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南海トラフ巨大地震
南海トラフ沿いが震源域と考えられている巨大地震 ウィキペディアから
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南海トラフ巨大地震(なんかいトラフきょだいじしん)は、フィリピン海プレートとユーラシアプレート(アムールプレート[注 2])とのプレート境界の沈み込み帯である南海トラフ沿いを震源域とする巨大地震[2][3]。約100年〜150年に一回の間隔で発生しており、時に超巨大地震となることもある[4][5]。南海トラフ沿いの巨大地震(なんかいトラフぞいのきょだいじしん)とも呼ばれる[6][7][8]。

南海トラフでは昔から東海地震、東南海地震、南海地震の3つの大地震が繰り返し発生しており、2000年代にはこれらの3つが連動して起きる連動型地震に付いての想定がなされてきた(東海・東南海・南海地震)。しかし、2011年に発生したMw9.0の東北地方太平洋沖地震は、これまでの想定を超える規模の地震が南海トラフでも起こりうる可能性を浮き彫りにし、M9クラスを想定範囲に入れた南海トラフ巨大地震として想定を見直すこととなった。また南海地震の西側、南海トラフの西端の日向灘では日向灘地震が繰り返し発生しており、南海トラフ巨大地震では3連動地震に加え、日向灘地震も想定震源域に含んで想定している。
また、2011年8月に内閣府に設置された「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が検討を行っている、南海トラフ沿いで発生すると想定[9][10]される最大クラスの地震も南海トラフ巨大地震と呼称され、また南海トラフ地震(なんかいトラフじしん)とも略称され、本項でもそれを基に解説している。
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南海トラフの地震の特徴と「地震像」
要約
視点

この南海トラフ巨大地震による被害については、超広域にわたる巨大な津波、強い揺れに伴い、西日本を中心に、東日本大震災を超える甚大な人的・物的被害が発生し、我が国全体の国民生活・経済活動に極めて深刻な影響が生じる、まさに国難とも言える巨大災害になるものと想定される。—中央防災会議、2012年[11]
南海トラフの地震は、約90 - 150年(中世以前の発生記録では200年以上)の間隔で発生し、東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が毎回数時間から数年の期間をおいてあるいは時間を置かずに同時に3つの地震が連動していること(連動型地震)が定説だった。一方で、1605年慶長地震は南海トラフを震源とすることに異論が出されており、南海トラフの地震は200年程度の間隔で発生すると考えるのが自然な姿であるという見解も存在する[12]。最も新しい昭和の地震は地震計による観測記録、それより古い地震は地質調査や文献資料からそれぞれ推定されており、今後も同じような間隔で発生すると推測されている。いずれもマグニチュードが8以上になるような巨大地震で、揺れや津波により大きな被害を出してきた。
なお、その後の研究により、地震が起こるたびに震源域は少しずつ異なることがわかった。例えば、同じ南海道沖の地震でも1854年安政南海地震は南海道沖全域が震源域となったのに対して、1946年昭和南海地震は西側4分の1は震源域ではなかったと推定されている[13]。また一方で東京大学地震研究所の瀬野徹三は、東海・東南海・南海といった3地震の分類を変える必要を挙げ、南海トラフの東端の震源域(東南海の一部および東海)と連動して静岡付近まで断層の破壊が進む「安政型」、その震源域と連動せず静岡までは断層の破壊が起きない「宝永型」の二種類に分類することができるという説を唱えている[3]。
1498年明応地震以降は文献資料が豊富で発生間隔も100年前後で一定していると考えられてきた(下の南海トラフの地震の発生領域(従来説)の図表)。しかし、それ以前は東海道沖の地震の発生記録がほぼないほか、1361年正平地震以前の間隔は記録に欠損があり、例えば13世紀前半と見られる津波や液状化の痕跡は複数の箇所から発見されており、記録を補うものと考えられている一方で、1096年永長地震以前は確かな証拠は無く津波堆積物の研究から100年と200年の周期が交互に繰り返されているとする説もある[14]。液状化跡は内陸局地地震の可能性や推定年代幅の問題もあるため、なおの検討が必要である[15]。他方、地震連動の発生の様子をプレートの相対運動やプレート境界の摩擦特性からシミュレーションする試みもあり、連動性は再現されたが地震発生間隔などが歴史記録と一致しない点もある[16][17]。
南海トラフ全域をほぼ同時に断層破壊した地震は規模が大きく、1707年宝永地震は日本最大級の地震とされている。1854年安政地震は昭和地震より大きかったが[18]、宝永地震は安政地震よりさらに大規模であった。例えば須崎(現・高知県須崎市)では安政津波は5 - 6m地点に留まっているが、宝永津波は標高11m程度の地点、場所によっては18m地点まで達した[19]。土佐藩による被害報告では安政地震で潰家3,082軒・流失家3,202軒・焼失2,481軒に対し、宝永地震では潰家5,608軒・流失家11,167軒と格段に多くなっている[20]。安政津波で壊滅し亡所となった集落は土佐国で4箇所であるが、『谷陵記』に記された宝永津波の亡所は81箇所にも及んだ[21]。21世紀に入ってからの研究により、高知県土佐市蟹ヶ池に宝永地震による特大の津波堆積物が見出されたが、この宝永地震と同様に津波堆積物を残す規模の地震痕跡は300 - 600年間隔で見出されることが分かった。さらに、宝永地震よりも層厚の約2,000年前と推定される津波堆積物が見出され、宝永津波より大きな津波が起きた可能性が指摘されている。
また、昭和南海地震でも確認されたように、単純なプレート間地震ではなく、スプレー断層(主な断層から分かれて存在する細かな分岐断層)からの滑りをも伴う可能性も指摘され、南海トラフ沿いには過去に生じたと考えられるスプレー断層が数多く確認される[22]。一方、震源域が広いと顕著になる長周期地震動の発生も予想され、震源域に近い平野部の大都市大阪や名古屋などをはじめとして高層ビルやオイルタンクなどに被害が及ぶ危険性が指摘されている[23]。これらに関連して、古文書にはしばしば半時(はんとき、約1時間)に渡る長時間強い振動が継続したと解釈できるような地震の記録が見られるが、これは大地震に対する恐怖感が誇張的な表現を生んだとする見方もある一方、連動型地震のように震源域が長大になれば破壊が伝わる時間も長くなり、そこからまた別の断層が生ずるなど長い破壊時間をもつ多重地震となって、本震後の活発な余震なども相まって実際の揺れを表現したものとする見方もある[24][25]。
以上のように南海トラフにおける海溝型地震は、繰り返し起こる「再帰性」と複数の固有地震の震源域で同時に起こる「連動性」が大きな特徴となっている。さらに、南海トラフは約2000万年前の比較的若いプレートが沈み込んでおり、薄くかつ温度も高いため、低角で沈み込みプレート境界の固着も起こりやすく、震源域が陸地に近いので被害も大きくなりやすい[26]。南海トラフにおける、フィリピン海プレートとユーラシアプレート(アムールプレート)とのプレート間カップリングは100 %に近くほぼ完全に固着し、1年に約6.5cmずつ日本列島を押すプレートの運動エネルギーはほとんどが地震のエネルギーとして開放されると考えられている。しかし紀伊半島先端部の潮岬沖付近に固着が弱く滑りやすい領域があり、1944年昭和東南海地震、1946年昭和南海地震はいずれもこの付近を震源として断層の破壊がそれぞれ東西方向へ進行したことと関連が深いと見られている[27]。
また。この地震により発生するとされる災害を「東日本大震災」に倣い「西日本大震災」と呼称する場合がある[28][29]。京都大学大学院人間環境学研究科の鎌田浩毅教授も南海トラフ巨大地震が相模トラフ巨大地震を引き起こすと想定し、この2つの連動型地震を“スーパー南海地震”と呼称している[30]。2011年3月の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生後南海トラフ巨大地震への懸念が浮上したことを受けて、日本政府は中央防災会議に「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」を設けて対策検討を進めた。同ワーキンググループは2012年7月にまとめた中間報告において、南海トラフで想定される最大クラスの巨大地震を「東日本大震災を超え、国難ともいえる巨大災害」と位置づけている[31][11]。
土木学会は2018年6月7日、発生後20年間の被害総額が最大1410兆円に達する可能性があるとの推計を発表した[32]。
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地震発生確率
要約
視点
時間予測モデルを用いる場合




「時間予測モデル(time predictable model)」は地震による変位量と次回の地震までの回復時間が比例するというモデルであり、これに相対する「すべり予測モデル(slip predictable model)」は前回の地震からの歪蓄積時間と地震による変位量が比例するモデルである。しかしどちらのモデルも不完全であることは明白であるとされる[33]。
多くの断層は弱いながらも時間予測モデルに従う傾向があり、1977年に島崎邦彦は南海トラフ沿いの地震についても時間予測モデルが適用できるのではないかと考えた[34][35]。
次に発生する可能性のある地震として、従来よりも幅広くM8 - 9クラスの地震を対象としている。高知県室津港の歴代南海地震(宝永・安政・昭和)における隆起量と、発生間隔との関係に基づく「時間予測モデル」[34][35][36]を元にすると、次回のM8クラスの地震は昭和南海地震から88.2年後と推定され、これを元に下記の確率が計算された。
室津港の昭和南海地震における隆起量は、潮位の変化から求められた115 cm(津呂)[40]、安政南海地震は室津港を管理していた港役人である久保野家の記録にある四尺(1.2 m)[41]、宝永地震は久保野家の記録にある地震前と地震52年後の水深の差である五尺 (1.5 m)[41]を52年間の変動で補正した値である1.8 mが推定されている[34]。
時間予測モデルによって推定される88.2年を平均活動間隔にあてはめ、正平から昭和に至るまでの活動間隔のバラつきから最尤法で求めた変動係数(標準偏差)αの値は0.20であり、データが少ない点を考慮してαを0.20 -0.24とした。確率密度関数としてBPT(Brownian Passage Time)分布を用いて30年以内の発生確率が計算された[36]。
次に最大クラス(M9超)の地震が発生する可能性もあるが、その発生頻度は(古いものも含めて)100 - 200年間隔で発生している地震に比べて「1桁以上低い」とされた[42]。
時間予測モデルを適用することについて以下の問題点が指摘されている[43]。
- 南海トラフ沿いの巨大地震の震源域に多様性が認められるにもかかわらず室津港の隆起のみで評価できるか。
- 隆起量がそれを回復する時間に比例するならば、平常時の室津港の沈降速度は13mm/年となるが、水準測量による沈降速度5-7mm/年と大きく異なる。
- 島崎邦彦が時間予測モデルが適用できると挙げている地震は昭和南海地震の他、宝永と安政の2つの地震のみである。白鳳地震以降から適用するなら時間予測モデルは成立していないとの指摘もある[44]。
また、ある地震(この場合、南海トラフの地震)が他の地震に誘発される場合があるならば、発生時期が誘発で拘束されるため時間予測モデルは成立しない[45]。
地殻変動量に用いられた室津港の水深の変化の誤差が考慮されておらず、また地震前の水深の計測日が不明など久保野家の記録を用いた変動量そのものに疑義があり、問題点が多く指摘されているにもかかわらず、あたかも科学的な判断のみで結論されたと見做される状況を招いたとの批判がある[46]。
発生間隔のみで評価する場合
また、他のプレート境界地震の評価と同じく発生間隔のみを用いて評価する方法もあるが、これも異論のある1605年慶長地震を南海トラフの地震として含めるか否か、また684年白鳳地震以降のすべての地震の年代を用いるか、1361年正平地震以降か、確実な1707年宝永地震以降とするかによっても平均発生間隔は大きく異なる。ここで安政や昭和のように東西で分かれて発生した場合は1サイクルとして扱っている[47]。
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歴史
要約
視点
→「日本の地震年表」も参照

歴史記録からは、南海トラフ沿いの東半分および西半分の震源域が、時間差、またはほぼ同時に連動して発生したと推定されるが、南海トラフの地震の内、煤書きの地震計記録など辛うじて機器観測の記録が存在するのは昭和地震のみであり[48][49]、詳しい歴史史料が残り、ある程度震源域を特定できるのは江戸時代以降の安政地震および宝永地震までである。これより前に発生した地震については、史料も乏しく断片的なものに限られ[50]、その震源域については諸説ある。また、慶長地震は南海トラフの地震としては疑わしいとする意見が出され、康和地震も南海道沖の地震とする説に疑義が出されている。古村(2015)は、南海トラフの地震の発生時期を見直し、確実なものに限ると、東海道沖側では平均180年間隔、南海道側では平均252年間隔となるとしている(下の南海トラフの地震の発生領域〈見直し後〉の図表を参照)[51]。
従来は震源域が、南海地震・東南海地震・東海地震、或いはA(土佐海盆)・B(室戸海盆)・C(熊野海盆)・D(遠州海盆)・E(駿河湾)のセグメントに区分されてきた[52][注 3]。なお、南海地震はA(土佐海盆)・B(室戸海盆)、東南海地震はC(熊野海盆)・D(遠州海盆)、東海地震はE(駿河湾)における地震に概ね該当する。しかし、宝永地震はA(土佐海盆)の南西側に位置する日向海盆における日向灘地震も連動した可能性が指摘され[53]、また単なる3連動地震ではない別物の巨大地震との説も浮上している[54]。1498年の明応地震は南海地震と日向灘地震が連動した可能性も指摘されている。
Z 日向海盆 | A 土佐海盆 | B 室戸海盆 | C 熊野海盆 | D 遠州海盆 | E 駿河湾 | 連動時の間隔 | ||||
石橋(2002)による 発生領域 ■:確実 ■:確実視 ■:可能性がある ■:説がある ■:津波地震 |
684年 白鳳地震 | 同時期[56] | ||||||||
887年 仁和地震 | 同時期[56] | |||||||||
1096/1099年 永長・康和地震 | 2年2カ月間隔[56]あるいは同時[57][58] | |||||||||
1361年 正平(康安)地震 | 同時期[56][59]あるいは2日間隔[60]など | |||||||||
1498年 明応地震 | 同時あるいは近い間隔[61] | |||||||||
1605年 慶長地震 | 不明[56][62] | |||||||||
1707年 宝永地震 | 同時[63] | |||||||||
1854年 安政地震 | 32時間間隔[64] | |||||||||
1944/1946年 昭和地震 | 2年間隔[65] |
Z 日向海盆 | A 土佐海盆 | B 室戸海盆 | C 熊野海盆 | D 遠州海盆 | E 駿河湾 | 地震サイクルの再来間隔 | |||||
南海道沖 | 東海道沖 | ||||||||||
古村(2015)による 発生領域 ■:確実 Template:C\Color:可能性がある |
684年 白鳳地震 | - | |||||||||
887年 仁和地震 | 203年 | 203年 | |||||||||
1096年 永長地震 | 474年 | 209年 | |||||||||
1361年 正平(康安)地震 | 265年 | ||||||||||
1498年 明応地震 | 346年 | 137年 | |||||||||
1707年 宝永地震 | 209年 | ||||||||||
1854年 安政地震 | 147年 | 147年 | |||||||||
1944 / 1946年 昭和地震 | 92年 | 90年 |
年表
地震調査委員会(2013年)により巨大地震の震源域とされた南海トラフ地域を震央とする地震のうち、東海地震・東南海地震・南海地震の震源域で発生した可能性がある9サイクルの巨大地震[13]を示した。参考として、その前後に発生した西南日本内陸の大地震や火山噴火、および近隣地域のプレート間巨大地震のほか、しばしば地震の前後に発生する富士山や伊豆諸島の火山噴火を記した。
- 出典:日付・震源・規模・震度など被害以外の要素については、1922年以前は日本地震学会[66]、1923年以降は気象庁[67]による。被害については、文章毎に注記しているが、主に日本地震学会[66]と地震調査委員会(2013年)[56]を参考として他の出典から加筆した。
- 地震発生年月日の欄の日付は、慶長地震以降はグレゴリオ暦、明応地震以前はユリウス暦(カッコ内はグレゴリオ暦)。
![]() | 西暦換算に関する注意
|
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予想と研究
要約
視点
1900年代の初め東京帝国大学の教授であった今村明恒は過去の歴史記録にある、仁和地震、宝永地震など五畿七道大地震はいずれも津波を伴い南海道沖を震源域とする巨大地震と考え、歴史的に繰り返されてきたことを論じている[143][144]。更に、今村は1928年に南海地動研究所(現・東京大学地震研究所和歌山地震観測所)を私費で設立した。沢村武雄(1951)は、昭和南海地震発生後に行われた水路部による測量の結果から、四国南部の野根・安田・下田・月灘を結ぶ線を境とする南東上りの傾動が明らかになり、歴史地震で知られている室戸岬の隆起および高知平野の沈降を伴う地殻変動とほぼ一致しているとした。また、白鳳から昭和に至る共通の性質を有する歴代南海道沖地震の震源が、潮岬沖から足摺岬沖へかけて続く大規模な北傾斜の断層線上に並ぶことから、この衝上断層を「南海スラスト」と名付けた[40][145][146]。その後、1960年代にプレートテクトニクスが発展し、金森博雄(1972)は昭和東南海・南海地震の震源断層モデルを求め、これらの地震が南海トラフのプレート境界で起こっていることを明らかにした[147]。
2003年時点の「東南海、南海地震等に関する専門調査会」による検討では、今後発生が予測される南海トラフの地震のうち最大のものはマグニチュード8.7、破壊領域は長さ600km程度の3連動である東海・東南海・南海地震とされていた[148]。しかし、2011年東北地方太平洋沖地震発生後、この想定は見直されることとなった。この3つの地震が一挙に起きた場合、また安政地震のように短い間隔で起きた場合は、太平洋ベルト全域に地震動による被害が及び、地域相互の救援・支援は実質不可能となると見られており、早急に地方自治体は連動型地震を視野に入れた災害対策を講じる必要があるとされている。2010年の防災の日には初めて3地震の連動発生を想定した訓練が実施されている[149]。
津波は、東海地震、東南海地震、南海地震の3つの地震が生じた場合、または数分 - 数十分の時間差を置いて連動発生した場合、波の高さが重なり合って土佐湾西部と東海沿岸のいくつかの狭い範囲で10m近い高さに達することがあるとシミュレーションされている。とくに浜岡原発にも近い御前崎付近では同時発生の時に比べて、海上波高が2倍以上となり11mに達することがあるという[150]。また、この連動型地震はさらに数百年に1回、震源域が日向灘まで伸びて、津波が九州佐伯市に押し寄せていた可能性が指摘されている(4連動型:日向灘の地震については日向灘地震も参照)。1707年の宝永地震がそれに当たり、再び起きた場合、津波高の想定は、九州太平洋沿岸で従来予想2m付近から最大で8m級に、四国南端部の土佐清水市で従来6m級から10m以上になる可能性がある。加えて、瀬戸内海まで津波が入り込む恐れもあるという[151]。
さらに1605年慶長地震を引き起こしたと考えられた、通常の3連動地震の震源域より沖合いの南海トラフにかなり近い領域(プレート境界のうち浅い部分)においても、これらの連動型地震と連動してほぼ同時に地震が発生することで、M9クラスの超巨大地震になる可能性が指摘されている[152][153]。このような広域連動型地震が発生した場合、津波の高さも3連動である東海・東南海・南海地震(従来宝永地震タイプとされていた)の1.5倍から2倍になる可能性があるという[154][注 9]。ただし、慶長地震は南海トラフが震源でないとする見解もあり[12]、また、日本海溝と異なり南海トラフは陸側と海溝側の二重の震源域のセグメントとなる証拠はないとされる[155]。

大分県佐伯市の間越龍神池では3300年前までの地層中に8枚の津波堆積物が発見されており、特に大規模な地震のみが津波堆積物を残したと考えられる。有史以来ではこのうち3枚であり、新しいものから1707年宝永地震、1361年正平地震、684年白鳳地震に対応すると推定されている[156]。また、高知県土佐市蟹ヶ池で見つかった津波堆積物から、宝永地震の時の砂の厚さ以上の粗粒な砂を運ぶ津波が約2000年前に発生していたと推定されており[8][69][157]、M9クラスの超巨大地震による可能性が指摘されている[158]。さらに、年代は不明であるが愛知県知多半島南部の礫ヶ浦礫岩層に見られる巨礫を移動させた津波の痕跡から数値を復元した結果、M9クラスの超巨大地震が発生した可能性も推定されている[159]。
この他、南海トラフから琉球海溝まで全長1,000kmにも及ぶ断層が連動して破壊されることで、非常に細長い領域におけるM9クラスの連動型地震、あるいはM9クラスの二つの超巨大地震が連動して発生する可能性も近年では指摘されている[152][153]。この場合の震源域の全長は2004年スマトラ島沖地震に匹敵するもので、過去には平均1700年間隔で発生していたとする説もある。これは御前崎(静岡県)、室戸岬(高知県)、喜界島(鹿児島県)の3カ所の海岸に残されていた、通常の南海トラフ連動型地震による隆起予測と比べて明らかに大きな隆起地形から推定されている[160]。一方でこの大きな隆起の痕跡の発見者らはプレート境界の巨大地震ではなく、分岐断層あるいは海底活断層による内陸地殻内地震と分類される活動によるものとしている[161]。
文部科学省の委託を受けて、東京大学、東北大学、名古屋大学、京都大学、海洋研究開発機構が「東海・東南海・南海地震の連動性評価研究プロジェクト」[162]を2008年度から2012年度まで実施中で、2012年2月には想定震源域に直接設置する海底地震計や圧力計(津波計)の観測機器に電力を供給し、観測データを送信するための地上局の立地場所が決定された[163]。
2012年1月、東京大学と海洋開発研究機構の研究グループは、紀伊半島沖の東南海と南海の震源域にまたがる長さ200km以上、高さ500m-1kmの分岐断層を発見したと発表した。これは東南海・南海の過去の連動の証拠だとされている。また、地震の際に津波を増幅させるもので、同時に活動した場合に大きな津波が発生する可能性があるとされている[164][165]。
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想定
要約
視点
内閣府
2025年に内閣府のワーキンググループが発表した被害想定では、いずれも最悪の場合で死者が約29.8万人、家屋の全壊・焼失が約235.0万棟となっている。これは2014年度の中央防災会議における想定から死者数が10%、家屋の被害が6%程減少している[166]。
→「東海・東南海・南海地震」も参照
地震調査委員会
政府の地震調査委員会は2022年1月、南海トラフ巨大地震の40年以内の発生確率を「90%程度」とした[167]。翌2023年1月、マグニチュード8~9級の巨大地震が20年以内に起こる確率は「60%程度」と発表している[168]。
南海トラフの巨大地震モデル検討会
2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震を受け、内閣府の中央防災会議は想定を再検討するため「南海トラフの巨大地震モデル検討会」を設置し、同年12月の検討会による中間報告では[169]、南海トラフ連動型の最大クラスの地震・津波の想定がなされ、M9.0との暫定値が発表された(従来は最大M8.7)。座長の阿部勝征[注 10]は、想定の地震が起きれば「巨大西日本地震」となると述べた[170][171][172]。
検討には古文書・津波堆積物などの研究結果が用いられ[注 11]、想定される震源域は、南西側は日向灘より南西の九州・パラオ海嶺の北側(日向灘地震の震源領域含む)まで、内陸側は四国のほとんどを含む陸域[注 12][注 13]、北東側は富士川河口断層帯(静岡県)北端まで含め、長さは750km、面積は約11万平方kmとなり、従来の約6万平方kmからほぼ2倍になる。想定される波源域も南海トラフ寄りの深さ約10kmの浅い領域に大すべり域、超大すべり域を設定し[注 14]、地域によっては従来の想定より2倍程高くなった[170]。この海溝寄りに大すべり域を設定した津波断層モデルは、駿河湾から紀伊半島、紀伊半島沖、四国沖、日向灘の内、1ヶ所または複数の大すべり域を設定した11種のパターンが想定され、津波断層モデルを含むモーメントマグニチュードはMw 9.1とされた[174]。
阿部は、東北よりも人口が多いため、東日本大震災での被害とは異なるとした[175]。
2012年3月、同検討会は最大クラスの地震による震度分布・津波高の想定を公開した[176]。地震動については、震度6以上の揺れの地域は従来の国の東南海・南海地震などの想定に比べて2倍近くに増えた24府県の687の市町村で想定され、さらに名古屋市、静岡市、和歌山市、徳島市、宮崎市などを含んだ10県153市町村では震度7が想定されている。津波については、東北地方太平洋沖地震以降に自治体が行った独自想定を上回る例があり、徳島県阿南市では県の想定の5.4mの3倍近い16.2m、三重県志摩市では県の想定の15mに対して24m、同尾鷲市では13mに対して24.5mとなった。独自想定を行っていた9府県では改めて想定や災害対策が検討されることになっており、その他の自治体でも対策の見直しを迫られることになる。検討会は原子力発電所の設置・建設計画がある4箇所について津波高の最大値を公表し、静岡県御前崎市の中部電力・浜岡原子力発電所では、地震による地盤の隆起2.1mを考慮しても付近の最大津波高は21m、市の最大震度は7で、中部電力の想定津波高を越えた[177]。愛媛県伊方町の四国電力・伊方原子力発電所付近では最大津波高さは3m、町の最大震度は6強、茨城県東海村の日本原子力発電・東海第二原子力発電所付近では最大津波高が2.6m、村の最大震度は4、山口県上関町の中国電力・上関原子力発電所の建設を計画している付近では、津波の高さが2.9m、町の最大震度は6弱が想定されている[178]。
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地方自治体など
2011年10月の三重県によるM9連動地震の想定[179][180]では、津波は熊野市二木島で高さ19mとなり[注 15]、防潮堤が機能すれば130km2が高さ2mで浸水、防潮堤が機能しない場合319km2が浸水する。防潮堤点検結果によると、空洞化している部分が少なくとも138カ所あるため対策が急がれている[注 16][181]。震源が近く初期微動時間が少ない熊野市・尾鷲市・紀宝町などでは、地震から津波の到達まで3 - 4分しかなく、避難時間確保のためにも防潮堤の復旧が大事である[注 17]。
2011年12月の徳島県の報告[182]によると、浸水面積は従来の想定の73km2から159km2と2倍以上に拡大し、美波町阿部漁港奥の20.2mをはじめとして海陽町宍喰海岸で19mなど最大津波高も高くなった。内陸部の徳島市富田地区(高さ1-2m)や北島町などが新しく津波浸水地域に指定された[183]。20cmの津波の到達時間は、牟岐町牟岐漁港湾口で3分、徳島市のマリンピア沖洲東端で32分とされ、最大の高さの津波が来る時間は30分から90分後とした[184][182]。
2012年5月の高知県の報告[185][186]によると、黒潮町34.4m(佐賀支所の浸水14.5m、高知市14.7m(市役所の浸水1.5m、浸水域東西20km・南北10km、最大浸水4m)の津波が予想された。高知空港全域も浸水し、最大7.5mになるという[注 18]。
南海トラフ巨大地震で、震度6以上か3m以上の津波が想定される市町村の人口は約5,900万である(東日本大震災での被災者人口は750万人)[187]。
2018年3月、永松伸吾関西大学教授と宮崎毅九州大学准教授は、発生後5年間の国と自治体の復興費用を162兆円と見積もった。これは東日本大震災の32兆円や平成29年度の国の一般会計予算97兆円をはるかに上回る。
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警戒態勢
→「南海トラフ地震に関連する情報」も参照
- 東日本大震災を踏まえ2013年に堤防の耐震化計画を策定、2023年に20.3kmの耐震化が完了した[188]。
- 気象庁は東海地震に限定していた警戒体制(東海地震に関連する情報)を改めて、2017年11月1日に「南海トラフ地震に関連する情報(臨時および定例)」の運用を開始[189][190]。さらに2019年5月31日には「南海トラフ地震臨時情報」および「南海トラフ地震関連解説情報」に改められた[191]。想定震源域での大規模地震そのものの発生だけでなく、ひずみ計の変化にも留意する。
「南海トラフ地震臨時情報」では以下のキーワードで情報発表が行われる[189]。
- 巨大地震警戒
想定震源域内のプレート境界でモーメントマグニチュード8.0以上の地震が発生したと評価した場合。-安政東海地震の32時間後に安政南海地震、昭和東南海地震の2年後に昭和南海地震が発生した事例あり。
- 巨大地震注意
監視領域内でモーメントマグニチュード7.0以上の地震が発生したと評価した場合。-東北地方太平洋沖地震の2日前にM7クラスの地震が近辺で起こった事例から。想定震源域内のプレート境界で通常とは異なるゆっくり滑りが発生したと評価した場合。2024年8月8日に日向灘にて発生したM7.1の地震を受けて運用開始後初めて発表された。
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地震と地形
要約
視点


フィリピン海プレートの沈み込みによりユーラシアプレートは圧縮応力を受け続け、地震により応力が開放された結果、地殻変動は南東上がりの傾動を示す。御前崎、潮岬、室戸岬および足摺岬は東海・南海地震の度に隆起し、地震後から次回の地震までゆっくりと沈降して回復するが、トータルでは隆起がやや上回る[192]。室戸岬に見られる隆起による海岸段丘や、高知付近の沈降地形は長年に亘る南海地震の繰り返しにより形成された[193]。室戸岬や足摺岬に見られる段丘が現在の高さになるには約15万年の年月がかかる計算となり、南海トラフ沿いの地震は有史以前から幾度となく繰り返されてきたことが窺われる[194]。地球深部探査船「ちきゅう」による紀伊半島沖の掘削調査により南海トラフ沿いの巨大地震は195万年前の断層活動に遡り、155万年前にほぼ現在のような活動が始まったとする推定結果も出されている[195][196]。
規模の大きな地震により段丘が形成され、最も下にある最新のものは18世紀初頭、すなわち宝永地震の際に生成したものであり、次は平安時代の終わり頃、奈良時代と平安時代の間頃と続く[148]。日本史上最大級といわれた宝永地震も地質時代を通じた歴史の中では一介の地震に過ぎない。一方で、室戸岬の地形は西南日本外帯の東西圧縮による南北に軸をもつ波状構造と、フィリピン海プレートの北西進による運動が同時進行している結果であるとされ[197]、大規模な隆起についてはプレート境界の断層活動よりは、むしろプレート境界から枝分かれした陸地に近い分岐断層によるものと考えられている[161]。御前崎で見出された約7000年間に4回とされる大規模な隆起の痕跡もプレート内の断層活動による可能性が高いとされる[198][199]。
富士川河口付近では長年の断層による変位を伴う地震活動の繰り返しの結果、富士川河床に露出した13800年前の溶岩は東側の富士市では地下100mに埋もれている程のギャップを生じている。これも東海地震の度に生じた断層活動の累積の結果である[200]。東海地震や南海地震の度に高知付近や遠州灘沿岸は地盤の沈降が見られたが、例えば浜名湖は沈降したところに津波が襲うことを繰り返すことにより形成された湖であると推定される[201]。高知平野などは地震の度に沈降し、沈降後に堆積作用が働いた沖積平野である。また須崎の東側の横浪三里は沈降地形であるリアス式海岸である。このようなリアス式海岸は志摩半島、紀伊水道両岸、宇和海沿岸および佐賀関南側に広く分布し、地震の度に沈降の見られる地域に一致する[202]。
さらに南海トラフに平行して西南日本外帯には赤石山脈、紀伊山地、四国山地と高峰が連なり、例えば御前崎から赤石山脈にかけて波曲しながら階段状に次第に高度を上げる地形が見られる。このような地形はフィリピン海プレートの沈み込みによりユーラシアプレート上の大地が圧縮を受け褶曲活動の結果、もたらされたものである[203]。さらにフィリピン海海底からもたらされた付加体がこれらの山地の形成に関わっている[204]。国土地理院のGEONET測量により、普段は東海地方、紀伊半島中央部、四国中央部および九州東部は隆起し、他方、御前崎、潮岬、室戸岬および足摺岬は沈降と地震による地殻変動とは逆の上下変動が示された。また、GPS解析により南海トラフ巨大地震震源域ではプレート境界の滑り遅れが見られ、固着域の存在と次期地震への準備が着実に進行しつつあることが示された[205][206]。プレート間固着による年間約6cmプレート境界の滑り遅れ、すなわち陸側プレートの引きずり込みによる海底の西北方向への移動は海上保安庁による観測からも裏付けられた[207]。
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日本近海における類似の連動型地震
→「連動型地震 § 日本近海」を参照
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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