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日本のお笑いタレント (1972-) ウィキペディアから
ケンドーコバヤシ(1972年〈昭和47年〉7月4日[4] - )は、日本のお笑いタレント、司会者、声優、俳優、漫画編集者[5]。大阪府大阪市東住吉区出身。2024年時点で歴20年以上の五反田在住者であることを公表している。吉本興業所属。本名および旧芸名は小林 友治(こばやし ともはる)。愛称は「ケンコバ」など。
テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。 |
ケンドーコバヤシ | |
---|---|
2018年7月、外務省にて。 | |
本名 | 小林 友治(こばやし ともはる) |
ニックネーム |
ケンコバ[1] コバ[2] Mr.やりたい放題[3] |
生年月日 | 1972年7月4日(52歳) |
出身地 | 大阪府大阪市東住吉区東田辺 |
血液型 | O型 |
身長 | 172 cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 大阪弁 |
最終学歴 | 初芝富田林高等学校 |
出身 | NSC大阪校11期 |
コンビ名 |
松口VS小林(1992年 - 1995年) モストデンジャラスコンビ(1995年 - 2000年) |
相方 |
松口祐樹(松口VS小林) 村越周司(モストデンジャラスコンビ) |
芸風 | コント、漫談 |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1993年 - |
同期 |
陣内智則 中川家 たむらけんじ ハリウッドザコシショウ 松口祐樹 野々村友紀子 海原やすよ・ともこ 児嶋一哉(アンジャッシュ) |
現在の代表番組 |
にけつッ!! ゴゴスマ -GO GO!Smile!- ケンコバのバコバコテレビ 漫道コバヤシ ケンコバのほろ酔いビジホ泊 全国版 |
過去の代表番組 |
吉本超合金K・ケンコバ大王 考えるヒト |
他の活動 |
俳優 声優 |
配偶者 | 未婚 |
受賞歴 | |
2000年 第2回・第3回ダイナマイト関西優勝 2001年 オールザッツ漫才優勝 2005年 第11回ダイナマイト関西優勝 2005年 BGO上方笑演芸大賞 2006年 BGO上方笑演芸大賞話術賞 2008年 第14回ダイナマイト関西優勝 2009年 S-1バトル月間チャンピオン(10月) 2012年 初代フットンダ王 2013年 ベストカラアゲニスト 芸人部門 2014年 ベストカラアゲニスト 芸人部門 2015年 ベストカラアゲニスト 男性芸人部門 2017年 ベストカラアゲニスト 男性タレント部門 2018年 ベストカラアゲニスト 芸人部門 2019年 ベストカラアゲニスト 芸人部門 2021年 10代目フットンダ王 |
NSC大阪校11期生。身長172 cm、体重77 kg。足のサイズは29cm[6]。血液型O型[4][7]。芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキから[8]。
1992年4月大阪NSC入学。11期生であり、同期は陣内智則、中川家、たむらけんじ、ハリガネロック、烏川耕一、たいぞう、ハリウッドザコシショウ、野々村友紀子など。吉本以外では児嶋一哉(アンジャッシュ)などが同期。
NSC在学中『沖・小林』を経て、元ハリガネロックのユウキロックと『松口VS小林』を結成し、ボケを担当。ツッコミにドロップキック等のプロレス技を用いたり、ネタをしながら互いにプロレス技を掛け合うといったアンタッチャブルな芸風で人気を得る。また、NSC在学中に『オールザッツ漫才』(毎日放送)に出演するなど、将来を嘱望された時期もあったが、コンビ名通り対立関係に発展してしまい、方向性の違いから1995年解散。元々、松口は小林の方向性に疑問を持っていたが、ある日小林から「下着泥棒2人が殺し合いをする」という設定のコントのネタを見せられた松口が、「お前と組んでると売れる気がしない」と言って解散を切り出した。
その後、同期の村越周司と『モストデンジャラスコンビ』を結成。同コンビではツッコミ担当だったが、全くボケ・ツッコミの区別がつかない無秩序なネタを生み出し続けた。当時の心斎橋筋2丁目劇場ブームに乗り、また小林の実力を評価した千原兄弟や、バッファロー吾郎、FUJIWARAなど先輩芸人の後押しもあり活躍。モストデンジャラスコンビは村越が芸人引退を希望したことによって[注 1]、2000年3月をもって解散した。
解散に伴い、ピン芸人としてbaseよしもと、2003年9月からはうめだ花月を中心に活躍。
バッファロー吾郎主催の大喜利イベントダイナマイト関西には初回から参加、本大会では参加芸人中最多の5回の優勝を誇っている。その他各種イベントや『スッごい!おとなの時間』(MBSラジオ)など数々共演。野性爆弾、ザ・プラン9、友近らと共に、バッファローファミリーとも称され『アメトーーク!』(テレビ朝日)などで取り上げられた。また、FUJIWARAとも『吉本超合金』(テレビ大阪)で共演。後番組『吉本超合金K・ケンコバ大王』は初の冠番組。
2001年4月から『見参!アルチュン』・『?マジっすか!』(共に毎日放送)に出演。中高生の間で知名度を上げる。さらに毎日放送の昼の情報番組『ちちんぷいぷい』のレギュラー出演( - 2006年4月)で一般層に知られるようになる。
2006年夏には『ケンドーコバヤシのオーサカ夜キング』(毎日放送)が放送。同番組には陣内、たむらけんじをはじめ、元相方村越周司など、コバヤシ所縁の多数のお友達ゲストが日替わりで登場した。翌年の2007年には一部内容をリニューアルし『オーサカ夜キング ケンコBAR』として放送された。
『オールザッツ漫才』(毎日放送)にはコンビ時代から出演し、2001年にはトーナメントで優勝。2004年にネタ組として「ピンクローター漫談」という下ネタコントを披露し、これがきっかけで関西での全てのレギュラー番組を降ろされてしまい東京へと逃げ込み、東京進出に成功。その後も毎年出演する「番組の顔」となり、2009年には陣内智則とともに司会を務めたが、2009年の出演を最後に番組を降板した。
2003 - 2005年にかけてテレビ東京のハロー!プロジェクト関連の番組、ダウンタウン司会『考えるヒト』(フジテレビ)など、全国放送のテレビ番組に出演するようになる。
2006年には『アメトーーク』(テレビ朝日)で後述の「越中詩郎大好き芸人」が大受け。『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)、『やりすぎコージー』、『ゴッドタン』(共にテレビ東京)、『明石家さんちゃんねる』(TBSテレビ)など露出も増え、知名度を全国区にする。
2007年8月、ダウンタウン松本の兄、取締役松本隆博プロデュースで黒田有(メッセンジャー)との音楽ユニット「コバクロ」結成。デビューソングは「わくわくしない世代」。
また、映画『パッチギ!』『ヤッターマン』や、テレビドラマ『BOSS』(フジテレビ)など、俳優としての起用も徐々に目立ちつつある。自身の俳優の仕事を本人曰く、「人妻の危険なアルバイト」とのこと[9]。
2008年、往年の『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ)や『松紳』(日本テレビ)の後継的な深夜番組として、千原ジュニア(千原兄弟)とのコンビで始まった『にけつッ!!』(読売テレビ)は10年以上続く長寿番組となっている。
2009年10月、千原ジュニアとの作品で「S-1バトル」の10月の月間チャンピオンとして選ばれた。
子供の頃のあだ名は「カレーボーイ」[10]。
高校時代は、ラグビー部で主将を務めていた。
本名が「髑髏林禿鷹丸(どくろばやし・はげたかまる)」、獄中出産で生まれたといったデタラメなプロフィールを騙ることがある[11]。
『アメトーーク!』(テレビ朝日)では、プレゼン大会の企画として過去に「マジックミラー号芸人」「オリジナ○○芸人」「赤ちゃん芸人 ~baby,don't cry~」「もう恋なんてしないTEN○A芸人」「ア○ル芸人」など放送が憚られるような内容の下ネタ企画を多数持ち込んでおり、同番組のDVD購入特典として付属する「裏DVD」の企画として収録されることが多い。AVを無料で見る者が多い問題(フリーライド)に対し、稼げないと綺麗な人が去っていくからお金は払えるだけどんどん払っていこうと言っている[12]。
本人自身も身体を鍛える目的でジムに通っており、なかやまきんに君のYouTube企画のベンチプレス対決にてノーギアで120kgを上げ勝利している(きんに君は115kg)。同動画内で「元々は公園にあった10kgくらいの石を投げたり、持ち上げて鍛えていたがある日、石が撤去されていた」とジムに通い始めたきっかけを語っている。
漫画・アニメに造詣が深く、主に少年漫画を中心だが、少女漫画にも詳しい。『ジョジョの奇妙な冒険』『キン肉マン』『グラップラー刃牙』『ママレード・ボーイ』等を好む。
『ジョジョの奇妙な百人一首』(『ジョジョ』から抜粋した台詞を百人一首化した商品)では、付属の「読み手CD」で読み手を担当。
『キン肉マン』29周年記念イベントにも参加する熱心なキン肉マンファン。モストデンジャラスコンビ時代に『キン肉マンII世』の超人募集に彼の考えた『ザ・ジャック』という超人が採用されたことがある。ザ・ジャックは『キン肉マンII世』第1巻「伝説の序章〜3〜これが新世代の"友情パワー"!」の冒頭に登場している。しかし、『アメトーーク!』の「キン肉マン芸人」の回[14] で彼が発表した超人「ゴッドホール」は、そのデザインから作者の失笑を買い採用されなかった。
プロレス好きとしても知られる。プロレス好きになった理由は、幼稚園時代に父親が全日本プロレスに参戦していたアブドーラ・ザ・ブッチャーが許せず、父親に「お前はいつかブッチャーを倒せ」と言われた末に剛柔流の空手道場へ入門させられたことがきっかけだという[15]。小学生時代は『全日本プロレス中継』(日本テレビ)のメイン実況を務めていた倉持隆夫のものまねをやっていた他、倉持の息子から倉持の著書である「マイクは死んでも離さない 「全日本プロレス」実況、黄金期の18年」を倉持直筆の手紙付きでプレゼントされた事もある[16]。一方で、『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)のメイン実況を務めていた古舘伊知郎のものまねに関しては下手だったという[16]。
現在の芸名もケンドー・ナガサキから取ったもの。越中詩郎のファンであることで有名で、越中との共著の著書(後述)も出版されている他、実際にプロレス興行で越中とタッグを組んだ経験もある(全日本プロレス・F-1タッグ選手権 2009年12月13日)。『アメトーーク!』でも「越中詩郎芸人」の企画を持ち込み、後にオンエアされた「越中詩郎芸人vsガンダム芸人」はDVD化された[17]。
嫌いなものとして「占い」を挙げている。本人曰く「占ってもらった時、占い師にあれこれと訊かれ、個人情報がダダ漏れして裸にされているようなものだから」とのこと。危惧していることとして平日の朝のテレビ番組内にやっていることを挙げ、「自身はかに座なのだが、大体悪いので朝からテンションが下がる」と述べている。占い嫌いになったのは小学生時代、同級生が急に占いや前世が見えるようになり、その際「前世が何回も死刑になった奴」と言われたことが一因となっている。そして最後に仕事で占いの館に行った時、個室に案内されコスプレした人に占いをしてもらった話をし、それが箱型ヘルスのようなものだったと述べ占いは好きだと訂正した[21]。
両親は岡山県美作市出身[22]。父は元金融機関勤務[22]。母は元教師[22]。実家で書道教室を経営している[23]。兄[24]と姉[25]がいる。父も以前はプロレス好きであったが、1986年にUWFが新日本プロレスに参戦した事がきっかけとなり、以降はプロレス嫌いになったという[15]。
母方の祖父母は元岡山県の小学校教員で、祖父は校長まで務めた[22]。両親の父親同士が岡山県の教員養成所の同級生である[22]。
レイザーラモンの2人をブレイクさせたきっかけを作っている。HGに対しては「ハードゲイか」と言って、ハードゲイキャラがブレイクし、RGにも「市川海老蔵か」と言って、「歌舞伎あるある」から始まる、あるあるネタでブレイクするきっかけを作っている[26]。
現在のレギュラー出演
現在の不定期出演
過去のレギュラー出演
過去の不定期出演
*MCもしくはメインキャスト
現在
過去
過去
過去
※コンビ時代の出演に関しては松口VS小林、モストデンジャラスコンビを参照。
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