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渡辺真知子
日本の女性シンガーソングライター (1956-) ウィキペディアから
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渡辺 真知子(わたなべ まちこ、1956年〈昭和31年〉10月23日[1] - )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。本名:渡邉 真知子(読み同じ)。神奈川県横須賀市出身[1]。緑ヶ丘女子高等学校[4][5]、洗足学園短期大学音楽科卒業[1]。
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概要
1977年にCBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ)からデビュー[1]。1970年代後半のニューミュージックブームの中で、松任谷由実や中島みゆきなどの次世代の女性シンガーソングライターとして活躍する。声楽科出身の豊かな声量でデビュー直後から数々のヒット曲を生み出した。伸びのあるパワフルな歌唱と、明るい中にも哀愁を漂わせた曲調を持ち味とする。
フォークソング全盛時代には「シンガーソングライターはテレビに出て歌わない」という風潮があったが、それ以前の世代(1960年代から1970年代)のフォーク・ニューミュージック系のアーティストとは異なり[6][7][8]、先行するChar、原田真二、世良公則&ツイストの「ロック御三家」と共に[8]、従来は歌謡曲中心だったテレビやラジオの音楽番組に積極的に出演した[8][9]。1978年の第29回NHK紅白歌合戦では、新しい音楽界の流れを受けて設けられたニューミュージック・コーナーに、原田真二、世良公則&ツイスト、庄野真代、サーカス、さとう宗幸とともに出演[2]。
デビュー当時はその容姿からアイドル歌手に近いような扱いを受けることもあった。
天真爛漫な人柄で知られ、テレビ・ラジオ出演時の軽快なトークで人気を集めた。芸術家肌のアーティストが多かった当時のシンガーソングライターには珍しくマルチタレントとして活動、女優として映画やテレビドラマに出演したり、ラジオパーソナリティとしても活動している。
編曲は、初期は船山基紀が一手に引き受けた。歌謡曲的な要素もふんだんに取り入れたシングルは、ニューミュージックの歴史の中でも代表的な作品群であり、同時に船山にとっての代表作ともなっている。また、デビュー時のバックバンドのバンドマスターは羽田健太郎であった。
歌詞やアルバムタイトルには、出身地の横須賀や海と港町の風景をテーマとしたものが多い。第20回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した『かもめが翔んだ日』は渡辺の代表曲として知られ、個人事務所やオフィシャルウェブサイト、公式ファンクラブの名称にも、シンボルとして「かもめ」の名が用いられている。
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人物
血液型はB型[1]。デビュー当時、父親は神奈川県立青少年センターの館長[3]、兄は横須賀信用金庫に勤務と[3]、比較的カタい家庭に育った[3]。幼稚園でオルガン、小学校時にピアノを習う[3]。中学に入ると6つ上の兄の影響で中学ギターを始める[3]。洗足学園短期大学音楽科在学中から横須賀のロックバンドでも活動[3]。
趣味はスキューバダイビングとガーデニング[1]。犬好きでチワワを2匹飼っている[1]。書道八段の腕前で、NHK総合テレビジョン『ふたりのビッグショー』で「海」という作品を披露した。デビュー時のプロフィールでは好きな俳優として、デビッド・ジャンセンと三國連太郎を挙げる[3]、渋好みだった[3]。
山口百恵と所属レコード会社が同じCBS・ソニーで、山口が少女時代を横須賀市で過ごしたという縁もあり親友同士で、山口が芸能界を引退した後の結婚式に出席している[10]。山口とは今でも交流が続いているという。
また、渡辺より1年早い1976年にデビューし、1978年に『飛んでイスタンブール』が大ヒットした庄野真代とも親友で、1978年には渡辺と2人揃って『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場している[11]。また同時期の1978年にデビューし『東京ららばい』がヒットした中原理恵とも親交があった。
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経歴
要約
視点
1970年代
1975年、ヤマハ主催のコンテスト『第9回 ヤマハポピュラーソングコンテスト』に出場。『オルゴールの恋唄』で特別賞を受賞[12]。高校在学中に「PIA」というグループで参加したが、エントリー時はすでにソロ活動を行っていた。
1977年3月、洗足学園短期大学音楽科を卒業[1](声楽専攻)。同年11月1日、ファーストシングル『迷い道』でデビュー[1][13]。一躍ヒット曲となり、初出場した第29回NHK紅白歌合戦で歌唱する[11]。翌1978年4月21日、セカンドシングル『かもめが翔んだ日』をリリース[13]、伸びやかな高音が印象的な歌い出しで大ヒット。第20回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞[14]ほか、音楽祭13賞の受賞曲となった[1]。同年8月21日、サードシングル『ブルー』をリリース。
翌1979年1月21日に『たとえば…たとえば』[13]、5月21日に『別れて そして』をリリース[13]、2回目出場となる第30回NHK紅白歌合戦では『たとえば…たとえば』を歌唱した[15]。また同年にはイタリアのサンレモ音楽祭に出演[1]。デビュー直後から立て続けにシングルがヒットし、順調にシンガーソングライターとしてのキャリアを築いていく。
1980年代
1980年1月21日リリースのシングル『唇よ、熱く君を語れ』[13]は、カネボウ化粧品のブランド「LADY 80」の口紅のCM曲としてヒット、その軽快でパワフルな曲調は、1980年代の「翔んでる女」が流行語となった「女性の時代」の幕開けを象徴する楽曲となった[16]。
1982年2月25日リリースのシングル『好きと言って』[13]で、第11回東京音楽祭国内大会作曲賞を受賞[1]。1984年には映画『メイン・テーマ』に初出演し、女優としても活躍の場を広げる[1]。1985年にはライブ活動を精力的に行い、渋谷公会堂ほか3会場で「コンサート'85」を開催したほか、ライブハウス「新宿ルイード」で「3Daysライブ」として3日間にわたり60曲を歌う連続ライブを開催した[1]。
1988年1月25日にシングル『哀愁トラベラー』をリリース[1][13]、JR「ナイスミディパス」イメージソングとして使用される[1]。同年にアメリカ合衆国アリゾナ州に渡り、翌1989年4月に帰国[1]。同年に開催された横浜博覧会 (YES'89) でのコンサートに出演する[1]。
アリゾナ行きの契機となったのは、『哀愁トラベラー』リリースをきっかけに、当時のマネージャーだった嶋田富士彦と2人で四国へ寺巡りの旅に出かけたところ、3箇所で引いたおみくじが2人とも全て凶であったが、年明けに再度2人でおみくじを引いたところ、2人とも再び凶を引いたことがきっかけとなったという。アリゾナでは現地の語学学校に通って半年後に帰国し、帰国後は全国を回ってライブ活動を行い、ジャンルを超えて多様な音楽に触れたことで、ジャズピアニストの島健らと交流するようになったと、渡辺は語っている[17][18]。
1990年代
1990年代にはLPでリリースされた過去のアルバムがCD化され、CD選書として再発売された[13]。1991年5月15日には『海につれていって』『フォグ・ランプ』がCD化[19]。同年9月15日には『遠く離れて』『メモリーズ』『Libra』までの3枚がCD化された。以降も『B♭m 愛することだけすればよかった』までのオリジナルアルバム10枚がすべてCD化され[19]、デビューから1984年までのアルバムがCDで聴けるようになった[19][注釈 1]。
そして1990年3月1日には、12枚目のオリジナル・アルバムとなる『TAHIBALI』をリリース[13]。このアルバムからLP盤は廃止され、CDでのリリースとなる[13]。ジャズやフュージョンなどを取り入れた多国籍風サウンドに挑戦した。
1991年には「ヨコハマ・ミュージックフェスティバル」「第23回ツムラサマージャズフェスティバル」に出演[1]。1995年には地元の横須賀で開催された「ヨコスカジャズドリームス'95」に出演し司会も務める[1]。また1992年から1995年にかけて、日清パワーステーションで6回にわたりコンサートを開催[1]。1996年には「熱帯JAZZ楽団」に専属ボーカリストとして加入し、ジャズシンガーとしての活動も開始した[1]。
1997年、デビュー20周年を迎える。1998年8月21日には初のライブ・アルバム『歌祭~歌って歌って恋をして~』をリリース[1]、1999年には青山円形劇場の360度ステージでコンサートを開催した[1]。
2000年代
2000年5月24日、ベスト・アルバム『2000 BEST(ミレニアム・ベスト)/渡辺真知子』」をリリース[1][13]。同年6月には「キリンカップサッカー」ボリビア戦で「君が代」を歌唱[1]、20世紀最後のコンサート「20世紀に乾杯!」を六本木のライブレストラン「STB139」で開催[1]。
2002年にはデビュー25周年を迎え、25周年記念ベストアルバム『大切な順番~SpecialBest~』」をリリース[1]、25周年コンサートツアーを全国25箇所で開催[1]。2006年には横須賀市の市制100周年事業として「横須賀大使」に任命され、3年間の任期を務めた[1]。
2007年1月、熊本県天草市で開催された「天草国際アート&ミュージックフェスタ」に出演しエディ・ゴメスと共演する。同年にはデビュー30周年を迎え、新曲「それでも I love you」を収録した30周年記念アルバム『鴎30~海からのメッセージ~』を2月14日にリリース[1][13]、2月15日・16日に発売記念ライブを六本木「STB139」で開催[1]。同年秋から2008年4月にかけて、30周年記念コンサート「鴎30~海からのメッセージ~」を文京シビック大ホール、横須賀芸術劇場などで開催した[1]。
2008年6月4日、シングル『いろいろな白』をリリース(カップリング曲として「かもめが翔んだ日」スタジアム・バージョンを収録)[13]。同年6月・7月にNHKラジオ第1放送「ユアソング」としてオンエアされる[1]。8月20日には初のライブDVDとなる『それでも I love you~横須賀より愛をこめて~』をリリース[1]。2009年9月25日には「渡辺真知子コンサート2009~いろいろな白、私の白~」を東京国際フォーラムで開催した[1]。
2010年代以降
2010年4月15日に自身のブログで「2010年4月22日に小澤音楽事務所を離れ、個人事務所を設立する」と発表。4月に自身の芸能事務所として「Kamome Music(カモメミュージック)」を設立した[1]。
2012年にはデビュー35周年を迎え、10月26日に記念アルバム『腕の中のスマイル』をリリース[1][13]。35周年記念コンサートを横須賀芸術劇場、東京渋谷さくらホールで開催した[1]。2013年には、8月1日・2日、鎌倉の建長寺で「古都の風~建長寺特別公演 渡辺真知子コンサート&創作能オンディーヌ」を開催[1]。9月6日に「グッドエイジャー賞」を受賞[1]。「しまうまとライオン」が、NHK『みんなのうた』(10月・11月)に起用された[20]。
2013年には初期のアルバム4枚がBlu-spec CD2で再発売され、同年4月10日に『海につれていって』『フォグ・ランプ』、7月24日に『遠く離れて』『メモリーズ』が発売された[19]。
2017年にはデビュー40周年を迎え、記念コンサートツアー「デビュー40周年記念コンサート~私はわすれない~」を同年10月から翌2018年まで全国開催。2018年1月10日にデビュー40周年記念アルバム『私はわすれない〜人生が微笑む
2019年1月30日から2月27日まで「中島みゆき 夜会 Vol.20~リトル・トーキョー~」に客演[1]。2020年3月には、ノーベル化学賞を受賞した吉野彰が「影響を受けた人物」として渡辺真知子の名を挙げたことから、日本テレビのドキュメンタリー番組『成功の遺伝史』で共演した[1]。
2020年7月8日、アルバム『明日へ』をリリース[13]。東京オリンピック開催に合わせ「アスリートをはじめ多くの人々に元気を与えたい」として、既発曲の中で「希望」を感じさせる曲を集めたセルフカバーアルバムとして企画された[16]。本来は春のリリース予定だったが新型コロナウイルス感染症の影響で発売延期となり、またオリンピック自体も延期されたが、結果的に「コロナ禍の中にある人々に元気と希望を与える音楽」として世に送り出されることとなった[16]。アルバムタイトルは、1979年のアルバム『メモリーズ』収録曲の「明日へ」から採られており、多重録音で制作したリミックスバージョンの「唇よ、熱く君を語れ 2020 remix」などが収録されている[16]。
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ディスコグラフィ
要約
視点
シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
セルフカバー・アルバム
カバー・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
CD-BOX
コンピレーション・アルバム
- 横浜幻想(ヨコハマ・ファンタジー)
- 横浜のご当地ソングを集めたコンピレーション・アルバム。2枚組CD。
- Disc1の10曲目に「港スコープ」(シングル『好きと言って』B面曲)を収録。
参加楽曲
タイアップ
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コラボレーション
- 2007年から『かもめが翔んだ日』が千葉ロッテマリーンズの応援歌として採用され、マリーンズファンからの要望を受けて同年7月3日に千葉マリンスタジアムで同曲を歌唱。8月15日にはシングル『かもめが翔んだ日 スタジアムバージョン』をリリースした[1]。
楽曲提供
出演
要約
視点
テレビ
NHK紅白歌合戦出場歴
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
音楽番組
ほか多数
テレビドラマ
CM
映画
ラジオ番組
- 三菱ドライビングポップス 真知子と歌おう!(TBSラジオ、1978年 - 1982年)
- 杉田二郎と渡辺真知子のサウンド・グラフィティ 俺たち音楽仲間(ニッポン放送、1978年 - 1979年)
- 電リクときめき倶楽部 FOREVER YOUNG(文化放送、1995年 - 2000年)[1]
- 渡辺真知子・恋の予感(綜合放送制作、2012年4月 - 2015年)[1]
- 一部の局では「渡辺真知子・ドーンとようこそ!」のタイトルで放送。
- アフタヌーン・パラダイス(エフエム世田谷、2011年4月5日 - 2022年3月29日)[1]
- 渡辺真知子のBeautiful Dream(山梨放送ほか4局、2016年7月 - 2017年9月)[1]
- 渡辺真知子 現在・過去・未来(ミュージックバード、2022年4月3日 - 2023年9月24日)
舞台
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脚注
関連項目
外部リンク
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