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金沢碧

日本の俳優 ウィキペディアから

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金沢 碧(かなざわ みどり、1953年11月27日[3] - )は、日本の俳優。本名:金沢 みどり[1]埼玉県川口市出身[1][2]。身長164cm(1976年2月)[1]

概要 かなざわ みどり 金沢 碧, 本名 ...

人物・略歴

兄・姉がいる末っ子[4]。高校の文化祭では舞台の裏方をやったぐらいで[4]芸能界には全く興味がなく[4]東京家政学院高等学校卒業[2][4]後、精神科医を目指していた[4]。二する間に疲れて、友人からオーディションを勧められ[4]、気分転換に参加しスカウトされ[4]、精神科医は断念[2][4]サラリーマンの父は芸能界入りに猛反対したが、自身で「わがままで我が強い」という性格から、かえって闘志に火がつき、「自分の力が一番よく分かる世界じゃないか」と無関心だった芸能界入りする決意を固める[4]、その後、語学を勉強している時にテレビドラマ北都物語』(1975年)のオーディションを受けて5000人の中で合格し[4]、ヒロイン・布部絵梨子役でデビューした[2][3]日比谷スタジオで1975年1月にあった製作発表会見では「恋愛も演技もまだ経験はありません」「芸能界に一生を懸けるという肩肘張った気持ちで仕事をやりたくない。もしダメだったら、自分の人生を考えるという柔軟な姿勢で」などと述べた[4]。森開逞次プロデューサーは、金沢選出の理由について「インテリジェンスとフォトジェニックな容姿が魅力です。アングルによって表情は色々変わるというのもいい」などと評した[4]

同年『東京湾炎上』で映画初出演[5]。同作品ではベッドシーンにも挑んだ[3]。『俺たちの旅』でのカースケ(中村雅俊)に想いを寄せるヨーコ役で人気を博す[3]

本名のみどりに「碧」の字をあてて芸名にしたのは、「小学生時代の習字の先生がよくこの字を使っていたことで自分も気に入って、中学生時代から手紙を出す時などには自分の名前に碧の字を使っていた」からだったという[6]

1997年文化庁新進芸術家海外派遣制度によりイギリスに留学。

後年、放送大学に入学、同教養学部教養学科人間の探究専攻卒業、放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。

一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構では、連絡先を求めている[7]

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出演

要約
視点

映画

テレビ作品

ラジオドラマ

舞台

その他のテレビ番組

ほか多数

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脚注

参考文献

外部リンク

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