武智 豊子(たけち とよこ、1908年8月25日 - 1985年7月18日)は、日本の喜劇人、映画女優である。晩年は武知杜代子と改名している。本名は細江ふじ。旧姓は阿久津。
概要 たけち とよこ 武智 豊子, 本名 ...
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浅草時代は、その小柄な体躯とかすれ声から「女エノケン」と呼ばれ、映画では30歳代から老け役で活躍した。
戦後・映画のなかの強烈老婆
1945年(昭和20年)、36歳で終戦を迎える。
戦後も映画、テレビで印象の強い名バイプレーヤーとして活躍した。若いときから老け役を得意とし、1950年代 - 1960年代には、日活撮影所と松竹大船撮影所を中心にフル稼働した。そのさなかの1962年(昭和37年)、夫・細江と死別する。
1956年から1966年まで続いたNHKテレビ「お笑い三人組」の、おふで婆さんが有名。
1970年には、左卜全の『老人と子どものポルカ』のヒットを受け、上田吉二郎とのデュエット盤『上吉・豊子の…ハレンチ・アモーレ』をレコーディング、発表した。翌年上田は声帯を切除するので記録としても重要な音源である。
1977年、翌1978年に70歳を迎えるにあたり、姓名判断によって武知 杜代子(読み同じ)と改名。ちょうどTVアニメ『無敵超人ザンボット3』に、女優としてよく演じていた役柄とは異なる、乙女心も忘れない“可愛いおばあちゃん”の声でレギュラー出演していた時期で、同番組のキャストクレジットにおいては第4話までが旧芸名、第5話からは新芸名となっていた。
1985年7月14日、仕事先の釧路空港で心臓発作に倒れ、7月18日、心不全のため釧路市内の入院先、谷藤病院で死去。76歳没。浅草寺境内の「喜劇人の碑」に「武智豊子」の名を残す。また、武智のレコード音源は2曲ともCD化されている。
映画
1950年代
- エンタツちょび髭漫遊記 (1952年) 主演横山エンタツ ※宝プロダクション
- 恋人のいる街 (1953年)
- お母さんの結婚 (1953年)
- 浮気天国 (1953年)
- 花嫁の性典 (1953年)
- 忍術罷り通る (1953年)
- 神州天馬侠 (1954年)
- 重盛君上京す (1954年)
- 巌ちゃん先生行状記 処女合戦 (1954年)
- 落語長屋は花ざかり (1954年)
- 若人のうたごえ (1955年)
- ここに泉あり (1955年) ※中央映画
- 踊り子行状記 (1955年)
- 胸より胸に (1955年)
- 善太と三平 (1955年) 監督宮津博 ※教育映画
- 君ひとすじに (1956年)
- 東京のテキサス人 (1957年)
- 倖せは俺等のねがい (1957年) ※日活
- 喜劇 駅前旅館 (1958年) ※東京映画
- 盗まれた欲情 (1958年)
- デン助の小学一年生 (1958年) 主演大宮デン助
- 真昼の惨劇 (1958年)
- 無鉄砲一代 (1958年)
- おヤエの家つき女中 (1959年) 主演若水ヤエ子 ※日活
- おヤエのママさん女中 (1959年) 主演若水ヤエ子 ※日活
- 旗本退屈男 謎の南蛮太鼓 (1959年)
- おヤエの身替り女中 (1959年) 主演若水ヤエ子 ※日活
- 双頭の殺人鬼 (1959年) 主演ピーター・ダインリー、中村哲 ※アメリカ映画(原題:The Manster)
テレビドラマ
- お笑い三人組(1956年 - 1966年) - ふで
- チロリン村とくるみの木(1956年 - 1964年) - アスパラ・カス
- 孤独の賭け(1963年)
- マイティ・ハーキュリー(1963年 - 1966年) - 魔女ウィラミン
- 特別機動捜査隊
- 第224話「春の突風」(1966年)
- 第367話「鴉」(1968年)- 上野ちか
- 第386話「涙の子守唄」(1969年)
- 渥美清の泣いてたまるか
- 第1話「ラッパの善さん」(1966年)
- 第8話「ああ誕生」(1966年)
- 第70話「まごころさん」(1968年)
- 青い山脈 第8話「朝霧の中で」(1966年)
- 窓からコンチワ(1967年)
- コメットさん
- 第9話「間抜けなお手伝い」(1967年) - キン婆さん
- 第71話「すてきなすてきな大冒険」(1968年) - おばあさん
- 快獣ブースカ 第45話「魔法の帽子」(1967年) - メチャ太郎の祖母
- 忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ 第7話「コケコッコーは結構でござる」(1967年) - 養鶏所の婆さん
- 河童の三平 妖怪大作戦(1967年 - 1968年) - 砂かけ婆
- 男はつらいよ(1968年) - 寅の実母染子
- 怪盗ラレロ(1968年 - 1969年) - 中川初子
- 二人の世界(1970年 - 1971年) - トヨ
- 徳川おんな絵巻 第19話「可愛い悪魔」、第20話「呪われた恋」(1971年) - お熊
- ワンパク番外地 (1971年)
- 緊急指令10-4・10-10(1972年)
- 第8話「私は殺される!」 - 中年の女
- 第15話「僕は泣かない」 - 木暮イソ
- 変身忍者 嵐 第9話「まぼろし怪人! カマキリガラン!!」(1972年) - 峠の茶屋の婆(カマキリガラン)
- キイハンター 第256話「喜劇 ギャングの教科書」(1973年)
- おこれ!男だ 第3話「逃げられないのかおぬしと俺は」(1973年) - 大楠山中の老婆
- 時間ですよ(1973年) - お岩
- キカイダー01 第7話「落雷! 機能低下のゼロワン直撃」(1973年) - 老婆(リエコ)
- パパと呼ばないで 第35話「とんだ情操教育」(1973年) - 花藤梅乃
- 太陽にほえろ! 第55話「どぶねずみ」(1973年) - 矢沢トキ
- ジャンボーグA 第41話「宇宙魔女ババラスのロボット作戦」、第42話「呪い針! ババラスの逆襲」(1973年) - ババラスの声
- プレイガール 第212話「真夜中の愛の狩人」(1973年) ‐ 綾
- 座頭市物語 第8話「忘れじの花」(1974年)
- 俺たちの勲章 第7話「陽のあたる家」(1975年) - さつき荘のお婆さん
- Gメン'75
- 第84話「三本指の刑事」(1976年)
- 第92話「女の留置場」(1977年) - アパートの管理人
- 第97話「嫁・姑・孫の戦い」(1977年) - 老婆
- 第118話「黒人兵カービン銃乱事件」(1977年) - 煙草屋のおばちゃん
- 第149話「結婚式の夜の出来事」(1978年) - 中根いと
- 第166話「女医の告白」(1978年) - 老婆
- 第207話「婦人警官連続射殺事件」(1979年) - 老婆
- 第240話「'80新春おせち料理毒殺事件」(1980年) - 田中ヨシ / 藪田ヒサ ※武知杜代子名義
- 第276話「夜泣く女の骸骨」(1980年) - 農家の主婦
- Gメン'82 第5話「私は殺される!」(1982年) - 平林花子 ※武知杜代子名義
- 5年3組魔法組 第10話「迷子になったキューピー人形」(1977年) - 戸倉かね
- 無敵超人ザンボット3(1977年 - 1978年) - 神梅江※声の出演。第5話以降は武知杜代子名義
- 江戸特捜指令 第14話「爆笑!欲が裏目の玉手箱」(1977年)
- 気まぐれ本格派 第6話「弱虫は歌いたがる」(1977年)
- 伝七捕物帳 第3話「夫婦花火」(1979年) ※武知杜代子名義
- バトルフィーバーJ 第18話「鳩よ悪の巣へ急げ」(1979年) - 岩本家のお婆ちゃん ※武知杜代子名義
- 熱中時代 刑事編 第23話「KO強盗と放火魔」(1979年) - 豊川キク
- 俺はあばれはっちゃく 第23話 「たなばた幽霊○ヒ作戦」(1979年) ※武知杜代子名義
- 江戸の牙 第13話「悲哀 北から来た男」(1979年)
- 江戸の用心棒 第9話「犬を飼う女」(1981年) ※武知杜代子名義
- 新五捕物帳 第121話「泣くな銀次」(1981年) ※武知杜代子名義
- 松本清張の地方紙を買う女(1981年) ※武知杜代子名義
- 秘密のデカちゃん 第20話「何がなんでも! 猛烈女医の結婚宣言」(1981年) - 305号室入院患者 ※武知杜代子名義
- 文吾捕物帳 第10話「復讐さざんかの舞」(1982年) ※武知杜代子名義
- 海にかける虹〜山本五十六と日本海軍(1983年)
- 長谷川町子のいじわる看護婦3(1983年) ※武知杜代子名義
- 若草学園物語 第22話「転校生とポックリ寺」(1983年) ※武知杜代子名義
- 大奥 第38話「大奥のメリークリスマス」(1983年) ※武知杜代子名義
- 家族ゲームII(1984年)
- 気分は名探偵 第4話「怪盗の正体は?」(1984年) ※武知杜代子名義
- NHK特集「THE DAY その日〜1995年・日本〜」第4回「旅路〜あなたの老後を誰がみる〜」 ※武知杜代子名義
シングル
- 『流行歌数へ唄』(ポリドール・レコード、1939年)…榎本健一・武智豊子として
- 作詞:和田五雄、作編曲:栗原重一、B面は榎本健一『エノケンの八木節』(作詞:池田弘[要曖昧さ回避]、編曲:栗原重一)
- CD『唄うエノケン大全集 - 蘇る戦前録音編』(ユニバーサルインターナショナル、2003年)に所収
- 『上吉・豊子の…ハレンチ・アモーレ』(ミノルフォン・レコード、1970年8月…上田吉二郎・武智豊子として
- 作詞:西川ひとみ、作曲:伊藤雪彦、B面は『おじいちゃんのヘ長調作品5番』
- CD『ノヴェルティ・ギャグリー - あちゃらかソング傑作選』(徳間ジャパンコミュニケーションズ、2003年)に所収
当時の東京府立あるいは東京市立の女学校はいわゆるナンバースクールで、「下谷高等女学校」あるいは「下谷女学校」という旧制女学校が存在した形跡はない。
週刊テレビ番組(東京ポスト)1982年12月17日号「芸名由来記」56頁