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歴史的な津波の一覧

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歴史的な津波の一覧(れきしてきなつなみのいちらん)では、過去に発生した特筆すべき大規模な津波をまとめる。

日本付近を発生源とする津波

先史時代

  • 紀元前4000年頃 - 三陸地方で巨大津波の跡[注釈 1]
  • 紀元前1500年頃 - 三陸地方で巨大津波の跡[注釈 2]
  • 紀元前1000年頃 - 三陸地方で巨大津波の跡[注釈 3]
  • 紀元前800年頃(BP2860 - 2620)、仙台付近で巨大津波の被害(紀元前1000年頃と同一の可能性)。
  • 紀元前100年頃(BP2030 - 2190)、仙台付近で巨大津波の被害[1][2][3][4][注釈 4]
  • 紀元前後、南海トラフ超巨大地震に因るとみられる巨大津波。高知県土佐市蟹ヶ池では、2011年時点の約2000年前の土層から津波による厚さ50cmを超える堆積物が見つかっており、これは宝永地震(1707年、M8.4 - 8.7、Mw9説もあり)の津波堆積物の厚さ50cm前後をさらに上回る[5][6][7]

奈良・平安時代

  • 684年11月26日(天武13年10月14日) 白鳳地震(天武地震)(南海トラフ巨大地震) - M8.0〜8.3、『日本書紀』によれば土佐で津波によって運調船が流失。日本最古の地震津波記録。死者多数。東海地方でも同時期と思われる津波堆積物が発見される[8]
  • 701年5月8日(大宝元年3月26日) 大宝地震 - 丹波国京都府北部)で大地震。3日間余震と思われる大揺れに襲われたという。京都府の阿蘇海で最大遡上高40m以上の大津波。標高40mの地に当時の津波の碑石(波せき地蔵堂)が残されている[9][10][11][12]
  • 850年11月23日(嘉祥3年10月16日) 出羽地震 - 津波あり。
  • 869年7月9日(貞観11年5月26日) 貞観地震 - 陸奥国地震。M8.3〜M8.6程度と見られ、『日本三代実録』によれば巨大な津波が発生し、多賀城付近まで浸水したとされる[13]
  • 887年8月22日(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ巨大地震) - M8.0〜8.5、五畿七道諸国大震。摂津の津波被害が甚だしかった。
  • 1026年6月10日(万寿3年5月23日) 万寿地震 - 石見国(島根県益田市)の日本海沖で巨大な地震津波が発生し、沿岸の各村落に襲来して未曾有の被害をもたらしたとの口碑がある。益田川沿いにて同時期の津波堆積物と思われる層を確認[14]
  • 1096年12月11日(嘉保3年11月24日) 永長地震(南海トラフ巨大地震) - M8〜8.5、東大寺の巨鐘が落下、『後二条師通記』には駿河で仏神舎屋・百姓400余流失、『中右記』には伊勢で安濃津の民家、津波によって多く損ぜられた[15]

鎌倉・室町・戦国・織豊時代

  • 1241年5月15日(仁治2年4月3日) 鎌倉で地震 - M7、津波を伴い由比ヶ浜大鳥居内拝殿流失。
  • 1293年5月20日(正応6年4月13日) 鎌倉大地震 - 死者23020人。三浦半島の13世紀後半頃と推定される津波堆積物との関連性が指摘されている。
  • 1361年7月26日(正平16年・康安元年6月24日) 正平地震(康安地震)(南海トラフ巨大地震) - M8.0〜8.5、『斑鳩嘉元記』には摂津四天王寺のほとり西浦に津波が打寄せたとあり[16]、『太平記』によれば阿波由岐で甚大な津波被害。土佐でも香美郡田村下庄正興寺の津波記録がある[17]
  • 15世紀頃 - 東北地方太平洋岸に巨大津波の痕跡。1454年享徳地震が候補とされる[18][19]
  • 1498年9月11日(明応7年8月25日) 明応地震(南海トラフ巨大地震) - 東海道沿岸に大津波。駿河の『林叟院』記録には旧林叟院の地は海と成り溺死者2万6千人とあり、伊勢の『内宮子良館記』には大湊で家千間、溺死者5千とある[15]
  • 1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M7.8〜8.1(それ以上の可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録がある。2つの地震が同日発生したとする説がある[20]

江戸時代

  • 1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震 - 『房総治乱記』によれば房総半島で、『円頓寺旧記』によれば徳島県東部で津波による死者多数。津波地震とする説もある[21]。南海トラフの地震ではないとする見方もある[22][23]
  • 1611年12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - 東北の慶長津波(千島海溝沿いを震源とする説あり)、津波地震と推定され、伊達政宗領内で溺死者5,000人[24]仙台平野で内陸を2km溯上したと見られ、『福山秘府』によれば北海道東部沿岸も大きな被害。最古の「津波」という語句の記載(『駿府記』)。
  • 1640年7月31日寛永17年6月13日 (旧暦) - 岩なだれと津波により溺死者700名以上、船舶100余隻に被害[25][26][27]
  • 1677年4月13日20時頃(延宝5年3月12日戌刻) 八戸沖(三陸沖)地震
  • 1677年11月4日(延宝5年10月9日) 延宝房総沖地震 - M8.0程度。地震動による被害は確認できず津波地震と見られており、主に津波による死者569人。
  • 1703年12月31日(元禄16年11月23日) 元禄関東地震 - M8.2程度。津波の高さは8m以上。20m遡上したと考えられる地点もあり[28]。津波が犬吠埼から下田までを襲い、数千人が犠牲となった。もともと湖であった伊豆大島の波浮港がこの津波で海とつながった[注釈 5]
  • 1707年10月28日(宝永4年10月4日) 宝永地震(南海トラフ巨大地震) - M8.6程度。津波は伊豆半島から九州までの太平洋岸から瀬戸内海にまで及んだ。死亡者20,000人、流失家屋20,000戸。土佐湾沿岸各地が亡所(『谷陵記』)。大坂では津波が安治川木津川を遡り2万人以上の犠牲者を出したとする記録も有る[29]。紀伊半島、遠州灘も著しく、潮岬の無量寺、東海道の新居関所などが流失。49日後に富士山が噴火[30]
  • 1763年1月29日16時頃(宝暦12年12月16日申刻) 八戸沖(三陸沖)地震
  • 1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - 石垣島で死者・不明者12,000人。多良間島宮古島でも大津波で被害。津波の遡上高は『大波之時各村之形行書』の記録から約85mとされてきたが、近年の科学的分析によると約30-40mとされる。津波地震とする説あり。
  • 1793年2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震 - 宮城沖に発生した地震で、岩手県中部〜牡鹿半島沿岸に3-5mの津波[31]。大船渡で9尺、死者1,213人。
  • 1833年12月7日14時頃(天保4年10月26日昼八ツ時) 出羽・越後・佐渡地震、庄内沖地震、天保四年羽前沖地震 - 輪島で7.2mの津波[32][33]
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ディアナ号

明治・大正・昭和・平成・令和時代

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津波によって周辺一帯が浸水した宮城県仙台市宮城野区沿岸部(2011年3月12日撮影)
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日本国外を発生源とする津波

要約
視点
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タイ南部にある観光地[注釈 6]の海岸線付近に達して人々を襲う、スマトラ島沖地震の津波。
当時はまだ津波の脅威について世界的認知度が低く、無防備な状態で被災した人が大勢いた。2004年12月26日撮影。
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上に同じく、モルディブの海岸線に到達したスマトラ島沖地震の津波と、それを傍観する人々(2004年12月26日撮影)。

※津波の到達時刻は地域によってまちまちであるため、基本的に、ここで示す日付けのうち、月日は地震および津波の発生時(現地時間)を表す。

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噴火・山体崩壊に伴う津波

  • 1883年8月27日 - インドネシアの旗 インドネシアクラカタウ火山噴火による津波。噴火により噴出した火山灰・岩石・噴煙が上空20,000メートル以上にまで到達、噴火によって発生した津波も含め犠牲者数36,000人以上[58][26]。島の北部約3km四方が崩壊し、インド洋、太平洋に津波が波及。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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