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アンドレア・イアンノーネ
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アンドレア・イアンノーネ (Andrea Iannone, 1989年8月9日 - ) は、イタリア・ヴァスト出身のオートバイレーサー。2019年までロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦していた。

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経歴
要約
視点
ミニバイクレースで活躍した後、アブルッツォ・ジュニア・チームからイタリア・スペインの国内ロードレース選手権、ヨーロッパ選手権に参戦し、安定した成績を残した。2005年には同チームからロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦を果たし、第15戦トルコGPでベストリザルトとなる10位に入賞、シリーズランキング19位に入った。
翌2006年はカンペテーラ・レーシングに移籍するが、シーズン途中に解雇されてしまった。第13戦マレーシアGPではWTRブラウエル・チームから出場の機会を得たが、腰骨を骨折してしまい、残りシーズンを欠場することになった[2]。結局この年は11レースの出場でシリーズ22位に終わる。2007年は同じくWTRチームからステファノ・ビアンコのチームメイトとしてフル出場を果たしたが、トルコGPでの9位がベストリザルト、シリーズ20位と成績は伸び悩んだ。
2008年はI.C. チームに移籍すると、ウェットレースとなった第4戦中国GPで初優勝を遂げた。また第17戦マレーシアGPでは初のポールポジションを獲得し、シリーズランキングは10位と大きく成績を伸ばした。
翌2009年も同チームに残留(チーム名はオンガッタ・チーム I.S.P.A.に改称)、ワークスマシンのRSA125を得たイアンノーネは開幕戦カタールGP、第2戦日本GPと2連勝、第6戦カタルニアGPではトップを走行していたフリアン・シモンがファイナルラップに周回数を勘違いしてスローダウンしたおかげで3勝目を挙げるなどの活躍を見せ、シーズン中盤まではチャンピオン争いのトップに立っていた。しかしシーズン後半、第13戦サンマリノGPではファイナルラップにトップを走行中にポル・エスパルガロを巻き込んで転倒するなどリタイアが重なり、最終的なランキングは7位にまで落ちてしまった。またそのサンマリノGPでの転倒後、冷静さを失ったイアンノーネはエスパルガロに頭突きを食らわせてしまい、罰金のペナルティを受けている[3]。
2010年は元グランプリライダーのルカ・ボスコスクーロが率いるスピードアップ・チームからガボール・タルマクシをチームメイトに、新しく始まったMoto2クラスに参戦した[4]。イアンノーネは第4戦イタリアGP、第6戦ダッチTT、第13戦アラゴンGPと、この年のチャンピオンとなるトニ・エリアスの次に多いシーズン3勝を挙げる活躍を見せた。いずれのレースもポールポジションからスタートし、独走で逃げ切る圧倒的な勝利だった。しかし第7戦カタルニアGPでは黄旗区間での追い越し、第12戦サンマリノGPではフライングスタートでペナルティを受けるなどのミスが祟り、年間ランキングでは未勝利ながら安定した成績を残したフリアン・シモンに2ポイント差で競り負けて3位に終わった。

2011年シーズンはイアンノーネの父親と、バレンティーノ・ロッシのアシスタントである“ウーチョ”ことアレッシオ・サルッチが中心となり結成されたスピードマスター・チームに移籍、Moto2クラスに継続参戦する[5]。年間3勝をあげ年間ランキング3位で終了する。
2012年シーズンは再びスピードアップ・チームへ復帰し、第5戦カタルーニャGPでは2011年14戦日本GP以来となる優勝を逆転で果たす。母国開催の第9戦イタリアGPではポル・エスパルガロとの一騎討ちを制し2回目のイタリアGP勝利を果たし、3年連続シーズン年間ランキング3位となった。
2013年シーズンはMotoGPクラスにステップアップし、ドゥカティのサテライトチームであるプラマック・レーシングより参戦する。ドゥカティでの参戦から活躍が注目されていたものの本人としても自分自身に対する期待が大きかったためか、なかなか思うような結果は残せないレースが続きチームメイトのアンドレアドビツィオーゾとの数回にわたる接触転倒や2016年カタルーニャでは、バックストレートエンドのヘアピン進入のブレーキングをミスしてその時点でシーズンのポイントリーダーのホルヘロレンソを巻き込んで転倒リタイヤした。「危険なライダー」とのレッテルも貼られかねないアクシデントが数回あったことやそれら全てが、偶然にもレースのライブ映像として全世界に発信されてしまうという不運な面もあった。それによって開発が進んでこれから成績が上向くところであったドゥカティでのシートを失った。
2017年シーズンより2年間スズキエクスターチームにてMotoGPクラスに参戦する契約を交わした[6]。
2019年、アプリリアに移籍。しかし同年11月3日、第18戦マレーシアグランプリの際に行われたドーピングテストにてイアンノーネの尿検体から禁止薬物であるアナボリック・ステロイド(筋肉増強剤)が検出され、同年12月17日から暫定的出場停止処分が科された[7]。
2020年、複数年契約を結んでいたアプリリアからMotoGP参戦予定だったが、ドーピング違反にかかる国際懲罰法定(CDI)の審理の結果、翌2021年6月16日までの18か月間出場停止処分が科された。同審理でイアンノーネの弁護団が主張する「禁止薬物検出の原因は故意の摂取ではなく、汚染された食品を食べてしまったことが原因」という訴えに対しては、その主張の一部は認められたが処分は覆らなかった。
2024年、スーパーバイク世界選手権にチーム・ゴーイレブンから参戦。出場停止処分後初のレースとなる。また、MotoGPの第19戦マレーシアGPに肩の手術を控えているファビオ・ディ・ジャンナントニオの代役で5年ぶりに出場した[8]。
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戦績
ロードレース世界選手権
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
スーパーバイク世界選手権
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
- R1=レース1、R2=レース2、SP=スーパーポールレース
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脚注
外部リンク
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