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1979年のF1世界選手権
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1979年のF1世界選手権(1979ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第30回大会である。1979年1月21日にアルゼンチンで開幕し、10月7日にアメリカで開催される最終戦まで、全15戦で争われた。
1979年のFIAフォーミュラ1 世界選手権 |
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前年: | 1978 | 翌年: | 1980 |
一覧: 開催国 | 開催レース |

シーズン概要
1977年にロータスがF1へ持ち込んだグラウンド・エフェクトという新しい概念は急速に広まり、ほとんどのマシンで採用されるに至った。だが、本家であるロータスは新車である80が失敗したことによって没落。グラウンド・エフェクトの開発を巡り、チーム間の勢力図はシーズン中に二転三転した。
開幕ダッシュを決めたのはリジェ。安定した走りでアルゼンチンGPとブラジルGPで2連勝した。ルノーは地元フランスGPで初優勝し、ターボエンジン時代の到来を告げた。前年に再出発したウィリアムズは地元イギリスGPでの初優勝から4連勝し、後半戦最速のマシンとなった。フェラーリは終始安定した成績を残し、地元イタリアGPで両タイトル奪還を果たした。ジョディー・シェクターが王者となり、僚友のジル・ヴィルヌーヴは勇猛な走りを見せた。
この年デビューした有力選手はエリオ・デ・アンジェリス、マルク・スレール。好敵手同士のニキ・ラウダとジェームス・ハント、ジャッキー・イクスが引退した(ラウダは1982年に復帰する)。
チームではブラバムにエンジンを供給していたアルファロメオがコンストラクターとして復活し、F1創成期の再現が期待された。3年前華々しくデビューしたウルフは成績不振で撤退を決めた。
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開催地及び勝者
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エントリーリスト
ドライバー変更
- ティレルのNo.4は、第10戦はリースが、第11戦はデイリーがドライブ。
- ブラバムのNo.5は、第14戦以降ズニーノがドライブ
- ウルフのNo.20は、第8戦以降ロズベルグがドライブ。
- エンサインのNo.22は、第8戦以降ガイヤールが、第13戦以降はスレールがドライブ。
- リジェのNo.25は、第8戦以降イクスがドライブ。
- ティレルのNo.33は、第14戦以降デイリーがドライブ。
エンジン変更
- ブラバムは、第14戦以降フォードにスイッチ。
タイヤ変更
- なし
スポット参戦
- ロータスのNo.31は、第12戦まで参戦。
- レバークのNo.31は、第13戦以降参戦。
- アルファ・ロメオのNo.35は、第6,8,15戦に参戦。
- アルファ・ロメオのNo.36は、第14,15戦に参戦。
- カウーゼンのNo.36は、第5,6戦のみ参戦するもすべて予選落ち。
1979年のドライバーズランキング
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1979年のコンストラクターズランキング
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ノンタイトル戦結果
参照
外部リンク
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