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斉藤俊秀
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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斉藤 俊秀(さいとう としひで、1973年4月20日 - )は、静岡県清水市(現:静岡県静岡市)出身の元プロサッカー選手(元日本代表)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはディフェンダー。
1998 FIFAワールドカップメンバー。
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経歴
清水東高校時代は主将。1991年の全国高校総体では、決勝に進出。史上初の同県同士の対戦となった東海大一との決勝は、延長で下し、全国制覇を達成。地元清水の日本平で、清水勢同士の学校が日本一を争った決勝は伝説となっている。 早稲田大学時代の1995年にはユニバーシアード日本代表の主将としてユニバーシアード福岡大会に優勝[3]。1996年に清水エスパルスに加入。この年のナビスコカップではニューヒーロー賞を受賞する活躍を見せ、優勝に貢献[4]。シーズン終了後には新人王を受賞した[4]。
日本代表には1996年8月25日の国際親善試合ウルグアイ代表戦でデビュー[2]。1996年から1999年までのあいだに通算17試合に出場した[2]。対人の強さよりも、読みとカバーリングに長けていたため、井原の次世代後継者として期待されたが、トルシエ体制では井原とほぼ同時期に代表に召集されなくなった。試合出場はなかったが、1998 FIFAワールドカップ日本代表のメンバーでもあった。
2007年からの2シーズンは湘南ベルマーレに期限付き移籍してプレーしていた[3]。2008年シーズン終了後に清水からフロント入りを打診されたが、それを固辞して当時静岡県リーグ1部の藤枝MYFCに移籍した[5]。藤枝MYFCでは選手兼監督を務めるほか、運営会社である株式会社Jプレイヤーズの役員も務めた。またスカパー!のサッカー中継(主に清水ホームゲーム)で解説を務めたこともある。
2012年、JFA公認S級ライセンスを取得。
2013年シーズン終了後、現役を引退すると共に藤枝MYFCの監督を退任、着用していた背番号2は永久欠番となった[6](後に7期を経て再び使用されるようになった[7])。
2014年1月、清水の「エスパルス アンバサダー」に就任した[1]。
2014年12月25日、2015年に始動するU-15サッカー日本代表のコーチに就任することが発表された[8]。
2018年4月23日、U-21サッカー日本代表のコーチとして入閣することが発表された[9]。
2019年、サッカー日本代表のコーチに就任した。
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所属クラブ
個人成績
藤枝での成績[10]
その他の公式戦
- 1996年
- サントリーカップ 1試合0得点
- 1999年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2001年
- スーパーカップ 1試合0得点
タイトル
- 1996年 - ナビスコカップ・ニューヒーロー賞、新人王
- 1999年 - ベストイレブン
代表歴
出場大会など
- ユニバーシアード日本代表
- 日本代表
試合数
- 国際Aマッチ 17試合 0得点 (1996年 - 1999年)[2]
出場
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指導歴
脚注
関連項目
外部リンク
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