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中沢伸二

日本の野球選手 ウィキペディアから

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中沢 伸二(なかざわ しんじ、1946年6月18日 - )は、山梨県中巨摩郡白根町(現・南アルプス市)出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ監督解説者

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

甲府工業では同期のエース・原初也とバッテリーを組み、1964年春の選抜へ出場。1回戦で谷哲男投手(中日)を擁する市西宮高に延長13回サヨナラ負けを喫する[1]

1965年阪急ブレーブスへ入団。入団してしばらくの間は偵察要員としての起用が多く、捕手としての一軍の試合出場数は少なかった。1969年日本シリーズ第4戦で岡村浩二が退場になった後にマスクを被ったのは中沢であった[2]。6年目からは捕手に固定され、1974年には種茂雅之からレギュラーを奪い、入団10年目で一軍に定着。上田利治監督率いる第二次阪急黄金時代の正捕手として活躍。ディフェンスやリード面に長け、数回にわたるリーグ優勝、日本一に貢献した。1978年8月31日に今井雄太郎が完全試合を達成した際の捕手。ベストナインダイヤモンドグラブ賞を獲得し、18年目の1982年には初めて規定打席に到達、打率.302(ベストテン6位)をマークして2度目のベストナインを受賞。この頃から口髭を蓄えるようになった。その後は藤田浩雅の台頭もあり、1985年引退。

その後は阪急・オリックス(1986年 - 1990年1994年1999年 - 2000年2002年2004年一軍バッテリーコーチ, 1991年2001年2005年 - 2006年二軍バッテリーコーチ, 1992年二軍チーフコーチ, 1993年二軍チーフ兼バッテリーコーチ, 2003年二軍監督→ヘッドコーチ)、日本ハム1995年 - 1998年一軍バッテリーコーチ)で監督・コーチを歴任。2007年からはオリックス球団制作中継(J SPORTSBS12トゥエルビなどで放送)の解説者を務めており、バッテリーについての解説が中心となっている。

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人物

打撃力はそれほどでもなかったが、ディフェンスやリード面は非常に長けたキャッチャーであり、捕手としての能力の高さは(普段は捕手についての採点には辛い)野村克也からも常に高く評価されていた。また監督の上田からは「うちの投手で中沢の頭脳についていけるのは山田(山田久志)くらいだろう」とその頭脳的リードを認められていた。

唯一の欠点は、弱肩とマスコミでいわれる盗塁阻止率であった。しかし、ある年のキャンプでアメリカから臨時バッテリーコーチをよんでマンツーマン指導をうけて、その年から、突然、「強肩中沢」と褒めたたえるような盗塁阻止率を上げた。これによりキャッチャーの盗塁阻止率では、動作各所のタイミングで大変身を遂げられることを示した。

長嶋巨人に勝って日本一になった時は、野村の呟き作戦が通じなかった王貞治が、「中沢がヘンなタイミングで、イヨーとか掛け声をかけてきて調子が狂った」と述べている。

詳細情報

年度別打撃成績

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表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:1981年8月11日、対近鉄バファローズ後期4回戦(日生球場)、8番・捕手で先発出場 ※史上224人目
その他の記録

背番号

  • 39 (1965年 - 1985年)
  • 81 (1986年 - 1994年、2004年)
  • 77 (1995年 - 1998年)
  • 70 (1999年 - 2003年)
  • 71 (2005年)
  • 91 (2006年)

関連情報

出演

脚註

関連項目

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