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佟健

中国のフィギュアスケート選手 ウィキペディアから

佟健
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佟 健(とう けん、簡体字佟健繁体字中国語: 佟健 トン・ジェン、中国語ラテン翻字: Jian Tong ジャン・トン, 1979年8月15日 - )は、中国ハルビン出身の男性フィギュアスケート選手。2002年ソルトレイクシティオリンピック2006年トリノオリンピック2014年ソチオリンピック中国代表。2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト。2006年世界フィギュアスケート選手権および2010年世界フィギュアスケート選手権優勝。パートナーは妻の龐清。コーチは姚濱。民族としては満洲族である[1]

概要 佟 健 Jian TONG, 生誕 ...
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人物

姚濱門下に共通するダイナミックさが最大の持ち味である。日本料理が好物である[1]

2011年6月、上海で開催されたアイスショーの最中に赤いバラの花束を抱えて龐清にプロポーズ。[2] 2016年6月に結婚した。2016年11月27日、第一子となる男児が誕生[3]

経歴

要約
視点

1985年、6歳の時にフィギュアスケートを始める。当初はシングルの選手であったが、1991年にアイスダンス、1993年にペアに転向する。ペアでのパートナーは当初より龐清であった。

しかし彼らのペア転向直後、コーチの姚濱が本拠地を北京に移してしまったため(彼女らはハルビン残留を選んだ)、1993年から1997年までチームはコーチ無しで練習するという事態に陥る。1998-1999シーズンより本格的に国際競技会に登場。このシーズンはユニバーシアード2位、中国選手権優勝、四大陸選手権5位、世界選手権14位、ジュニア世界選手権8位など。グランプリシリーズ参戦は翌シーズンからで、スケートカナダ、ロシア杯で5位に入っている。

初のメジャー・タイトルは2002年の四大陸選手権。またこのシーズンはグランプリシリーズでもスケートアメリカラリック杯で3位入賞。ソルトレイクシティオリンピックでは9位、世界選手権5位。しかしこの頃までのチームはジャンプの高さ以外に見るべきものが無い、雑な演技しか印象に残らないものであった。

チームが急成長を遂げるのは翌2002-2003シーズンに入ってからである。この頃よりチームは両選手の同期、動きの滑らかさ、氷上、細やかな動作などが一気に進化し、世界の強豪の仲間入りを果たす。グランプリシリーズでもスケートカナダとロシア杯2位、スケートアメリカ優勝と快進撃を続け、世界選手権では4位にまで食い込む。翌シーズンには完全に世界のトップクラスとして認知され、世界選手権では3位となった。この時の優勝がタチアナ・トトミアニナ/マキシム・マリニン組で2位が申雪/趙宏博組であるから、この時点でチームの上に存在していたのは歴史的な名チーム2組のみだった。

翌2004-2005シーズンは後輩の張丹/張昊組に世界選手権で遅れを取ってメダルを逃すことになった。2005-2006シーズンはトリノオリンピックで4位となるも、続く世界選手権で優勝。2006-2007シーズンは体調不良によって出遅れるも、世界選手権では2位に入った。

2007-2008シーズン、初戦のスケートアメリカエリック・ボンパール杯では2位、中国杯では優勝を果たした。3度目の出場となったグランプリファイナルでは3位となったが、四大陸選手権では4年ぶり3度目の優勝を果たした。

2008-2009シーズン、中国杯で3位、NHK杯で優勝を果たし、グランプリファイナルでは初優勝を果たした。四大陸選手権でも優勝を果たし、3年ぶりのメダルを狙った世界選手権だったがミスが響き4位に終わった。

2009-2010シーズン、ロステレコム杯NHK杯で優勝、グランプリファイナルではSPで出遅れがあったものの、FSではミスの少ない演技を披露し3年連続の表彰台に上がった。バンクーバーオリンピックではSPでパーソナルベスト、FSでは歴代最高得点をマークし、3度目のオリンピックで念願のメダルを獲得した。世界選手権のSPでは、ストレートラインステップで史上初のレベル4を獲得するなどしてパーソナルベストを更新し1位、FSでも1位となり、2度目の世界選手権優勝を果たした。

2011-2012シーズン、グランプリシリーズ中国杯NHK杯にアサインされていたが、これを辞退し、世界選手権にのみ出場。SPで2位につけたもののFSで崩れ、メダル獲得はならなかった。

2012-2013シーズン、シーズン最初から怪我があったが[4]スケートアメリカでは2位、中国杯では優勝し、グランプリファイナルでは3位。世界選手権では5位だった。

2013-2014シーズン、中国杯で2位、エリック・ボンパール杯では優勝。グランプリファイナルではSPと総合得点のパーソナルベストを記録し2年連続で銅メダルを獲得。4度目のオリンピックとなるソチオリンピックではSP4位、FS3位、総合4位で2大会連続でのメダル獲得とはならなかった。演技終了後20年間の競技生活に終止符を打ち、引退を表明した[5]

2015年1月、中国で開催される世界選手権に出場するために現役復帰することを発表した[6][7]。復帰戦の四大陸選手権ではSP4位と出遅れるものの、FSで高い演技構成点を獲得し3位に順位を上げた。9度目のメダルは当大会の最高記録である。史上最多16回目の出場となった世界選手権ではSP2位、FS3位で総合3位。4年ぶりにメダルを獲得し有終の美を飾った。

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主な戦績

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詳細

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プログラム使用曲

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脚注

参考文献

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