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ヤマトホールディングス
日本の東京都中央区にあるヤマトグループを統括する持株会社 ウィキペディアから
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ヤマトホールディングス株式会社(英: YAMATO HOLDINGS CO., LTD.[3])は、東京都中央区銀座に本社を置く持株会社。大手運送会社のヤマト運輸株式会社を所有する。
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概要
物流、引越、金融会社などを傘下に持ち、東証第1部に上場する。日経平均株価およびJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ[4][5]。
かつては、ヤマト運輸を中心としたグループ体制を敷いていたが、分社化と再編を進め、主力の宅配事業を中核に事業部門ごとに別会社とした。これにより、ヤマトホールディングスの傘下に事業会社が入る体制となっている[6]。
沿革
旧ヤマト運輸株式会社時代
- 1919年(大正8年)11月29日 - 大和運輸株式会社(旧)を設立。初代本社は東京都東京市京橋区(現・東京都中央区)東豊玉河岸4番地に所在[7]。同日、京橋区木挽町(現・中央区銀座三丁目)の朝日倶楽部において創立総会[8]。
- 1922年(大正11年)12月 - 三越呉服店(現・三越)の横浜取扱所への商品輸送を契約した[7]。
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)1月 - 2代目本社社屋新築移転[7]。
- 1928年(昭和3年) - 1922年(大正11年)頃から使用している初代社章『桜にY』を商標登録[9]。
- 1929年(昭和4年)
- 1931年(昭和6年)12月 - 社訓制定[9]。
- 1936年(昭和11年)8月 - 定期便を「大和便」と名称変更[12]。
- 1939年(昭和14年)8月 - 大和運輸産業報国会結成[12]。
- 1942年(昭和17年)1月1日 - 新社歌制定(服部逸郎作曲、小澤輝作詞)[13]。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 2月6日 - 「光輸送隊」を発足させ、中島飛行機(現・SUBARU)武蔵製作所の移転作業を行う[13]。
- 5月 - 大和便の人員および車両を全て「光輸送隊」に組み込まれ、大和便が完全休止[14]。
- 8月15日 - 太平洋戦争終戦。それまでの戦災により向島、四谷、蒲田、浜松町のっかう営業所、墨堤寮が焼失した他、本社倉庫が半焼し、借家15件(深川、富沢町、浅草、小石川、日本橋、淀橋、横浜、神奈川、千葉、八王子、水戸、熊谷、平塚の各営業所、吉野町倉庫、向島橋場寮)が焼失。戦死者7名、重傷者1名、被災者238名、喪失車両27台の被害が出た。なお、銀座の本社社屋は類焼を免れ、トラックのほとんどが井の頭恩賜公園に駐在していたため、340台(うち実働可能なのは200台程度)も焼失を免れている[15]。
- 9月 - 終戦に伴い営業所が復活開始[14]。
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)3月 - 社長制を採用。小倉康臣専務が社長に就任[14]。
- 1948年(昭和23年)1月4日 - 東京株式取引所に店頭売買にて初登録される[14]。
- 1950年(昭和25年)
- 1952年(昭和27年)2月 - 京浜港において海上貨物の取り扱い開始[16]。
- 1956年(昭和31年)4月 - 通運部、大和コンテナの使用を開始[17]。
- 1957年(昭和32年)
- 4月1日 - 大和運輸貯蓄組合発足[18]
- 6月25日 - 大和運輸共済会(現・ヤマトグループ社員福祉センター)設立[18]。
- 7月 - 現在の会社ロゴマーク「親子クロネコ」を制定して、同年8月より使用開始[18]。同年3月のアライド・バンラインズとの業務提携時、社長の小倉康臣がアライドの「白猫の親子猫マーク」に強く惹かれて許諾を得、広報担当者の子弟が落書きした黒猫をアレンジして作成[19][20]。2年後の1959年11月に大阪の通運会社が同社のトラックにアライド社のマークに酷似したネコのマークを表示し、そのマークを商標として特許庁に登録出願したため、ヤマト運輸側が同社のマークが使用出来なくなるのを防ぐため、直ちに異議申し立てを行い、以後長期の争いの末、1967年(昭和42年)8月、漸く大和運輸のネコマークが特許庁に登録された[21]。
- 10月3日 - 旧本社隣接地にあった京橋営業所を取り壊した跡地(534 m2、東銀座2丁目3番地)にて[11]、本社新社屋新築工事起工・地鎮祭を挙行[18]。
- 1958年
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)3月 - 副社長制を導入(初代副社長には専務取締役の日野光雄が就任)[23]。
- 1963年(昭和38年)10月 - 東京証券取引所第一部から第二部へ銘柄の指定替え[24]。
- 1965年(昭和40年)9月30日 - 社名の英語表記を『YAMATO TRANSPORT CO.,LTD』と決定[25]。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)1月1日 - 社章ならびにネコマークの使用基準などを定める標章規程を制定(同年8月に商標登録)[26]。
- 1970年(昭和45年)2月1日 - 静岡運輸を合併[27]。
- 1971年(昭和46年)
- 1973年(昭和48年)2月1日 - 引越センターを開設[28]。
- 1974年(昭和49年) - NEKOトータルシステム運用開始[29]。
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)
- 1981年(昭和56年)10月5日 - 第2次NEKOシステムの問い合わせシステムの運用を開始[35]。
- 1982年(昭和57年)
- 1984年(昭和59年)4月1日 - 「ゴルフ宅急便」を発売[36]。
- 1986年(昭和61年)10月1日 - ポータブルポスとワークステーションを使用する第3次NEKOシステムを運用開始[37]。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(昭和64年/平成元年)
- 1990年(平成2年)
- 9月11日 - アメリカの貨物航空会社大手ユナイテッド・パーセル・サービスと提携、合弁会社「UPS Yamato Partnership USA」設立[39]。
- 10月16日 - 本社社屋を新築移転(5代目、現本社ビル)[39]。創業70周年記念事業の一つとして建てられた地上7階地下2階建ての建物で、外観は南側の一部を半円形として壁面を全面ガラス張り(昼間はミラーガラスになる)を採用している[40]。
- 同年中 - ユナイテッド・パーセル・サービスとの合弁会社「UPSヤマトエクスプレス」を設立(2004年3月31日に合弁を解消し、業務提携に変更の上、ユーピーエス・ヤマト。エクスプレスはユナイテッド・パーセル・サービス社100%の出資会社に変更[41]。)。
- 1991年(平成3年)
- 1993年(平成5年)4月 - 第4次NEKOシステムを導入[42](1994年〔平成6年〕9月に全店導入が完了)[43]。
- 1995年(平成7年)4月 - 社訓、経営理念、企業姿勢、社員行動指針からなる『ヤマト運輸企業理念』を制定[43]。
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)
- 1999年(平成11年)10月 - 第5次NEKOシステムを導入[45]。
- 2000年(平成12年)
- 2003年(平成15年)
- 11月4日 - 東京国際空港と新千歳空港で運航された深夜フライト便を利用した、関東(1都7県)と北海道間を一晩で結ぶ超速宅急便のサービス開始[49](2018年〔平成30年〕10月31日サービス終了[50])。
- 4月1日 - 四国ヤマト運輸(四国4県)・九州ヤマト運輸(大分・宮崎・鹿児島)を吸収合併し[51]、沖縄県以外を直轄化。同日、ヤマト物流設計を設立[51]。同日、ロジスティクス事業の一部を会社分割し、ヤマトロジスティクス株式会社(ヤマト・ロジスティクス・プロデュース株式会社から名称変更)に継承[51]。同日、フォワーティング事業を会社分割し、ヤマトグローバルフレイトに継承[51]。同日、クロネコメール便リニューアル(全国10か所にクロネコメール便ターミナル新設、メール便専用車両を開発、50g以内、100g以内の新サイズ設定、一部地域を除き翌日配達とする)[51]。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
持株会社化以降
- 2005年(平成17年)11月1日 - ヤマト運輸株式会社(旧)がヤマトホールディングス株式会社、ヤマト運輸分割準備がヤマト運輸株式会社(新)にそれぞれ社名変更[53]。日本の運送業界初の持株会社制へ移行。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)5月 - 小売業大手である丸井との資本・業務提携を発表。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 国内航空便事業(エキスプレス事業本部)をヤマトグローバルエキスプレスに移管[56]。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2015年(平成27年)3月31日 - クロネコメール便を廃止[44][59]。
- 2017年(平成29年) - 第8次NEKOシステムを導入[60]。
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)1月17日 - ヤマトホームコンビニエンスの過半数超の株式をアート引越センターに売却[65]。
- 2024年4月11日 - 国内定期貨物便を、日本航空、スプリング・ジャパンに委託して運航開始[66]
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グループ企業
→「ヤマトグループ」を参照
テレビ番組
- プロジェクトX〜挑戦者たち〜 「腕と度胸のトラック便」~翌日宅配・物流革命が始まった~(2001年5月29日、NHK)[67]
- 日経スペシャル カンブリア宮殿 物流最前線!宅急便のすべてを見せます(2011年10月13日、テレビ東京)[68]
- 日経スペシャル カンブリア宮殿 物流イノベーション! 進化し続ける『ヤマトのDNA』(2011年10月20日、テレビ東京)[69]
脚注
関連項目
外部リンク
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