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追跡 (1973年のテレビドラマ)
1973年の日本のテレビドラマ ウィキペディアから
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『市川崑シリーズ・追跡』(いちかわこんシリーズ・ついせき)は、1973年5月22日から同年9月4日までの毎週火曜日の夜10時に、関西テレビ・フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ。
内容
中村敦夫扮する大手新聞社横浜支局の記者"私"が、諸々の事件の真相を追い求めるという社会派のドラマ。
中村が扮する"私"はベスパというスクーターに乗って取材に出かける。 "私"の名前は不明で毎回「あの人なんて名前だったけ?」、「名前なんてどうだっていいじゃない」というやり取りが行われていた。
終了
1973年8月28日に第15話として放送が予定されていた「汚れた天使」は、次回に予定されていた「灰色の天使」に変更されたが、これは製作元の一つ関西テレビが他の製作元・出演俳優・さらに演出を手掛けた唐十郎の許可を取らずに独断で実行したものである。
「汚れた天使」を当時寺山修司と共に前衛演劇の巨頭として知られていた唐に依頼して製作したが唐が自身が率いた状況劇場(別名・新宿赤テント)で見られるような過激な表現で演出したが、この回の試写に立ち会った関西テレビの重役が「内容が非常識過ぎる」と判断し差換えを決断。この事を知った唐が激怒し、「『汚れた天使』を放送しなければ(関西テレビと)絶縁する」と宣言。これに呼応するかのように主演の中村敦夫や共演者・スタッフ、さらに中村が所属していた俳優座の重鎮東野英治郎が記者会見を開き「強行すれば今後、番組に出演しない」と宣言した。しかし関西テレビは差替えを強行。結果、唐の「汚れた天使」は日の目を見なかった。ただし、唐は同年9月13日に六本木自由劇場において自主的に「汚れた天使」の上映会を行った。当日は雨だったが、定員200人の会場に約500人が足を運んだ。ただ、その映像は機材の不備により、音と映像が2、3秒ずれたものだったという[3]。なお、仕上げ進行を務めた吉田昌弘によれば、それはプロジェクターの回転スピードが間違っていたためで、状況劇場の役者が寸劇を行って場を繋いだ上で、スピードを直してからはスムーズに上映できたという[4]。
「汚れた天使」のストーリーは、横須賀で起きた売春婦殺人事件の取材を担当していた"私"の同僚記者が、根津甚八演じる犯人および犯人が住む安アパートの住人とズブズブの関係になってしまい、その事件を記事にしなかった。それを、常田富士男演じるデスクから咎められたのを苦にして犯人・安アパートの住人と一緒に入水自殺するというものであった。このようにストーリーも衝撃的であるが、安アパートの住人として不破万作演じる倒錯した女装をしたオカマが登場した事、犯人が同性愛志向のある自慰行為をしていたシーンが登場した事、など非常に過激な描写があったという[5]。
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出演者
スタッフ
サブタイトルリスト
※ すべて『天使』がサブタイトルに使われていた。これは三好徹の小説『天使』を原作としていた事に由来する。
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註釈
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