めていることから、2018年には大阪市は中之島西部に扇町小学校および西区の西船場小学校の児童の一部を受け入れる小中一貫校の新設構想を始めた[12]。2020年7月に大阪市は中之島六丁目に小中一貫校を建設し、2024年度の開校を目指すとしている[13]。
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
中之島一丁目 | 13事業所 | 121人 |
中之島二丁目 | 323事業所 | 15,951人 |
中之島三丁目 | 334事業所 | 17,330人 |
中之島四丁目 | 52事業所 | 597人 |
中之島五丁目 | 103事業所 | 3,562人 |
中之島六丁目 | 103事業所 | 4,069人 |
計 | 928事業所 | 41,630人 |
2008年(平成20年)10月19日に京阪中之島線が開業した。同線にはなにわ橋駅、大江橋駅、渡辺橋駅、中之島駅の4駅が設置されている。加えて、中之島への通勤客や利用客などは土佐堀川をはさんで位置する地下鉄の3駅や、梅田周辺からドーチカ(ドージマ地下センター)を通って徒歩で利用することも多い。
中之島には、大阪シティバスの53号系統および2008年(平成20年)11月から営業を開始した北港観光バスの中之島ループバスの2系統が運行されている。
中之島の河川沿いを一周する形で中之島遊歩道(中之島歩行者専用道)が設けられている。また、大阪市役所前を基点として吹田市の万博記念公園まで自転車専用道の北大阪サイクルラインが設けられている。大阪市役所南側の歩道にはみおつくしプロムナードという愛称がついていて、OSAKA光のルネサンスでは「中之島イルミネーションストリート」となる。
基本的に中之島といえば、島部分(北区中之島一丁目 - 同六丁目)のみを指す。
ただし、西区の肥後橋駅前にあるビジネスホテル「リーガ中之島イン」や福島区福島一丁目の中之島合同庁舎、中央区の専門学校中の島美術学院など、中之島の対岸にあたる北区や中央区、西区、福島区の一部には、「中之島」と称する施設やビル、マンションが存在する。
河川 | 橋梁名称 | 橋長 | 幅員 | 形式 | 竣工年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
(上流) 大川 | 天満橋 | 151.0 m | 上流側 9.5 m 下流側 9.5 m |
桁橋 | 1935年(昭和10年) | [15] |
堂島川・土佐堀川 | 天神橋 | 210.7 m | 22.0 m | アーチ橋 | 1934年(昭和9年) | [16] |
堂島川・土佐堀川 | 難波橋 | 189.65 m | 21.80 m | 桁橋・アーチ橋 | 1975年(昭和50年) | [17] |
中之島公園内 | ばらぞの橋(歩行者専用) | 31.5 m | 4.0 m | アーチ橋 | 1990年(平成2年) | [18] |
堂島川 | 鉾流橋 | 98.04 m | 12.50 m | 桁橋 | 1929年(昭和4年) | [19] |
土佐堀川 | 栴檀木橋 | 86.37 m | 15.0 m | 桁橋 | 1985年(昭和60年) | [20] |
堂島川 | 水晶橋(歩行者専用) | 72.33 m | 9.09 m | アーチ橋 | 1929年(昭和4年) | [21] |
堂島川 | 大江橋 | 81.5 m | 37.0 m | アーチ橋 | 1935年(昭和10年) | [22] |
土佐堀川 | 淀屋橋 | 54.5 m | 37.0 m | アーチ橋 | 1935年(昭和10年) | [22] |
堂島川 | 中之島ガーデンブリッジ (歩行者専用) |
77.5 m | 20.0 m | 桁橋 | 1990年(平成2年) | [23] |
土佐堀川 | 錦橋(歩行者専用) | 55.12 m | 10.55 m | アーチ橋 | 1931年(昭和6年) | [24] |
堂島川 | 渡辺橋 | 79.00 m | 29.00 m | 桁橋 | 1966年(昭和41年) | [25] |
土佐堀川 | 肥後橋 | 44.70 m | 29.00 m | 桁橋 | 1966年(昭和41年) | [26] |
堂島川 | 田蓑橋 | 82.3 m | 14.7 m | 桁橋 | 1964年(昭和39年) | [27] |
土佐堀川 | 筑前橋 | 69.0 m | 14.6 m | 桁橋 | 1932年(昭和7年) | [28] |
堂島川 | 玉江橋 | 上流側 76.98 m 下流側 78.76 m |
上流側 13.0 m 下流側 12.25 m |
桁橋 | 上流側 1929年(昭和4年) 下流側 1969年(昭和44年) |
[29] |
土佐堀川 | 常安橋 | 上流側69.90 m 下流側69.90 m |
上流側12.25 m 下流側12.25 m |
桁橋 | 上流側 1929年(昭和4年) 下流側 1969年(昭和44年) |
[30] |
土佐堀川 | 越中橋(歩行者専用) | 71.02 m | 3.8 m | 桁橋 | 1929年(昭和4年) | [31] |
堂島川 | 堂島大橋 | 76.15 m | 22.70 m | アーチ橋 | 1927年(昭和2年) | [32] |
土佐堀川 | 土佐堀橋 | 58.5 m | 22.0 m | 桁橋 | 1969年(昭和44年) | [33] |
堂島川 | 上船津橋 | 78.0 m | 17.35 m | 桁橋 | 1982年(昭和57年) | [34] |
土佐堀川 | 湊橋 | 84.50 m | 17.35 m | 桁橋 | 1982年(昭和57年) | [35] |
堂島川 | 船津橋 | 76.5 m | 24.0 m | 桁橋 | 1963年(昭和38年) | [36] |
土佐堀川 | 端建蔵橋 | 111.95 m | 24.00 m | 桁橋 | 1921年(大正10年) | [37] |
(下流)木津川 | 昭和橋 | 82.8 m | 25.5 m | アーチ橋 | 1932年(昭和7年) | [38] |
(下流)安治川 | 国道43号安治川橋 | 1966年(昭和41年) | [39] |
※阪神高速道路の橋梁、水管橋除く
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