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第31回NHK紅白歌合戦

1980年のNHK紅白歌合戦 ウィキペディアから

第31回NHK紅白歌合戦
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第31回NHK紅白歌合戦』(だいさんじゅういっかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1980年昭和55年)12月31日NHKホールで行われた、通算31回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHK生放送された。

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概要 ジャンル, 放送方式 ...
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出演者

要約
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司会者

黒柳は22年ぶり2度目、山川は9年連続9度目(白組司会は7年連続7度目)、中江は2年連続3度目の担当となった。
黒柳はテレビ朝日徹子の部屋』、TBSザ・ベストテン』などの司会ぶりが評価され、紅組司会の第一候補としてアプローチを受け、司会に復帰した。その他の司会候補としては、竹下景子(この年の『思い出のメロディー』司会)、松坂慶子(『魅惑のファンタジー』司会)、加賀美幸子(NHKアナウンサー、『テレビファソラシド』進行役)、大竹しのぶ(この年の大河ドラマ獅子の時代』出演)、星野知子(この年上期の連続テレビ小説なっちゃんの写真館』ヒロイン)、森光子ジュディ・オングらが候補に挙がっており、当初は「竹下と松坂の一騎討ち」とされていた[1]

出場歌手

      紅組      白組      初出場      返り咲き

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  • この年のアンケート上位は以下[2]
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演奏

審査員

ゲスト出演者

大会委員長

  • 田中武志・NHK放送総局長
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当日のステージ

  • 黒柳の発案で、先攻・後攻を本番に決定するという試み[注釈 4]がなされた。そのため、今回の台本は、紅組が先行になった場合と、白組が先行となった場合の2種類が予め用意されていたという。本番オープニングでダーツ(宝くじの抽選会で使われているものと同型)を使った結果、白組が先攻となった。更に今回は攻守交代が1回も行われず、トリまでこの順番で進行した。
  • 田原俊彦のステージでは、たのきんトリオとしてともに売り出していた野村義男と近藤真彦が応援として登場し、「哀愁でいと」の2番を、田原、近藤、野村の3名で歌唱した[7]
  • 松田聖子の衣装は、帽子のデザインが赤ちゃんのような顔のまわりをぐるりと囲むものだった。後に本人は「あの帽子はぎりぎりまで被るかどうか悩んだ」と語っている。
  • 石野真子のステージでは、黒柳がバックダンサー役のサンデーズを紹介するも、石野の歌い出し部分に被ってしまった。
  • 海援隊のステージでは、司会の山川が曲紹介で「今日は『3年白組金八先生』です」と話した。当時、アナウンサーや記者がNHKの番組内で民放の番組名、商標、固有名詞などを用いることは"ご法度"とされていた。
  • 黒柳は五輪真弓の曲紹介の時に、「歌手の皆さんも頑張ってますので応援よろしくお願いします」と、手話を交えてのスピーチをした。
  • 高田みづえのステージでは「私はピアノ」に因んで、八神純子と太田裕美がピアノ連弾で伴奏を担当、また曲に入る前には、高田の楽曲「潮騒のメロディー」のワンフレーズを二人で奏でた。なお八神と太田を紹介する時、黒柳は八神を「八代さん」と言い間違えた。
  • 太田裕美のステージでは、太田は応援役の「カリフォルニア・スケート・パーク」と共にローラースケートを履いて入場した。太田は第39回1988年)初出場の光GENJIよりも8年早くローラースケートを使用した。
  • 新沼謙治の曲紹介に仮面ライダーV3のお面が登場した[8]
  • 菅原洋一は、タンゴ誕生100年にちなんで「ラ・クンパルシータ」を歌唱した[9]
  • 名物の紅組メンバーによるダンスは、今回はラインダンスではなくフレンチ・カンカンとなった(ラストは水前寺清子が倒れてロス・インディオスに担架で運ばれるオチ)。一方の白組は組体操ではなく「忍者」で、頭領役の三波伸介の号令の下、白い忍び装束を着た白組歌手がアクションを披露、最後は「紙テープによる蜘蛛の巣」を投げて終わった(珍しくオチ無し)。
  • トリは前回と同じく、五木ひろしと八代亜紀が担当した。
  • 紅組が優勝(通算17勝14敗)。
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後日譚

  • 電光掲示板による勝負判定は、今回で一旦区切りをつけた(抽選で選ばれた視聴者からの電話を得点集計センターで集計)。翌年の第32回から「日本野鳥の会」による得点集計に移行した。
  • 第23回1972年)にてんぷくトリオの一人として応援出場し、今回まで9連続応援役を務め、1970年代紅白に欠かせない応援役となった三波伸介は、今回が最後の出演となった。
  • 1989年と1994年に、『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された。なお再放送時には初回では使われなかった歌詞テロップを添えたが、石野真子の『ハートで勝負』の時、「危ないラブハンター」の部分のテロップが「危ないラブレター」と誤記された。
  • 第9回1958年)以来22年ぶりに紅組司会を務めた黒柳のこの記録は司会返り咲きまでの当時最長インターバル記録となった。以後黒柳は第34回1983年)まで4年連続で紅組司会を担当[注釈 5]した後、32年後の第66回2015年)で総合司会として司会復帰し、この記録を自身が更新した。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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