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カーネイ・ランスフォード
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カーネイ・レイ・ランスフォード(Carney Ray Lansford、1957年2月7日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ出身の元プロ野球選手(三塁手)。右投右打。
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経歴
1975年のMLBドラフトでカリフォルニア・エンゼルスから3巡目に指名され、入団。1978年4月8日にメジャーデビューを果たす。この年121試合に出場して打率.294、本塁打8、打点52、盗塁20の活躍で、ア・リーグ新人王投票でも3位に入った。
1979年9月9日には3打席連続本塁打を記録。エンゼルスでは3年間レギュラーとして活躍したが、1980年限りでボストン・レッドソックスにトレード。移籍初年度の1981年にはストライキのためシーズンが短縮されたが、この年打率.336を打ち首位打者を獲得。 シルバースラッガー賞も受賞した。
しかし、1982年に一塁手としてデビューしたウェイド・ボッグスが打率.349と活躍。1983年からはボッグスが三塁に転向するため、外野手トニー・アーマスとの交換で、オークランド・アスレチックスに移籍した。
1983年と1985年には故障のためそれぞれ80試合、98試合の出場に終わったが、その2年を除けば1989年までは150試合前後に出場し、主に三番打者として活躍。1986年には一時一塁に転向したが、1987年には新人マーク・マグワイアが一塁に定着し、三塁に再転向。打順はホセ・カンセコの成長や、移籍組のデーブ・ヘンダーソン、デーブ・パーカー、ドン・ベイラー、リッキー・ヘンダーソンらの起用もあって一番になったり流動的であったが、1988年から1990年にかけてチームの3年連続ワールドシリーズ出場に貢献し、1989年にはサンフランシスコ・ジャイアンツを下してワールド・チャンピオンとなった。
その1989年には打率.336を記録し、首位打者争いを繰り広げる。カービー・パケット(ミネソタ・ツインズ、.339)にわずか3厘及ばなかったが、かつて自分を追い出したボッグス(.330)は上回った。ボッグスが首位打者を逃したのは1984年以来であった。
1991年は休暇中にスノーモービル事故で両足骨折の重傷を負い、わずか5試合の出場に終わった。余談だが、この時アスレチックスは三塁候補としてその前年に中日でプレイしていたバンス・ローを獲得したが、期待外れで途中解雇した。
1992年に復帰し、135試合に出場したが打率.262に終わり、この年限りで現役を引退した。同年ハッチ賞を受賞している。
引退後は、1994年から2年間アスレチックスでベンチコーチ、1997年にセントルイス・カージナルス、2008年から2009年までサンフランシスコ・ジャイアンツ、2011年からはコロラド・ロッキーズで打撃コーチを務める。
息子ジャレッド・ランスフォードが2005年のドラフト会議でアスレチックスから2巡目に指名され、入団した。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
表彰
- シルバースラッガー賞1回(1981年)
- オールスター出場1回(1988年)
- ハッチ賞1回(1992年)
背番号
- 12(1978年 - 1980年)
- 5(1980年、1983年)
- 4(1981年 - 1982年、1983年 - 1992年)
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関連項目
外部リンク
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