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第27回NHK紅白歌合戦

1976年のNHK紅白歌合戦 ウィキペディアから

第27回NHK紅白歌合戦
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第27回NHK紅白歌合戦』(だいにじゅうななかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1976年昭和51年)12月31日NHKホールで行われた、通算27回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHK生放送された。

概要 ジャンル, 司会者 ...
概要 ジャンル, 放送方式 ...
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出演者

要約
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司会者

佐良は3年連続4度目、山川は5年連続5度目(白組司会は3年連続3度目)、相川は2年連続2度目の担当となった。
紅組司会には他に、和田アキ子由紀さおり梓みちよ海原千里・万里(前回の応援団)、浅茅陽子らがあった。浅茅は、「やはり新人には荷が重いのでは?」という意見で、将来の司会込みで今回は応援団として出演したが、結局司会を担当することはなかった[1]

出場歌手

      紅組      白組      初出場      返り咲き

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選考を巡って

  • 前回の出場歌手の中より今回不選出となった歌手は以下。
  • この年、「およげ!たいやきくん」がオリコン史上最高の460万枚の売り上げを記録した子門真人が不出場。歌手発表の場で各メディアから「フジテレビ発のヒットだから落としたのか」(同曲はフジテレビ系列『ひらけ!ポンキッキ』内の楽曲)との質問に対し、NHK側はアンケートでの支持が低かったためである、と回答した(アンケートは歌手名での投票となるため、楽曲先行でブレイクした歌手の場合はアンケート支持が落ちる場合がある)[2]
  • この回の紅白では他にも、NHKのアンケート結果によって当落が左右されるケースが多かった。フォーク・ニューミュージック界からは荒井由実イルカ田山雅充らが候補に上ったが、「都会の10代、20代の支持は高いが、30代以上の支持は皆無に等しい」との理由で選出されず、この年新人賞を争った内藤やす子新沼謙治では、「楽曲の人気は内藤が上だが、特に地方の視聴者の間では新沼が根強い人気を誇る」との理由で新沼のみが選出された。歌手選考の最終過程である外部の「ご意見を伺う会」では、内藤を選出される意見が出たがNHKサイドが押し通した他、外部側は中村雅俊を推したが、既に加山雄三やあおい輝彦ら、本職俳優の歌手が選出されたことを理由に落とされた。また、「青江三奈は古すぎるのではないか」と意見されたが、「アンケートでは全国的に根強い支持がある」との理由でそのまま連続出場となった[3]

演奏

審査員

ゲスト出演者

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当日のステージ・エピソード

  • オープニングでは、最初に新宿の高層ビルに“紅白”の縦書き2文字が部屋の照明が窓から現れ、次にNHKの噴水へ移り、やがて暗いホールに入って聖夜を思わせるようなパイプオルガンの効果音後に開幕ファンファーレ[4]が鳴り響き、佐良・山川が「第27回NHK紅白歌合戦!!」と開会宣言、入場行進曲の「スタイン・ソング」(乾杯の歌)となるエフェクトが取り入れられていた。
  • 例年は両軍司会により行われるのが慣例であった冒頭での選手宣誓は今回以降、出場歌手のペアで担当することとなった。今回は水前寺清子(紅組司会経験あり)と森進一が行った。
  • 紅組トップバッターの山口百恵は、この年の民放版『ゆく年くる年』の司会に選ばれており、歌唱後そちらに出演した。
  • 太田裕美の「木綿のハンカチーフ」は4番までの歌詞の内、時間の都合上1番と4番だけにする予定だった。しかし太田の関係者が「1・4番だけだとこの歌全体の意味が成り立たない」との理由で、結局1・3・4番を歌うことに。その替わりに曲のテンポを速くすることとしたが、紅白本番での同曲は、オリジナルレコードよりも相当に速いスピードで演奏された。他に八代亜紀の「もう一度逢いたい」でも同様に、曲のテンポを速くしてフルコーラスで歌唱された。
  • 紅組司会の佐良が歌手として出演する際の曲紹介は紅組応援団が行った。
  • 中間発表後に白組の特別ゲストとして王貞治が登場。投手役の草刈正雄、捕手の三橋美智也を相手に、ステージからホールの客席に向けてバッティングをした。
  • 水前寺清子のステージでは、石川県能登地方の御神乗太鼓がバックで演奏した。
  • 由紀さおりのステージでは、ブレイク前のアルフィーのメンバーのうち坂崎幸之助高見沢俊彦が伴奏として参加したが、立ち位置の関係で画面には映っておらず、桜井賢は招待されなかった。
  • 紅組トリは、前年まで19年連続で美空ひばりと島倉千代子が独占していたが、この年は「北の宿から」が大ヒットして都はるみが初の大トリをとった。
  • 紅組が優勝(通算15勝12敗)。優勝司会者への優勝旗授与は歴代NHK芸能局長もしくは副放送総局長が行っていたが、今回はNHKの野球解説を担当していた川上哲治がその役を務めた。
  • 今回まで、出場歌手名の表示はゴシック体が使われていた。また出場回数は表示されなくなったが、オープニングからテロップやスイッチャーのミスが多々あった。
  • この年12月22日沖縄県先島諸島でNHKテレビの同時放送が開始されたため、今回からテレビでも生放送で視聴できるようになった(それまでは翌年元日夜に1日遅れでの放送だった。またラジオでは1972年より生放送で聴くことができた)。
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後日譚

1994年12月28日に『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された。BS2での全編再放送はこの1回限りである。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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