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山本廉

日本の俳優(1930−2003) ウィキペディアから

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山本 廉やまもと れん[出典 1]1930年昭和5年〉5月12日[出典 2] - 2003年平成15年〉6月17日[4]は、日本俳優。本名は山本 廉やまもと きよし[3]東宝特撮作品やテレビドラマ、舞台などの脇役俳優として活躍した。

概要 やまもと れん 山本 廉, 本名 ...
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来歴

神奈川県[1][3]足柄上郡南足柄町[注釈 1][要出典]生まれ。鎌倉アカデミア映画科卒業後、東宝の第3期東宝ニューフェイスに合格し、東宝演技研究所に入所、俳優の道に入る[1][3]。同期には他に小泉博[1]岡田茉莉子らがいる。

1953年昭和28年)、マキノ雅弘監督作品『抱擁』で映画デビューする[3]。自殺する詩人の役だった。続くマキノ作品『次郎長三国志 第七部・初祝い清水港』では、越路吹雪演じる女博徒の夫・七五郎役を演じ、前作『旅がらす次郎長一家』でお尋ね者となった次郎長一家を助けるこのエピソード前半の主人公役ともいえる役に抜擢された。しかし本多猪四郎監督作品『ゴジラ』で漁師役を演じて以降は、次第に短い出番で強い印象を残す脇役に活躍の場を移すようになる[3]

東宝専属時代はおもに特撮作品を中心に、岡本喜八監督作品や成瀬巳喜男監督作品などにも出演して活躍した。円谷プロダクションが設立されると『ウルトラQ』から『ウルトラマンタロウ』までのウルトラシリーズにもゲスト出演している。1970年(昭和45年)フリーになると同時に劇団NLTに入団。『ピノキオ』や『毒薬と老嬢』などの舞台に出演した。また『岸辺のアルバム』などのテレビドラマにも出演した。

1997年平成9年)の『BUGS』を最後に映画出演から身を引いた後も、テレビと舞台への出演は死の直前まで続けた。2003年6月17日、脳出血のため死去した。

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役柄

  • ゴジラ』で三番目の漁船でゴジラと遭遇し唯一生存しながらも、故郷の島にゴジラが上陸したことによって命を落とす大戸島の漁師・政治(まさじ)を演じて以来、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』までの特撮作品ではたびたび『ゴジラ』と似たような怪異と遭遇して漂流する漁師または船員役を演じている[5][2]。『モスラ』ではインファント島の赤い液体を飲んだために被曝せずに済んだ船員役、『モスラ対ゴジラ』では佐田豊演じる校長がゴジラが近づく島にいる子供たちを助けようとするのを一時は躊躇うが、後に宝田明演じる新聞記者と共に同行し、モスラの幼虫によって海に転落するゴジラを目の当たりにする船員役、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』では、大ダコガイラに襲われながら唯一生還できた船員役である。特撮作品以外では『漂流』で漂流者の役を演じた。
  • 前述の『初祝い清水港』では越路吹雪とデュエットするミュージカルシーンがある。
  • 特撮作品では、『ウルトラマン』第11話「宇宙から来た暴れん坊」の、ギャンゴを生み出した男・鬼田や、『ウルトラセブン』第10話「怪しい隣人」の、イカルス星人の仮の姿である謎の隣人役が知られている。また、『ウルトラセブン』のアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子によると、アンヌが四次元空間に閉じ込められたモロボシ・ダン森次晃嗣)の名を呼ぶシーンでは、山本が「もっと感情を込めて」と演技指導を行ったという[要出典]
  • 晩年の1995年(平成7年)には北野武監督作品『みんな〜やってるか!』に埋蔵金ジジイという役名で出演。玩具のカナリヤを本物と言い張ったり出鱈目な計算をして主人公の朝男(ダンカン)を混乱させるなど、スラップスティックなコメディアンとしての一面ものぞかせた。[独自研究?]
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出演

要約
視点

映画

など

テレビドラマ

など

テレビアニメ

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脚注

参考文献

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