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翔傑喜昭

日本の大相撲力士 ウィキペディアから

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翔傑 喜昭(しょうけつ よしあき、1976年9月5日 - )は、静岡県天城湯ヶ島町(現在の伊豆市)出身で、芝田山部屋(入門時は放駒部屋)所属の現役大相撲力士。本名は仲原 克明(なかはら よしあき)。身長183.1cm、体重157.2kg、血液型AB型。最高位は西幕下4枚目(2009年3月場所)。

概要 翔傑 喜昭, 基礎情報 ...
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来歴

三島高校(現在の知徳高校)相撲部出身。高校時代は国体出場歴もある。恩師の勧めで高校卒業後は大相撲の世界へ進むことを決意し、放駒部屋に入門。1995年3月場所で初土俵を踏んだ。同期生には栃乃花大碇豊乃國らがいる。1997年9月場所で三段目1999年3月場所で幕下と順調に出世したが、幕下と三段目の往復が続き、ようやく幕下に定着できたのは2003年11月場所以降である。2004年3月場所で関取昇進の可能性があるといわれる幕下15枚目以内の番付に初めて昇格し、一時は幕下4枚目まで昇格した時期もあったが、関取昇進はかなわず、30歳代半ばという年齢からくる衰えで、2011年1月場所では三段目まで番付が落ちたが、それ以降はまた建て直し、番付も戻り始めている。2013年1月場所後の師匠・放駒親方(元大関魁傑)の停年(定年)退職が近づくと引退を検討するようになったが、2012年11月場所で6勝1敗と大勝ちしたことで現役続行を決意し、師匠の退職で閉鎖となった放駒部屋から芝田山部屋へと移籍した[1]2022年1月場所で華吹が引退して以降は現役最年長力士となった。

初土俵以来長らく休場せず本場所を皆勤し続けていたが、2022年7月場所13日目に芝田山部屋関係者の2019新型コロナウイルスが確認された関係で同部屋所属力士全員が同日から休場することになったため[2]、翔傑も入門以来初めての休場となった[注 1]。なお、日本相撲協会は2019新型コロナウイルスに関連して本場所を休場した場合は、本人の意思によるものではないとして連続出場記録等を継続扱いとする対応を取っているため[3]、翔傑の初土俵以来の連続出場記録は途切れない。

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エピソード

  • 駒乃富士の名は部屋の若者頭である花ノ国が命名した。翔傑の名は、壁を突破する機を掴もうと考え、羽ばたく思いと、入門時の師匠だった17代放駒親方の現役時代の四股名である魁傑に因んで自分で命名した。出身地に因んだ伊豆ノ国も候補に挙がった。
  • 元々稀勢の里の付け人として重宝され、稀勢の里の横綱昇進直後、12代西岩から「まだ、やめないよな!?」と稀勢の里の付け人を続けるよう念を押された。2017年3月場所3日目の取組後、稀勢の里の方から翔傑に話しかけ、2人は談笑した。この日のNHK大相撲中継では稀勢の里特集が組まれており、2004年1月場所13日目で稀勢の里が幕下優勝を飾った決定戦の懐かしい場面も放映されたが、その決定戦の相手こそ実は当時「駒乃富士」の翔傑だった[4]
  • 相撲ファンからのあだ名は「幕下の高安[要出典]

主な成績

要約
視点

2025年7月場所終了現在

  • 通算成績:634勝626敗(181場所)
さらに見る 一月場所 初場所(東京), 三月場所 春場所(大阪) ...
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改名歴

  • 仲原 克明(なかはら かつあき)1995年3月場所-1996年7月場所
  • 駒乃富士 克明(こまのふじ -)1996年9月場所-2000年5月場所
  • 駒ノ藤 克明(こまのふじ -)2000年7月場所-2000年9月場所
  • 駒乃富士 克明(こまのふじ -)2000年11月場所-2006年1月場所
  • 翔傑 喜昭(しょうけつ よしあき)2006年3月場所-

脚注

関連項目

外部リンク

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