1937年(昭和12年)、小児科医の養老静江(1899〜1995年)と養老文雄(三菱商事勤務)の次男として神奈川県鎌倉市で生まれる。4歳の時に父親を結核で亡くし、その後は鎌倉で小児科「大塚医院」を営む母・静江の腕一つで育てられる。
私立ハリス幼稚園(鎌倉市)を卒園し[4]、鎌倉市立御成小学校[5]、栄光学園中学校・高等学校[6]、東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院での1年間のインターン(研修医)を務める。しかし、そこで自分が医者に向いていないことを悟った。手術の際に患者の血液型を間違える医療事故を起こしかけ、このままでは注射の薬剤まで間違えるのではないかと思い、自分のミスは自分でなく患者に死をもたらすことに気づき完全に自信を失った[7]。このような医療事故を3回経験したことから、患者と接する医者の道を諦めた[7]。その後、精神科医を目指そうとしたが抽選に外れ、結果的に解剖学の道を志した[7][8]。「医学においては死んだ人間を扱う解剖学が最も確実なものだ」と考えたのが理由だとしている[8]。1967年(昭和42年)3月に東京大学大学院医学系研究科第一基礎医学専攻博士課程を修了し、医学博士の学位を取得[9]。学位論文の題は「ウロコ形成におけるニワトリ胎児表皮の増殖と分化」[10]。
- 職歴
東京大学医学部助手・助教授を経て、1981年(昭和56年)に解剖学第二講座教授となる。この間、1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけてオーストラリアのメルボルン大学に留学した。
1989年から1993年(平成5年)は東京大学総合研究資料館館長を、1991年(平成3年)から1995年(平成7年)は東京大学出版会理事長を歴任した。
1995年(平成7年)春、東京大学を57歳で早期退官。
以後は短期で北里大学教授、大正大学客員教授を務めた。
- 執筆活動以外
各地で講演を行いつつ、代々木ゼミナール顧問、日本ニュース時事能力検定協会名誉会長、ソニー教育財団理事、21世紀高野山医療フォーラム理事[11]を務めている。また、2006年の開館時から2017年3月まで京都国際マンガミュージアム初代館長[12]を務め、2017年4月からは名誉館長に就任[13]。その他には2017年時点で、小林秀雄賞、毎日出版文化賞、山本七平賞選考委員を務めている[14][15]。2018年時点で、NPO法人「日本に健全な森をつくり直す委員会」委員長[16]。2020年9月から、ミチコーポレーション・ぞうさん出版事業部の顧問に就任。
政府関係では農林水産省食料・農業・農村政策審議会委員を務めた[9]。福島県須賀川市のムシテックワールド館長、日本ゲーム大賞選考委員会委員長[17]。NPO法人「ひとと動物のかかわり研究会」理事長[18]。
2020年6月26日、体調不良のため病院で検査を受けたところ心筋梗塞と診断された。集中治療室で2日間の治療を行い、2週間の入院を余儀なくされた。主治医によるといつ死んでもおかしくない状態であった[19]。東京大学医学部附属病院を受診するのは26年ぶりであったが、70キログラム以上あった体重が1年で15キログラム減り、6月に入り体調が悪く、特に受診直前3日はやる気が出ず寝てばかりという状態に「身体の声」を尊重して健診嫌いを押して、教え子である中川恵一の診察や心電図検査を受けた。病院の待合室で妻や秘書と「天ぷらでも食べて帰ろうか」と話していたら「ここを動かないでください」と言われ、心臓カテーテル検査から2週間の入院となった[1]。
- 父の臨終に立ち会った際、周囲の大人たちに促されながら「さよなら」の一言を言えなかった経験が、中学生・高校生時代「人と挨拶するのが苦手」な性格に影響したと自己分析している。父という大切な存在にもできなかった挨拶を他人にするわけにはいかないと思っていたのだ。その因果関係に気づいたのは40歳を過ぎてからの通勤途中の地下鉄のホーム上であり、その後、地下鉄の中で涙しながら「そのとき初めて自分の中で父が死んだ」と自著で告白している[20]。
趣味
- 昆虫採集。特にヒゲボソゾウムシ[24]、クチブトゾウムシを集めている[25]。集めた昆虫はスキャナーで撮りデジタル図鑑にしている[26]。神奈川県の箱根の別荘(藤森照信設計の「養老昆虫館」)に、約10万点の昆虫標本を所蔵する[27]。別荘の基礎の側面には「馬」と「鹿」のイラスト(南伸坊筆)が描かれている[28]。
- 鎌倉昆虫同好会を結成し会長を務めた(機関誌は月刊『KABUTOMUSHI』)。テレビやラジオの取材も受けた。その頃から「どんな問い合わせにも応じられるような日本昆虫センターを作りたい」という夢を公言していた。虫が好きな理由については「論理的に意味がわからないことがたくさんある(からおもしろい)」という旨を述べている[28]。
- 2015年、鎌倉の建長寺に虫塚を建立した[29]。人間が多くの虫を日々殺している加害者であることに自覚的でありたいという趣旨と述べている[30]。虫かごに似せた外観は、隈研吾がデザインした[30]。
- 動物好きで、愛猫のまるをDVD化した『どスコい座り猫、まる。~養老孟司先生と猫の営業部長』が2011年にリリースされた。なお、愛猫のまるは2020年12月21日、心不全により18歳で亡くなった。拘束型心筋症を患い、晩年は寝たきりの状態が続いていた[31]。関連出版が、養老研究所名義(関由香写真)で3冊ある。
思想、社会事象の分析
- 自身の思想的立場、科学哲学を「すべてが物語・仮説であると考える点で、自分はポパー主義者である。」としている[32]。
- 文化や伝統、社会制度、言語、意識、心など人のあらゆる営みは脳という器官の構造に対応しているという「唯脳論」を提唱した。この考えは『月刊 現代思想』青土社に連載した、初期著作『唯脳論』(新版・ちくま学芸文庫)にまとめられている。
- 靖国問題というのは、世の中ではあたかも政治的な駆け引きのように語られているが、「死んだからと言って別人になるわけではない」とする中国の文化と、「死んだら神様としてまつる」日本の文化という、文化の違い、共同体のルール(の違い)の問題が根底にあるのでは、という旨の指摘をしている[33]。
- 日本、および世界の先進国の都市化を批判しており、美しく感じられる自然は人間の手入れによって保たれると述べている[34]。
- 医学部助手だった当時は、全共闘運動が全盛期で、多大な被害を受けた。全共闘の連中が養老に対して言い放った暴言や、やらかした学問に対する暴力のことは忘れておらず、自身の思想を深めるのに活かしてきた。研究室がゲバ棒を持ち覆面を被った学生達に押し入られ、「こんな一大事に研究なんかしている場合か」と非難されながら研究室を追い出された経験をして以来、「学問とは何か」「研究とは何か」「大学とは何か」といった問いに対して考え続けており、「私のなかで紛争は終わってない」と述べている[32][要ページ番号]。
そのような過去の経緯もあり、かつて「全共闘議長」だった山本義隆が2003年暮れに『磁力と重力の発見』で第30回大佛次郎賞を受賞した際に、養老は当時選考委員で、著作への授賞に異存はないとしつつも、自らが全共闘運動から受けた影響(全共闘運動により研究室から暴力的に追い出された)などを理由に「(個人的な)背景を含めた選評は拒否するしかない」という強い調子の文章を発表して話題となった[35]。
- 愛弟子・布施英利(美術解剖学、東京藝術大学教授)[36]による『養老孟司入門 脳・からだ・ヒトを解剖する』(ちくま新書、2021年)で、代表作を読みなおしその背景を語った。
- 医師であるが、「現代の医療システムに巻き込まれたくない」という理由で病院や健康診断を嫌っている[1][37]。
嗜好品、それに関する意見
- 喫煙者であり、たばこは毎日20本以上吸っている。肺がんの可能性についても「ストレス解消のほうが大事だから」として気にしていない[38]。
- 劇作家の山崎正和とともに禁煙ファシズム論を唱えている。副流煙の危険性について「問題外」としており、「低温で不完全燃焼するたばこから発生するので有害というのに科学的根拠はない」と述べている。また、喫煙の発癌性についても疑問視しており、「『肺がんの原因がたばこである』と医学的に証明されたらノーベル賞もの」と述べている。現在のたばこのパッケージには、肺がんや心筋梗塞の危険性が高まることについての警告が記載されているが、その文言を決めたうちの一人が大学の後輩医師だと知り、医師仲間が集まった際に「根拠は何だ」「因果関係は立証されているのか」と問い詰めた[39]。
- 『文藝春秋』2007年(平成19年)10月号において、近年の禁煙運動の高まりに対し「異質なものの徹底排除という原理主義的な雰囲気を感じる」とし、「たばこの害や副流煙の危険は証明されていない」といった主張を展開するとともに「禁煙運動はナチズム」と言及した[40]。
- なお、これに対し日本禁煙学会は「たばこの副流煙に害が無い」とする養老の主張について、公開質問状を送付した。養老の事務所は「質問状が手元に届いても見ずに捨ててしまうだろう」としており、実際に回答もしていない[41][42]。
- ビール一杯でひっくり返るほどの下戸だったが、解剖学の教授としてストレスを溜める日々を送るうちに、毎晩ウイスキー一本明けても平気になったという[43]。
- 国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所
- 養老孟司 (1967), “ウロコ形成におけるニワトリ胎児表皮の増殖と分化〔博論要旨〕”, 東京医学雑誌 75 (3): 140-141, https://ci.nii.ac.jp/naid/40018117500/
- 養老孟司; 神谷敏郎 (1973), “トガリネズミの放臭腺の構造〔英文〕”, 日本組織学記録 35 (5): 403-415, doi:10.1679/aohc1950.35.403, https://ci.nii.ac.jp/naid/130003880641/
- 養老孟司 (1974), “外分泌腺の構造と機能 (細胞の構造と機能(特集))”, 東京医学 82 (4): 347-352, https://ci.nii.ac.jp/naid/40018117112/
- 養老孟司 (1976), “顎下腺の比較組織学--多様性の由来 (分泌腺<特集>)”, 生体の科学 27 (2): 105-113, https://ci.nii.ac.jp/naid/40002061774/
- 養老孟司 (1977), “トガリネズミからみた世界--形態から推理する”, 科学 47 (11): 658-664, https://ci.nii.ac.jp/naid/40000393680/
- 養老孟司 (1981), “わが始祖、食虫類に魅せられて”, 自然 36 (13): 68-75, https://ci.nii.ac.jp/naid/40001540287/
ラジオ
- 『FMフェスティバル 未来授業〜明日の日本人たちへ』 - 2012年12月24日 養老孟司 第1回 未来授業 Vol.306
- TBSラジオ『たまむすび』 - 2013年8月28日放送ゲスト
出典
【一病息災】解剖学者 養老 孟司 ようろう たけし さん心筋梗塞(1)「身体の声」が教えた異変『読売新聞』夕刊2022年4月2日3面
日外アソシエーツ株式会社編『新訂 現代日本人名録2002 4.ひろーわ』(日外アソシエーツ株式会社、2002年1月28日)1653頁
“ケンモリとは”. NPO法人 日本に健全な森をつくり直す委員会. 2018年12月20日閲覧。
【編集委員・鵜飼哲夫のああ言えばこう聞く】解剖学 者養老孟司さん/虫は異質だから好き『読売新聞』夕刊2019年2月12日9面
養老孟司『運のつき 死からはじめる逆向き人生論』マガジンハウス、2004年3月1日
『養老孟司の“逆さメガネ”』PHP新書、2003年8月。[要ページ番号]
「変な国・日本の禁煙原理主義〜官が押し付ける健康増進。この国はおかしくなっている」『文藝春秋』、文藝春秋、2007年10月、p.316-p.325。
『養老先生と遊ぶ』新潮社〈新潮ムック〉、2005年3月。[要ページ番号]