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アレックス・リオス
アメリカの野球選手 (1981 - ) ウィキペディアから
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アレクシス・イスラエル・リオス(Alexis Israel Ríos, 1981年2月18日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州コーヒー出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
1981年にアメリカ合衆国アラバマ州で誕生、生後2か月のときにプエルトリコ北部グアイナーボへ移住し、5歳で野球を始める[1]。
プロ入りとブルージェイズ時代
1999年のMLBドラフトでトロント・ブルージェイズから1巡目(全体19位)指名を受け、その年の6月4日に契約を結ぶ。1巡目指名された理由は「契約金要求額が他選手より安いから」というもので[2]、多くの他球団からは「実力は2巡目か3巡目の指名が妥当なレベル」とみなされるなど、それほど期待されていたわけではなかった[3]。プロ入り後に、それまで主に守ってきた三塁手から外野手へ転向する[1]。
2003年にマイナーリーグのAA級ニューヘイブン・レイブンズで打率.352、11本塁打、82打点という成績を収めてMVPに選ばれ、さらにシーズン終了後参加したプエルトリコのウィンターリーグでもMVPに選ばれた。この活躍によってフアン・ゴンザレスと比較されるようになったり、将来のクリーンナップを期待されるようになった[4]。
2004年5月27日、フランク・カタラノットの故障や代替選手の不振によってメジャーデビューの機会が与えられると、以降ポジションを譲ることなく111試合に出場し打率.286、1本塁打、28打点、15盗塁を記録する。
2005年には、打率(.262)こそ下がったものの10本塁打、59打点、14盗塁を記録、シーズン終盤には5番に座った。
2006年開幕前の3月に第1回WBCのプエルトリコ代表に選出された。
シーズンでは6月27日までの72試合で打率.330、15本塁打という成績を残し、オールスターにも初めて選出されるなど活躍していた。しかし左足にできた傷口から真正細菌に感染したことで1か月の欠場を余儀なくされ、オールスター出場を辞退。復帰後は打撃が狂い、シーズン終盤まで自分の打撃を取り戻すのに精一杯だった[5]。それでもシーズン通算で打率は3割台を維持、そのほかにもOPS・本塁打・打点など各部門で自己最高の数字を残している。
2007年はチーム最多の161試合に出場し、191安打(リーグ7位)、74長打(同6位)を記録。前年に出場を辞退していたオールスターに再び選出され、試合前日に開催された本塁打競争にも初めて出場した。シーズン終了後には、得点数リーグワースト2位と貧打に喘いでいたサンフランシスコ・ジャイアンツがリオスに興味を示し、先発投手のマット・ケインやティム・リンスカムとのトレード交渉が進んでいると報じられたが[6][7]、交渉は決裂。ジャイアンツはFAでアーロン・ローワンドを獲得し、一方のブルージェイズは翌2008年4月、2009年から2014年までの6年総額6400万ドルでリオスと契約を延長した[8]。
2008年、リオスはチームの中心打者へ成長。チームは、リオスに対し常に好きなように打たせた[9]。結果、打撃3部門(打率・本塁打・打点)は前年を下回ったが、47二塁打(リーグ5位)、32盗塁(リーグ8位)は自己最高の数字となった。
2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCのプエルトリコ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。
シーズンでは開幕から打撃不振に陥る。自己最悪の1試合5三振を喫した6月4日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦では、試合後に球場の外でファンと口論になったリオスが、放送禁止用語を使ってファンを罵倒する様子が動画投稿サイト "YouTube" にアップロードされるというトラブルも発生[10]。リオスは後日、この騒動について「冷静さを欠いていた」と自らの非を認め謝罪した[11]。成績はその後も、7月終了時点で打率.263、出塁率.319と低迷。これにより前年に結んだ大型契約が、その後の選手の低迷によって失敗に終わる、いわゆる "不良債権" となる恐れが高まった[12][13]。ブルージェイズは所属するアメリカンリーグ東地区で5球団中4位と、ポストシーズン進出争いに絡めず。そのため、ロイ・ハラデイのトレード交渉が進行したり(結局成立せず)、スコット・ローレンが放出されたりするなど、チーム解体の雰囲気が濃くなっていった。
ホワイトソックス時代
2009年8月に入り、ブルージェイズがリオスをウェイバー公示したところ、シカゴ・ホワイトソックスが獲得希望を表明。ホワイトソックス側は交換要員を選定してブルージェイズとトレード交渉を行おうとしたが、ブルージェイズ側は見返りなしでリオスの保有権を手放し、8月10日にホワイトソックスへ譲渡した[14]。ブルージェイズGMのJ・P・リッチアーディはリオスをウェイバーにかけた目的について「年俸総額削減のためではない」としつつも、その一方で「チームの財政に余裕を持たせる必要性は認識している」とも話している[15]。
ホワイトソックス移籍後はシーズン終了まで41試合に出場したが、打率.199、出塁率.229と成績はさらに悪化。監督のオジー・ギーエンは記者に「ここまでリオスに何を見せてもらったか、だって? アウトの山だよ」と語るなど[16]、リオスにとっては自己最悪のシーズンとなった。シーズン終了後には、ESPNから「ア・リーグで最も期待を裏切った選手」に選ばれた[17]。
2010年は前半戦終了時点で打率.302、OPS.878の好成績を挙げる。後半戦は打率.258、OPS.684と低迷したが、シーズン通算では自己最多の34盗塁と同2位の21本塁打を記録した。
2012年は、打率、本塁打、打点などキャリアハイの成績を収めた。
2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCのプエルトリコ代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした[18]。3月17日の日本戦で能見篤史から本塁打を記録し、プエルトリコを決勝へ導いた[19]。
レンジャーズ時代
2013年8月9日にトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍した[20]。9月23日のヒューストン・アストロズ戦でサイクル安打を達成した。
2014年は131試合に出場し、打率.280、4本塁打、54打点、17盗塁だった。オフの10月15日にレンジャーズが2015年・1400万ドルの球団オプションを破棄したため[21]、FAとなった。
ロイヤルズ時代
2014年12月19日にカンザスシティ・ロイヤルズと1100万ドルの1年契約(2016年・1250万ドルのミューチュアル・オプション付き[22])を結んだ[23][24]。
2015年は離脱もあり、105試合の出場に留まった。98安打は、メジャーデビュー以来で初めて100未満だった。打率.255、4本塁打、32打点という打撃成績を記録したほか、失敗なしで9盗塁を決め、通算250盗塁を達成した。守備ではDRS-6だった。11月4日にFAとなった[25]。
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選手としての特徴
俊足の中距離打者で二塁打・三塁打を量産するタイプ。二塁打が2007年は43本でリーグ6位、2008年は47本でリーグ5位。三塁打が2007年は7本でリーグ9位、2008年は8本でリーグ4位。スウィングが大きいため三振が多いのが課題である[26]。
外野守備は、右翼・中堅・左翼のいずれもこなすことができるが[14]、ブルージェイズでは中堅にバーノン・ウェルズがいるためリオスは右翼を守ることが多かった。右翼手としての守備は一級品で、打球反応の良さや守備範囲の広さは中堅手並みのものを持っている[27]。また失策も少なく、細身だが強肩で補殺数も多い。プラス・マイナス・システムという守備指標を考案したジョン・デュワンの試算によれば、リオスの守備は2006年から2008年の3年間でチームの失点を49点減らし、およそ5勝の上積みをもたらしたことになるという[28]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
背番号
- 15(2004年 - 2009年途中、2015年)
- 51(2009年途中 - 2014年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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