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今治造船

愛媛県今治市に本社を置く造船会社 ウィキペディアから

今治造船
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今治造船株式会社(いまばりぞうせん、: Imabari Shipbuilding Co., LTD.)は、愛媛県今治市に本社を置く日本最大手の造船メーカーである。

概要 種類, 略称 ...
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今治工場
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概要

愛媛県香川県広島県山口県大分県瀬戸内海沿岸を中心にグループで10の造船所を保有している。1959年に檜垣正一が代表に就任以後は檜垣家が代表を務めるオーナー企業であり、非上場企業である。

1980年には三菱重工業三井造船石川島播磨重工業日立造船(後2社の造船部門は現・ジャパンマリンユナイテッド)といった大手造船会社の3分の1以下の生産能力しかなく、業界では「中手」に区分されていた造船会社であった。1980年代に造船業界が不況に陥り、大手がドックを削減し新事業にシフトする中で経営不振の造船会社を傘下に収め、規模を拡大した。

造船竣工量において国内トップ[5]。2019年の国内シェアは約33.5%、世界シェアは約8.2%[6]。国土交通省によると、2016年には、HD現代重工業大宇造船海洋現代三湖重工業に次いで世界第4位[7]。2023年の国内シェアは約35.3%、世界シェア約5.8%であり[6]、世界第6位[2]

丸亀事業本部には長さ600m、幅80m、深さ11.7mの日本最大のドックがある。なお、このドックには日本最大の1330トン吊りゴライアスクレーンが3基設置されている。

本社のある愛媛県今治市には船主や舶用機器メーカー、金融機関などの「海事クラスター」と呼ばれる企業群が立地しており、毎週月曜日の朝には市内の金融機関の支店長らが今治造船の本社に集まり意見交換を行う「月曜会」と呼ばれる場が設けられるなど、密接な繋がりがもたれている。

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事業所及び建造能力

  • 本社・今治工場 - 愛媛県今治市小浦町一丁目4番52号
    • 第1号船台 - L 166メートル × B 2メートル
    • 第2号船渠 - L 211メートル × B 43メートル
  • 丸亀事業本部 - 香川県丸亀市昭和町30番地
    • 第1号船渠 - L 270メートル × B 45メートル
    • 第2号船渠 - L 370メートル × B 57メートル
    • 第3号船渠 - L 610メートル × B 80メートル
    • 蓬莱事業部 - 香川県丸亀市蓬莱町12-1
    • 多度津事業部 - 香川県仲多度郡多度津町西港町1-1
  • 西条工場 - 愛媛県西条市ひうち7番6号
    • L 420メートル × B 89メートル
    • 東ひうち事業部 - 愛媛県西条市ひうち東ひうち29番
  • 広島工場 - 広島県三原市幸崎能地2-1-1[8]
    • 第1号造船船渠 - L 378.0メートル × B 59.0メートル
    • 第2号造船船渠 - L 382.0メートル × B 56.0メートル
  • 東京支社 - 東京都千代田区有楽町1丁目5番1号 日比谷マリンビル14階
  • アムステルダム事務所 - オランダアムステルダム[9]
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歴史

要約
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西条工場

創業

1901年に檜垣為治が波止浜湾に面した小浦に檜垣造船所を創業したのが始まりである。造船所といっても一本釣り漁船伝馬船などの建造・修理を中心とした砂浜に肋骨を組んでいくだけの小さな規模であった[10]。創業者の檜垣為治は大浜の生まれであったが、船大工を志して山1つ越えた小浦に移り住み、吉岡造船所で船大工修行を積み檜垣造船所を創業した[10]1933年には為治の息子である檜垣正一らが「檜垣造船有限会社」を設立した。

企業合併

1940年暮れには、檜垣造船、村上(実)造船、渡辺造船、村上造船、吉岡造船、黒川造船の6社が合併して「今治造船有限会社」が誕生した[11]。当時は木造船であっても厳しい資材統制があったため、業界での生き残りを賭けての会社併合であった[11]。今治造船有限会社の初代社長には渡部造船所の社長であった渡辺弥平が就任した[12]。技術面では一騎当千のつわものがそろっていたが事務処理が泣き所であり、企業合同で会社が出来たのは1940年12月であったが「会社設立の登記を忘れて翌年春になってようやく手続きを済ませた」という船出であった[13]

また1940年には「国策に沿って今治にも設備の充実した造船所を作ろう」というねらいで、今治市内の無尽会社、鉄工会社、建築、電業会社、呉服屋など、今治でも上位にランクされる商工業者の出資によって「今治船渠株式会社」が設立された[14]。今治船渠株式会社の社長には愛媛無尽相互の村上潔が就任し、小浦の山を崩して前の海岸を埋め立て、新しい設備を導入するといった力の入れようであった[12]。現場の船大工も大三島などから集められたが、経営陣は「造船業のことが分かるものが1人もいなかった」という素人ばかりで、そこが泣き所であった[12]

松山海運局は、今治造船有限会社と今治船渠株式会社の両社に合併話を持ち込み、1943年に「今治造船株式会社」が誕生した[15]。新会社の社長には旧今治船渠の社長であった村上潔が就任[15]。檜垣正一の兄・繁一は取締役のポストを得て、正一は工場責任者で総監督となった[15]

戦時中は陸軍の管理工場で宇品(広島県)の暁部隊(船舶司令部)向けに戦車やトラックが上陸する為の舟艇を建造した[16]

戦後

戦時中は計画造船だったが終戦後には今治造船は仕事が無く、1943年8月には檜垣一族も退社。今治造船で現場総監督を務めていた檜垣正一は檜垣造船所を設立した。

戦争が終わり企業合同の理由が消えてしまった今治造船は檜垣一族だけでなく、旧今治船渠系の棟梁たちも次々と退職した[17]。今治造船は解散か継続の選択を迫られたが、残った職人たちの要望もあって継続の道を選んだ[18]。残ったのは「造船では素人」と言われた旧今治船渠系の経営陣と旧今治造船系では黒川恭男(黒川造船所)と吉岡ヤス(吉岡造船所)の2つだけであった[18]。2代目社長であった渡部弥平(元今治造船有限会社社長)が病気で退任し、1946年に3代目社長に井上毅熾(東予電業社長)が就任したが、社長以下役員のほとんどが旧今治船渠系の市内有力商工業者で、旧今治造船系のたたき上げ技術者は経営陣では黒川恭男ただ1人であった[18]

黒川恭男は木船から鋼船建造への移行を諮ったものの、設備充実や資金が必要な鋼船建造の最終的なゴーサインは出ず、業を煮やした黒川恭男は今治造船を退職した[19]。唯一の現業の責任者であった黒川恭男を失った今治造船は1954年9月に休業に追い込まれた[19]

再建

黒川恭男は檜垣正一の息子で檜垣造船所を営んでいた檜垣俊幸に今治造船の引き受けを依頼[20]。今治造船の買取価格は3百万円であったが檜垣一族の蓄えでは100万円ですら高いハードルであり、檜垣俊幸は愛媛汽船の赤尾柳吉に投資を依頼[20]。また赤尾柳吉は同じ伯方島で、伯方町収入役を務めていた岡田恭平に協力を依頼した[20]

檜垣一族、赤尾柳吉、岡田恭平がそれぞれ3分の1(100万円)の出資で今治造船の株式を取得した[20]。また檜垣一族の出資分については檜垣俊幸が赤尾柳吉から借入を行い調達した[20]愛媛汽船社長の赤尾柳吉を社長に迎え、今治造船は1955年4月に再出発することとなった[21]。また檜垣造船所は今治造船に吸収合併した。

1955年9月には第一船として勇正汽船の「勇正丸」(293総トン)が竣工した[22]。勇正丸は小型鋼船で、唐津の造船所で建造中だった船殻を移動させ、上だけを改造したリベット建造の船であった[22]

1956年には新造第1号として愛媛汽船の「冨士丸」(464総トン)が建造された[23]。鋼船建造に当たっては、波止浜造船に原図の作り方を依頼し波止浜造船は技術者を派遣した[24]。冨士丸建造後は、同年10月に「第二神運丸」(199総トン)、11月には伯洋汽船の「伯洋丸」(354総トン)と相次いで竣工し鋼船建造もようやく軌道に乗り始めた[25]

1959年2月には赤尾柳吉と岡田恭平から2千万円で株式を購入し、檜垣一族が今治造船の全株式を取得した。株式の取得に当たっては、日本勧業銀行に借入を行い、赤尾柳吉と岡田恭平両者に即金で5百万円を支払い、5年間で年1百万円ずつ延べ払いを行った[26]。これを持って赤尾柳吉と岡田恭平は今治造船の経営から退いた[26]。同年4月には檜垣正一が社長に就任した[26]。経営体制を一新した今治造船はこれを機に木船の建造・修理を一切ストップし、鋼船建造のみに切り替えた[27]

成長

1959年3月末には今治造船のF型標準船の第一船となる瀬野汽船の貨物船「第十五丸長久丸」(495総トン)が竣工[28]1964年には今治造船初の近海船となる瀬野汽船の貨物船「長久丸」(2,000総トン)が竣工した[29]1966年1月にはIS-6型近海船シリーズの第一船となる瀬野汽船の「第一山久丸」(2,999総トン)が竣工した[30]

同型船IS-6型シリーズは同クラスの他船と比べて載貨重量トン数がとりわけ大きく、同じ総トンの他の貨物船よりも1割方は多くの荷が積めると船主の評判も上々であった[31]。同型船建造は建造費用・時間の削減など効果を生んだ他、あらまし船の形を造ってから別の場所に移動して組み立てていくブロック建造方式の採用により、「20日で1隻建造」というIS神話を紡ぎ出した[32]。IS-6型シリーズが登場した1966年を境に今治造船の業績は著しく上昇した[30]

船舶が大型する中で波止浜地区では湾の大きさや深さなどから大型船の建造が困難な事から、1970年には香川県丸亀市に進出した。1971年5月に第一船台が完成し、同年9月には第一船となる「丸亀丸」が進水した[33]。1974年6月には丸亀工場を丸亀事業本部に改称した。

運輸省が設備拡張を許可する条件として、中手造船の技術力を付けるという名目の下に造船大手と中手の業務提携を結ぶように指導する中で、1971年4月に三菱重工業と業務提携を締結した[34]。この提携は三菱重工業から設計技術供与を受ける見返りに、丸亀事業本部の売上の一部を「指導料」として支払う片務的な業務提携であった[35]

造船不況

オイルショックを契機に造船業界は不況に陥り、今治造船でも6隻のタンカー建造がキャンセルとなった[36]。丸亀事業本部が稼働したばかりであったが、飯野海運が契約通り4隻の8万トンタンカーを建造する事で第一次オイルショック直後の危機を乗り切った[37]

他社が不況に陥る中でも今治造船は操業を続け、今治工場では1973年8月にはIS-8型と呼ばれたシリーズ船の第一船「エイシャン フェニックス」(瑞穂産業、4,592総トン)、1974年12月にはIS-11型シリーズの「ゆうらしあ」(正栄汽船、6,530総トン)を就航させた[38]。今治工場では1973年に16隻、1974年に10隻、1975年には14隻を就航させた[38]。丸亀事業本部では8万トンタンカーの需要が無くなる中、チップ船や自動車運搬船など特別な用途の船主の開発・建造に進出した[39]。1974年9月には当時世界最大であった「PACIFIC TAIO」を皮切りにチップ船を建造[39]1977年3月には自動車運搬船「あめりかんはいうえい」が就航し、その後10年間の間に25隻を越える自動車運搬船を建造した[40]。また1975年には四国開発フェリー向けに本格的なカーフェリー「フェリーおれんじ」を今治工場で建造し、以降大型フェリーやRORO船にも参入した[41]

大手造船会社などが苦しむ中で今治造船を含む新興中手は「強手」、「瀬戸の4強」(今治造船・来島どっく常石造船幸陽船渠)と呼ばれ競争力のある存在として認知され始めた[42]。また1970年代後半と1980年代後半の2度の造船不況で造船業が苦境に陥り、経営破綻する造船会社が出てくる中で今治造船は西造船岩城造船などを傘下に収めて規模を拡大した。1986年9月には瀬戸の4強と呼ばれながらも三光汽船や香港ワーコンなどの経営破綻で経営に苦しんでいた幸陽船渠を傘下に収めた。1984年には愛媛県西条市の広大な埋立地を購入した。

その後

2000年3月には約140億円を投じて愛媛県西条市に国内最大級の新造船用ドックを完成させた[43]。国内では日立造船有明工場以来、25年ぶりとなるドックの新設であった[43]

2001年には30万重量トン級の大型タンカーVLCCの建造に初めて成功した[44]。生産には高い技術力が必要とされるVLCCを造ることはこの世界で一流に肩を並べることを意味し、今治造船にとって悲願であった[45]

2000年には三菱重工業との提携を解消。同社が保有していた今治造船の株式を買い戻した[46]2012年には三菱重工業とコンテナ船で技術提携協定を締結するなど再び提携関係となり、2013年にはLNG船の設計・販売を行う合弁会社MI LNGカンパニーを設立した。

2015年には国内では今治造船西条工場以来、17年ぶりとなる新ドックを香川県丸亀市に建設することを発表した[47]。約400億円を投じ、国内最大級の1330トンつりの門型クレーン3基を据え付けた[47]。新ドックは長さ600m、幅80mで、超大型コンテナ船を同時に1.5隻建造できる規模を持ち、2017年9月に完成した[47]

2019年11月29日、国内2位のジャパンマリンユナイテッドと資本業務提携することで合意したと発表した[48][49]

2025年6月26日、ジャパンマリンユナイテッドへの出資比率を60%に上げ子会社化することを発表した[50][51]

年表

  • 1901年明治34年) - 創業。
  • 1933年(昭和8年)4月 - 檜垣正一が兄弟と「檜垣造船有限会社」設立。
  • 1940年(昭和15年)12月 - 今治市・越智郡周辺の造船所と合併し、「今治造船有限会社」となる。
  • 1943年(昭和18年)9月 - 今治船渠株式会社と合併し、「今治造船株式会社」となる。
  • 1954年(昭和29年)9月 - 技術者の離散などで休業に追い込まれる。
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月 - 檜垣俊幸、赤尾柳吉、岡田恭介が今治造船の全株式を取得し、再スタート。
    • 10月 - 鋼船第一船「勇正丸」竣工。
  • 1956年(昭和31年)6月 - 本格的な鋼船の第一船「冨士丸」竣工。
  • 1958年(昭和33年) - 今治本社工場設備完成。
  • 1959年(昭和34年)
    • 2月 - 檜垣俊幸が今治造船の全株式を取得。
    • 3月 - F型標準船第一船「第十五長久丸」竣工。
    • 4月 - 檜垣正一が代表取締役社長に就任。
  • 1962年(昭和37年)2月 - 正栄汽船株式会社設立。
  • 1964年(昭和39年)6月 - 今治造船初の2千総トン型貨物船「長久丸」竣工。
  • 1966年(昭和41年)1月 - 檜垣産業株式会社設立。IS-6型近海船シリーズ第一船「第一山久丸」竣工。
  • 1967年(昭和42年)3月 - 東京事務所開設。
  • 1970年(昭和45年)3月 - 本社ビル(鉄筋7階建て)落成。
  • 1971年(昭和46年)
    • 4月 - 三菱重工業と業務提携調印。
    • 6月 - 丸亀第一期工事の工場落成、第一船「丸亀丸」進水。
  • 1974年(昭和49年)
    • 3月 - 丸亀第二工場完成。
    • 6月 - 丸亀工場を丸亀事業本部に改組。
  • 1975年(昭和50年)4月 - 丸亀第三工場(艤装)完成。
  • 1976年(昭和51年)3月 - 香港代表事務所開設。
  • 1979年(昭和54年)
    • 6月 - 渡辺造船株式会社と友好造船所関係を結ぶ。合資会社大浦船渠を系列化。
    • 7月 - 株式会社新山本造船所と友好造船所関係を結ぶ。今井造船株式会社を系列化。
    • 8月 - 西造船株式会社を系列化。
  • 1982年(昭和57年)
    • 2月 - 神戸事務所開設。
    • 8月 - 丸亀NC工場完成。
    • 12月 - 東京事務所を東京支社に改組。岩城造船株式会社がグループ企業となる。鋼船建造500隻達成。
  • 1983年(昭和60年)3月 - 国内初のメタノール船「甲山丸」竣工。
  • 1986年(昭和61年)
    • 4月 - 最大級チップ船「大昭和丸」進水。
    • 9月 - 幸陽船渠株式会社がグループ企業となる。
  • 1992年平成4年)6月 - 東京都虎ノ門にオフィスビル(現・虎ノ門マリンビル)取得。
  • 1993年(平成5年)2月 - 株式会社新山本造船所を系列化。
  • 1995年(平成7年)3月 - 神戸事務所を大阪に移転し、阪神事務所開設。西条大型ブロック工場完成、操業開始。
  • 1996年(平成8年)11月 - 新今治国際ホテルがオープン。
  • 1997年(平成9年)3月 - 鋼船建造1000隻を達成。
  • 1998年(平成10年)12月 - 今治造船グループ全体の新造船竣工量が日本一となる。
  • 2000年(平成12年)3月 - 国内では25年ぶりとなる西条工場大型船渠完成。
  • 2001年(平成13年)
    • 9月 - 株式会社ハシゾウをグループ会社化。
    • 11月 - 今治造船初のVLCC第一船「最上川」竣工。
    • 12月 - 幸陽船渠・寺岡と3社出資で大連今岡船務工程を設立。
  • 2003年(平成15年)6月 - 大連今岡船務工程が操業開始、日本へのブロック供給を開始。
  • 2004年(平成16年) - 東京都日比谷の朝日生命日比谷ビル(現・日比谷マリンビル)を取得。
  • 2005年(平成17年)4月 - 新笠戸ドックを系列化。
  • 2006年(平成18年) - 西条工場の東の工場用地を取得。1500隻の建造を達成。
  • 2007年(平成19年)10月 - アムステルダム事務所開設。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月 - グループ初のLNG運搬船「TRINITY ARROW」竣工。
    • 4月 - 西造船株式会社と株式会社ハシゾウを統合、あいえす造船株式会社を設立。
  • 2012年(平成24年)5月 - 三菱重工業と低燃費コンテナ船で技術提携。[52]
  • 2013年(平成25年)4月 - 三菱重工業と共同出資でLNG運搬船の設計・販売を行う「MI LNGカンパニー」を設立[53]
  • 2014年(平成26年)2月 - 幸陽船渠株式会社を吸収合併し、今治造船広島工場とする。
  • 2015年(平成27年)
    • 1月 - 多度津造船をグループ会社化。
    • 3月 - 国内建造最大14,000個積コンテナ船「MILLAU BRIDGE」竣工。
  • 2016年(平成28年)9月 - りんかい日産建設を子会社化[54]
  • 2017年(平成29年)
    • 9月 - 丸亀事業本部新ドックが完成。
    • 11月 - 世界最大級の20,000個積コンテナ船「MOL TRUTH」竣工。
  • 2018年(平成29年)
    • 3月 - 南日本造船株式会社を系列化(新笠戸ドック100%子会社)。
    • 10月 - 今井造船株式会社が操業停止[55]
    • 12月 - 子会社の檜垣産業が横河電子機器を子会社化[56]
  • 2020年令和2年)3月 - ジャパン マリンユナイテッドと資本業務提携。
  • 2021年(令和3年)
    • 1月 - ジャパン マリンユナイテッドとの共同出資で日本シップヤード株式会社を設立。
    • 12月 - パワーエックスと資本業務提携[57]
  • 2022年(令和4年)10月 - 日立造船が保有する日本プスネスの全株式を取得し、子会社化。
  • 2023年(令和5年)4月 - 日立造船の舶用原動機事業を分社化して設立した日立造船マリンエンジンの株式の35%を取得し、資本参加。
  • 2025年(令和7年)2月 - ばら積み運搬船「CAPE SUZURAN」を引き渡し、グループ全体の建造実績が3,000隻を達成[44]
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事故・不祥事

  • 2009年3月19日 - 丸亀工場において重大災害[58]
  • 2009年12月7日 - 西条工場において重大災害[59]
  • 2012年9月21日 - 丸亀工場2号ドックでの墜落死亡事故[60]
  • 2012年10月9日 - 丸亀工場蓬莱事業部で部材倒壊による死亡事故[60]
  • 2021年 - 今治造船の下請で技能実習生が船体ブロックに部材を溶接する作業中、当該船体ブロックが倒れてきて下敷きになった際、右足を挟まれて負傷。骨折だけではなく血管も損傷し、膝上から切断せざるをえなくなった[61]
  • 2024年8月26日 - 丸亀事業本部で建造中の新造船で爆発事故があり、作業員2人が死亡し、2人が負傷[62][63]
  • 2024年11月14日 - フィリピン人技能実習生の44歳男性がクレーンで巻き上げられたワイヤーロープと金属製の柵に挟まれ死亡する事故で、今治労働基準監督署が会社および安全管理担当の31歳男性主任を書類送検[64][65]
  • 2025年3月25日 - 技能実習生などの現場作業員の安全管理を怠ったなどとして、認定していた実習計画が出入国在留管理庁より全て取り消され、今後5年間技能実習生の受け入れの停止の処分を受ける[66][67]
  • 2025年7月12日 - 丸亀工場にて建造中の船のエンジンルーム内で「つり足場」を解体する際、資格が必要な「作業主任者」を配置せず作業して建造中のブロックが倒壊し協力事業所スタッフ7名が落下または投げ出されて負傷する事故が発生したが、全員命に別状は無かった[68][69]。このうち22歳男性は骨盤を、33歳男性はかかとの骨を骨折する大けがとなった[70]
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グループ会社

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今治国際ホテル

出資する主要企業

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歴代社長

さらに見る 氏名, 在職期間 ...

主要建造船

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四国開発フェリー「おれんじ8」

種類別建造船

ばら積み船

  • 241,000M.T. D/W TYPE ORE CARRIER - L 319.9m X B 55.0m X D 24.3m
  • 207,000M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 299.9m X B 50.0m X D 24.7mm
  • 182,200M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 291.98m X B 45.0m X D 24.7m
  • 100,200M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 249.9m × B 43.0m × D18.7m
  • 95,200M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 234.98m X B 38.0m X D 19.9m
  • 88,000M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 229.93m X B 38.0m X D19.9m
  • 84,000M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 228.9m X B 35.0m X D19.9m
  • 81,000M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 228.94m X B 32.24m X D20.0m
  • 76,000M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 224.94m X B 32.26m X D 19.5m
  • 63,000M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 199.9m X B 32.24m X D 19.15m
  • 51,000M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 182.9m X B 32.26m X D 17.45m
  • 38,000M.T. D/W TYPE DOUBLE HULL BULK CARRIER - L 179.97m X B 29.80m X D 15.0m
  • 28,000M.T. D/W TYPE BULK CARRIER - L 169.50m X B 27.2m X D 13.6m
  • 27,000M.T. D/W TYPE OPEN HATCH BULK CARRIER - L 169.50m X B 27.2m X D 13.6m

コンテナ船

  • 24,000TEU TYPE CONTAINER CARRIER - L399.95m × B61.4m × 33.2m
  • 20,000TEU TYPE CONTAINER CARRIER - L 400.0m × B 58.8m × D 32.9m
  • 14,000TEU TYPE CONTAINER CARRIER - L 365.9m × B 51.2m × D 29.9m
  • 8,100TEU TYPE CONTAINER CARRIER - L 320.4m X B 46.0m X D 24.9m
  • 6,580TEU TYPE CONTAINER CARRIER - L 299.95m X B 40.0m X D 24.0m
  • 6,250TEU TYPE CONTAINER CARRIER - L 293.18m X B 40.0m X D 24.3m
  • 5,570TEU TYPE CONTAINER CARRIER - L 278.94m X B 40.0m X D 24.0m
  • 2,880TEU TYPE CONTAINER CARRIER - L 211.0m × B 32.8m × D 16.8m
  • 1,900TEU TYPE CONTAINER CARRIER - L171.9m × B 28.4m × D 14.5m

タンカー

  • 309,200M.T. D/W TYPE CRUDE OIL CARRIER - L 332.99m X B 60.0m X D 29.0m
  • 107,000M.T. D/W TYPE CRUDE OIL CARRIER - L 246.8m X B 42.0m X D 21.3m
  • 47,350M.T. D/W TYPE PRODUCT OIL CARRIER - L 179.99m X B 32.2m X D 19.05m

チップ運搬船

  • 4,300,000 C.F. TYPE CHIP CARRIER - L 209.94m X B 36.0m X D 23.5m
  • 3,600,000 C.F. TYPE CHIP CARRIER - L 199.91m X B 32.2m X D 22.65m

特殊貨物船

  • 178,000m3 TYPE LIQUEFIED NATURAL GAS CARRIER - L 296.98m × B48.7m × D 27.0m
  • 12,400GT ROLL ON/ROLL OFF CARGO SHIP - L 179.9m X B 27.6m X D 22.4m
  • 11,700GT ROLL ON/ROLL OFF CARGO SHIP - L 179.9m X B 27.0m X D 23.27m
  • 105,500M.T. D/W TYPE SUL COAL CARRIER - L 234.93 X B 43.0m X D 25.4m
  • 51,500M.T. D/W TYPE ORE & SULPHURIC ACID CARRIER - L 189.95m X B 32.26m X D 17.9m
  • 540,000C.F. REFRIGERATED CARGO SHIP - L 151.99m X B 23.0m X D 13.0m
  • 22,800M.T. D/W LIMESTONE CARRIER - L 160.4m X B 23.4m X D 13.1m
  • 12,600M.T. D/W TYPE SUL COAL CARRIER - L 139.92m X B 26.0m X D 13.6m

カーフェリー

  • 15,000GT CAR FERRY - L 199.9m X B 27.5m X D 10.2m

自動車運搬船

  • 7,500CARS TYPE VEHICLES CARRIER - L 199.9m X B 37.2m X D 38.79m
  • 7,000CARS TYPE VEHICLES CARRIER - L 199.9m X B 34.8m X D 38.07m
  • 6,800CARS TYPE VEHICLES CARRIER - L 199.95m X B 32.2m X D 37.4m
  • 6,200CARS TYPE VEHICLES CARRIER - L 199.97m × B 32.26m × D 34.48m

船名

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スポーツ

ボート部

「ボート王国愛媛」における地元選手の強化を目的に2005年に設立された[74]。愛媛県今治市玉川町にある玉川ダムを練習拠点に活動している。

2022年 に行われた「第100回全日本選手権大会」では4人で競う男子クォドルプルに出場し、初優勝を果たした[75]

主な戦績
  • 2006年第61回) - 準優勝(男子ダブルスカル)
  • 2007年第62回) - 優勝(男子ダブルスカル、愛媛選抜今治造船混成)
  • 2011年第66回) - 準優勝(男子ダブルスカル、今治造船・ダイキ混成)
  • 2012年第67回) - 準優勝(男子ダブルスカル、今治造船・ダイキ混成)
  • 2017年第72回) - 優勝(成年女子ダブルスカル、愛媛選抜今治造船混成)
  • 2010年 - 準優勝(女子ダブルスカル)
  • 2016年 - 優勝(女子シングルスカル)
  • 2017年 - 優勝(女子シングルスカル・男子ダブルスカル)
  • 2018年 - 優勝(男子ダブルスカル)、準優勝(女子ダブルスカル)
  • 2019年 - 優勝(男子ダブルスカル・女子シングルスカル)
  • 中日本レガッタ
  • 2022年 - 優勝(男子クォドルプル・男子ダブルスカル)
  • 2023年 - 優勝(男子クォドルプル・男子ダブルスカル・女子シングルスカル)
  • 2015年 - 準優勝(男子ダブルスカル)
  • 2022年 - 優勝(男子クォドルプル)

陸上部

香川県出身の帖差寛章日本陸上競技連盟顧問や香川県陸上協会などから女子長距離選手育成の協力要請があり、それに応える形で2014年に創部された[76]。香川県の丸亀事業本部を拠点に活動していた。

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脚注

関連項目

外部リンク

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