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弟子屈町
北海道川上郡の町 ウィキペディアから
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弟子屈町(てしかがちょう)は、北海道釧路総合振興局管内の川上郡にある町。釧路・根室連携地域の北部に位置する[2]。

2008年(平成20年)3月16日撮影



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地理
屈斜路カルデラとその東側の摩周カルデラの麓に位置しており、その東は根室高原となっている[2]。一方、南は標茶町に接しており釧路湿原につながる場所にある[2]。町内の約70%は山林が占めている[2]。
- 山: 藻琴山(1,000m)、サマッカリヌプリ(974m)、コトニヌプリ(952m)、特宍丑(897m)、サマッケヌプリ(860m)、摩周岳(857m)、萬系内(797m)、辺計礼山(732m)、イクルシベ山(727m)、岩田主山(607m)、志計礼辺山(581m)、マクワンチサップ(574m)、美羅尾山(554m)、サワンチサップ(520m)、硫黄山(アトサヌプリ 512m)、オプタテシケヌプリ(504m)、奥春別山(476m)、仁多山(421m)、美留和山(401m)、リシリ(396m)、ニタトルシュケ山(381m)、トサモシベ(370m)、ニフシオヤコツ(196m)
- 河川: 釧路川
- 湖沼: 摩周湖、屈斜路湖
隣接している自治体
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気候
要約
視点
気候は冷涼で年間平均気温は5℃である[2]。初雪は11月上旬で、降雪量50-100cm程度であるが、12月から3月にかけての平均気温は氷点下となり寒さは厳しい[2]。川湯では2010年2月4日に-30.1℃、2019年2月9日に-30.9℃等の-30℃を下回る気温を観測している。
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町名の由来
アイヌ語の「テㇱカカ(tes-ka-ka)」に由来するとされる[5][6]。この名称の解釈は諸説あるがアイヌ語研究者の山田秀三は多くの道内の地名における「テㇱ(tes)」(編み連ねたもの〔=やな〕)が岩盤が川を簗のように横切る様を指していることを指摘したうえで、当地で釧路川を横切る岩盤のことを指したのではないかとしている[5][6]。なお、後ろに「カ(ka)」(~の上)が2つ連なっていることについては「岩盤のところのその岸」という意味合いで2つつけたのではないか、としている[5]。このため、この解釈に沿った場合「岩盤が川を横切っているところの岸」というような意味合いとなる。
歴史
屈斜路古丹遺跡をはじめ、町内各所に縄文時代の遺跡が残されており、古くより人が暮らしていたことが分かっており、その子孫が現在のアイヌ民族と考えられる。
江戸時代には、テㇱカカ(弟子屈=現在の弟子屈市街)やクッチャロ(屈斜路)などにアイヌが集落を形成して暮らしていたことが松浦武四郎などの記録に残されている。
佐野孫右衛門が政府の許可を受け、1876年(明治9年)から硫黄山の試掘を始める。翌年には採掘を開始したが収益が上がらず、硫黄山は函館の銀行家山田慎によって買収される。 その後所有権は安田財閥の安田善次郎に譲渡され、 1887年(明治20年)から硫黄の採掘を開始。1888年(明治21年)には輸送のために北海道で二番目となる釧路鉄道が硫黄山-標茶間に敷設されたが、乱掘により資源が枯渇し、9年後の1896年(明治29年)には操業を停止した。
1880年(明治13年)には更科治郎が入植し、農業を開始した。
1890年(明治23年)に弟子屈御料地が宮内省御料局札幌支庁川上出張所の所管で発足したが、明治30年代までは空白状態だったとされる[7]。その後、1897年(明治30年)の御料農地編入時に、弟子屈には林業の機関の派出所が併置された[7]。その後、1898年(明治31年)に農業指導者小田切栄三郎が着任。農業と畜産をおこない、多くの移民を受け入れた。
1954年(昭和29年)8月14日、昭和天皇が行幸。弟子屈小学校校庭に弟子屈町奉迎場を設けて迎えた[8]。
営林署は弟子屈の発展の象徴となっていたが、2004年(平成16年)に根釧西部森林管理署の弟子屈事務所(旧弟子屈営林署)は廃止され、2023年(令和5年)8月に弟子屈町中心市街地再構築事業により旧営林署の建物も解体された[7]。
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経済

産業
主要産業は観光と酪農。 摩周湖、屈斜路湖、摩周温泉、川湯温泉が主要観光地で全国から多くの観光客が訪れる。 本州からの移住者も多い。
金融機関
農協
郵便局
- 弟子屈郵便局(集配局)
- 川湯郵便局(集配局)
- 美留和郵便局(集配局)
- 屈斜路郵便局
- 川湯駅前簡易郵便局
宅配便
公共機関
警察
- 弟子屈警察署
- 川湯駐在所
消防
- 釧路北部消防事務組合消防本部
- 弟子屈消防署
- 川湯支署
病院
- JA北海道厚生連 摩周厚生病院
姉妹都市・提携都市
国内
海外
地域
人口
![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
弟子屈町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 弟子屈町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 弟子屈町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
弟子屈町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
- 総数 8,278人(男3,919人、女4,359人)
- 世帯数 3,632世帯
消滅集落
2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[10]。
- 弟子屈町 - 屈斜路湖(国有地)、摩周湖(国有地)、字鐺別、字跡佐登
教育

- 高等学校
- 中学校
- 弟子屈町立川湯中学校
- 弟子屈町立弟子屈中学校
- 小学校
- 弟子屈町立川湯小学校
- 弟子屈町立弟子屈小学校
- 弟子屈町立美留和小学校
- 弟子屈町立和琴小学校
- 大学施設
- 閉校した学校
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交通

空港
かつては町内に遊覧飛行専用の弟子屈飛行場があったが、利用者数低迷のため2009年(平成21年)9月24日で廃止された。
町内からは以下の空港が近い。ただし町内と空港を結ぶ公共交通機関はない。
鉄道
バス
道路
市外局番
- 2005年(平成17年)6月から、市外局番が3桁「015」になった(北海道では札幌「011」以外では初)。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事


文化財
重要無形民俗文化財
- アイヌ古式舞踊 - 弟子屈町屈斜路古丹アイヌ文化保存会
天然記念物
弟子屈町指定文化財
- 仁多獅子舞 - 仁多獅子舞保存会
- 鐺別獅子舞 - (鐺は金へんに當)鐺別獅子舞保存会
- 屈斜路湖マリゴケ
レジャー
- ビラオスキー場(廃止)
- 桜ヶ丘歩くスキーコース
- 乗馬、酪農体験、釧路川源流下り
観光
祭り

- ダイヤモンドダストin KAWAYU(1 - 2月 : 2015年の予定)
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出身またはゆかりの有名人
脚注
関連項目
外部リンク
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