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白川由美

日本の女優 (1936-2016) ウィキペディアから

白川由美
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白川 由美(しらかわ ゆみ[2][3]1936年昭和11年〉10月21日[出典 1] - 2016年平成28年〉6月14日[1][6])は、日本女優東京都品川区出身[2][4]セブンス・アヴェニュー最終所属。

概要 しらかわ ゆみ 白川 由美, 生年月日 ...

頌栄女子学院中学校・高等学校卒業。夫は俳優の二谷英明[2]、長女は元女優でトライグループ代表取締役社長の二谷友里恵

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来歴・人物

要約
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頌栄女子学院高等学校の卒業間際に森永製菓キャンペーンガール「森永スイート・ガール」に応募して採用される。1956年スカウトにより東宝に入社[出典 2]。清楚で整った顔立ちから「日本のグレース・ケリー」のキャッチフレーズで、同年の三船敏郎主演の映画『ならず者』で映画デビュー[出典 3]

サザエさん』シリーズ、『サラリーマン出世太閤記』シリーズや、1956年『空の大怪獣 ラドン』のヒロインをはじめとする特撮ものなど幅広い作品に出演[10][3][4]。清楚な魅力で人気を集め[11][10]、家庭的な女性役がハマり役となった[1]。また、都会的な令嬢役も得意とした[3][7]

1961年には小津安二郎監督が東宝で撮った映画『小早川家の秋』にも出演している。一方で、1957年には『大番』で初舞台を踏んだ[8]

1964年、ラジオのディスクジョッキーを務めた際に日活のスターだった二谷英明と意気投合し、結婚[1][2]。映画会社の垣根を越えての結婚は話題を呼んだ。同年に長女・友里恵を出産[1][9][注釈 2]

家庭を持ったのを機に活動の場をテレビドラマへ移行し[5]1965年日本テレビ系『奥様はトップレディ』でテレビドラマ初出演[8]1980年代前半から『家族ゲーム』を筆頭に母親役を演じ、若年層からも広く支持されて「母親にしたい女性タレント」の上位ランクインの常連となった[注釈 3]

長渕剛とは1983年の『家族ゲーム』などでの共演により深い親交があり、1985年には長渕が作曲のシングル「おあいそして」で歌手デビューも果たしている[8]。また、1988年から1989年にかけて放送された『純ちゃんの応援歌』で親子役として共演した笑福亭鶴瓶とも親しく、2009年3月30日4月6日に放送された『鶴瓶の家族に乾杯』では、21年ぶりに鶴瓶と共にドラマのロケ地であった和歌山県日高川町を訪れている[出典無効]。同事務所に所属した松嶋菜々子とは互いに「親友」と呼び合う間柄で、共演作品も多かった[出典 4]

2004年、就寝中にベッドから転倒して軽傷を負った際には、高齢であったこともあり関係者から復帰が危惧されたが、短期間で無事に復帰した。

夫の二谷とは仲むつまじい夫婦生活から「おしどり夫婦」として知られ、1988年から1993年にかけてJRフルムーン夫婦グリーンパス」のCMに2人で出演した[8][13]2012年に夫・英明が死去した後は仕事量を徐々に抑えて、主だった作品では2014年のフジテレビ系『ブラック・プレジデント』が最後の出演となった[9]

東京都目黒区の自宅から東京都港区の友里恵宅に転居し生活していたが、2016年6月14日に浴室内で倒れて心肺停止の状態で病院に搬送され、心不全のため急逝した[9][13]79歳没。亡くなるわずか2時間前には知人と電話で「軽井沢に行こう」と話していた[14]

葬儀は友里恵が喪主を務め、同年6月18日に東京都渋谷区にある祥雲寺にて営まれた[15]葬儀には通夜に秋元康伊藤歩井上真央音無美紀子菅野美穂見城徹志穂美悦子津川雅彦藤澤恵麻、松嶋菜々子、村井国夫薬丸裕英が、告別式に王貞治司葉子石田純一、長渕剛、東尾修山本浩二らが参列した。

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エピソード

  • 1941年に井上ひさし山形県東置賜郡小松国民学校に入学するが、4年生の時に山崎安基子という子が本家にあたる呉服屋に縁故疎開する。隣家がひさしの家で「隣との境に立つ赤松に登りっきりで、彼女を眺めおろしながら暮した」(ひさし「自筆年譜」『ナイン』所収)。
  • 1958年1月13日、第2回日本映画見本市に出席するため、城戸四郎松竹社長)、同じ女優の長谷川裕見子船越英一郎の母)、宇治みさ子らと共にアメリカ合衆国ニューヨークへ出発。同2月9日、日本に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なニューヨーク訪問となった。
  • 1961年、10月27日から11月2日までインドニューデリーで開催されたインド国際映画祭に出席するため、インドを訪れている。この時もまだ海外渡航自由化の前で、貴重なインド訪問となった。
  • 1963年にはヴェネツィア国際映画祭に出席するためヴェネツィアを訪れている。この時もまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。
  • 1975年 TBS3時にあいましょう』出演時に夫・二谷英明と馴れ初めの話をしていた時に、白川はユーモアがあって面白いトークを展開した。日活の俳優が白川を紹介して欲しい、という話で本人は「日活だからファンファン岡田真澄さんかな? ファンファンだったら良いなと思ってたんですけど、白髪頭のおじさんが1人座ってたんで誰だろうと思ったのが初対面なんです。」
  • 『密告者は誰か』で共演した夏木陽介は、当時新人でNGを繰り返していたが、姉役であった白川から「作家の原稿用紙みたいなものだ」とやり直せば大丈夫だと励まされたという[16]。ロケ先で白川が誤って男湯に入ってしまい、後から入った夏木と遭遇してしまったこともあるが、白川は間違いに気づいていなかったが叫んだりもせず、夏木も白川は同業者という意識であったため男女を意識することはなかったと述べている[16]
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主な出演

映画

テレビドラマ

NHK総合

日本テレビ系

TBS系

フジテレビ系

テレビ朝日系

WOWOW

司会

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作品

シングル

  • おあいそして(1985年9月21日、東芝EMI、TP-17767)
    作詞:秋元康、作曲:長渕剛、編曲:瀬尾一三

脚注

参考文献

外部リンク

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