トップQs
タイムライン
チャット
視点

THE BLUE HEARTS

日本のパンク・ロックバンド (1985-1995) ウィキペディアから

Remove ads

THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)は、日本のパンク・ロックバンドである。1985年結成。1987年メジャーデビュー。1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し1995年に解散した。略称はブルハ

概要 出身地, ジャンル ...

代表曲は「リンダリンダ」、「TRAIN-TRAIN」、「青空」、「人にやさしく」、「情熱の薔薇」、「」など。

バンド名の由来は、甲本ヒロトによると「意味は無く、誰もが呼びやすい小学生でもわかるような英語で、バンドの音楽性が見えないような名前」だからつけたという[要出典]

Remove ads

概要

1985年結成。1987年にシングル「リンダリンダ」でメジャーデビュー。解散から30年近く経過した近年でも、彼らの楽曲はCMやドラマや映画などに多く使われている[注釈 1]

主にボーカルの甲本ヒロト、リードギターの真島昌利が作詞作曲を担当した。

THE BLUE HEARTSの甲本ヒロト真島昌利の書く詩は、NHK「人間講座」の「言葉の力・詩の力」(ねじめ正一講師)[4]中でも、その文学性が高く評価されている(なお、教材本文の講義は、2001年度前期のNHK教育テレビ「人間講座」内で放送)。

THE BLUE HEARTS』から『TRAIN-TRAIN』までの前期三部作は、ブルースをルーツとしたメッセージ性の強い、独自の日本語ロックの世界を構築していたが、イーストウェスト移籍後からの後期作品は、後のTHE HIGH-LOWSに繋がる様々なスタイルを取り入れ、メッセージ性を無視した楽曲も多い。

Remove ads

メンバー

ラウンドアバウトザ・コーツ。解散後ヒューストンズ↑THE HIGH-LOWS↓、現ザ・クロマニヨンズ
愛称は「ヒロト」。低音の効いた太い歌声が特徴。たまに吹くブルースハープは独学で、高いレベルまで達しているが、ベントやトレモロなどの技術は「偶然できた」とのこと。演奏する曲によってギターを弾くこともある。テレビなどのインタビューで答えるのは、ほとんど甲本が担当。デビュー時は坊主頭だった。河口と一緒に金髪に染めている時期もあった。牛乳が好き。
THE BREAKERS。解散後↑THE HIGH-LOWS↓、現ザ・クロマニヨンズ。
愛称は「マーシー」。しゃがれた歌声が特徴。他の3人に比べれば、テレビなどに出演してもあまり喋らず、表情を変えないことが多い。甲本とは、およそ半々の割合で曲を創り上げた。頭のバンダナがトレードマークだが、ネイティブ・アメリカンの羽飾りを着けたこともあった。
解散後THE LONDON TIMES、ザ タイムトラベラーズ。
愛称は「河ちゃん」。結成当初はバンドのマネージメントを行っていたが、半年ほどでベースが脱退したため急遽1985年8月に正式メンバーとして加入。本名は河口 宏之(- ひろゆき)で、当初は本名を名乗っていたが、デビュー直前あたりから「純之助」を名乗る。ベース以外にも真島と共にコーラスを担当。真島と対照的な高音の澄んだ歌声が特徴。甲本と一緒に金髪に染めている時期もあった。1991年に幸福の科学に入信した[5]
解散後The 3peaceサルサ・ガムテープTHE BIG HIP、THE EX-FIVE
愛称は「梶君」。元々はブルーハーツのファンで、ライブチケットのモギリなどをやっていた。その後ドラムの脱退を知り、ヒロトの自宅にしつこく電話してオーディションを受けさせてもらい、1986年4月に正式メンバーとなる。モヒカンヘアーが特徴であるが、参加当初の髪型はモヒカンではなく角刈りに近いヘアスタイルであり、後期には長髪にして結っていたこともある。

過去に在籍したメンバー

  • 望月正水(もちづき まさみ)- ベース
愛称はマサミ。結成当初のメンバーであるが飲酒問題で体を壊し、半年ほどでバンドを脱退している。音源としては1985年6月7日新宿ロフトで録られた音源のベーシストは脱退直前の彼だと思われる。脱退後は自動車のレッカーマンとして働きながらTHE JUMPSの島キクジロウ等と共に「キャバレッツ」を結成。後に脱退し、NATIONALS(現在はMASAMI & THE NATIONALS)というバンドで活動中。
愛称はリュースケ。1986年3月に脱退しているが、1985年に無料配布されたソノシート「1985」で彼の演奏を聴く事が可能である(「1985」はベストアルバム『SUPER BEST』に収録されている)。その他、彼が演奏する音源は比較的現存している。また、映像としては「ブルーハーツが聴こえない〜HISTORY OF THE BLUE HEARTS」の1985年の映像は1985年12月24日都立家政スーパーロフト にて行われたTHE BLUE HEARTS初のワンマンライブ「世界一のクリスマス」であり、英がドラムを叩いているのも微かに確認することができる。また、同ライブでは、甲本が「ブルーハーツより愛をこめて」前のMCでは英の名前をあげている。ブルーハーツ脱退後は中村あゆみ織田哲郎のバックバンドやスタジオミュージシャンとして活動。損害保険の調査員、トラックやタクシーのドライバー等を経験したのち、ホテルなどで馬車を運行する会社を立ち上げる。2017年1月、白血病にて他界。
愛称はのりを。元ザ・コーツ、グレイトリッチーズ、DEEP&BITES、ノリオ&アイスクリームマン。望月脱退後、ほんの2か月ほどサポートメンバーとして活動していた。
グレイトリッチーズの全国ツアーが始まるのを機に脱退した。ライブのMCでは、今年一杯はメンバーでいるといったことも言っていた。音源としては、1985年7月25日新宿ロフトで録られた音源がある。脱退後DEEP&BITESを結成。同時期に忌野清志郎大島賢治・中曽根章友と共に2・3sとして活動。一時期真島のソロツアーにも参加していた。DEEP&BITES解散後はノリオ&アイスクリームマンを経て、現在はソロユニット、ギターパンダで活動中。
愛称はシンちゃん。元THE POGO、KENZI&THE TRIPS、現the pillowsThe ピーズ。英竜介脱退後から梶原が正式加入するまで、サポートドラマーを担当していた。その際の音源はオムニバス盤『JUST A BEAT SHOW』にて確認することが可能である。また、映像としては、入手困難だが1986年3月20日のアトミック・カフェ・フェスティバルの映像(SUMMER TIME BLUESと題されている)が唯一確認できるものである。thee michelle gun elephantのメンバーと親交が深い。

サポートプレイヤー

ON TOUR 1989(1989年5月3日 - 同31日)から解散するまでの間、ライブレコーディングでキーボードを担当。真島の友人であった杉浦逸生の紹介でブルーハーツに参加。サポートでありながら、アルバム『HIGH KICKS』の歌詞カードでは顔写真付きで紹介されたり、『ミュージックステーション』にブルーハーツが出演した際は、演奏のみならずスタジオトークにもメンバーと共に並んで出演していたり、ライブ時には甲本ヒロトから5人目の仲間として紹介されるなど、ブルーハーツの中では正式なメンバーとしての意識があった。伝説のバンドめんたんぴんのメンバー(第4期-)で、浅川マキ南正人のバックを務めた事もある実力派だが、ピアノは全くの独学で、「ギターコードを鍵盤に乗せただけ」と、ファンクラブの会報で答えている。後のTHE HIGH-LOWSでも正式メンバーとして活動し、2003年に同バンドを脱退した。
Remove ads

来歴

1980年代前半、それぞれのバンドの状態が思わしくなかった甲本ヒロト真島昌利河口純之助の3人は下北沢のバイト先で出会い、Traditional(トラディッショナル)というセッションバンドを行ったり、バンドの事について語り合ったりして飲んだり遊んだりしているうちにお互いに意気投合しあっていった。

1984年11月11日、「ロードサイド・ロッカーズ」というイベントで、Vo.甲本ヒロト、Gu.真島昌利&河口純之助、Ba.コハマ(元FACE)、Dr.不明(アールチューカーのメンバーの誰か)の5人で原宿ホコ天にてライブをする。

1985年の1月から、それぞれバンドを解散したり脱退したりしていた真島や甲本らは、本気でバンド結成のことについて考えるようになり、1985年2月に、真島と甲本の2人を中心として「THE BLUE HEARTS」を結成。同年4月に、THE BLUE HEARTSの初ライブを行うことになった。同年の夏に、彼らのマネージャーとしてバンドに関わっていた河口が前メンバーの替わりにベースとして参加し、翌年の4月ごろに梶原徹也が甲本に加入を懇願し、ドラマーとして参加した。結成当初は、渋谷ライブハウス 渋谷屋根裏を拠点として多く活動していた。1986年、梶原が加入した頃から「面白いバンドがいる」と、話題になり始める。

1987年2月に、シングル「人にやさしく」を自主制作で発表。同年、メルダックよりメジャーデビューが決定し、1987年5月1日に、メジャーデビューシングル「リンダリンダ」を発売、同月に1stアルバム『THE BLUE HEARTS』を発表した。口コミなどで、彼らの評判は若者を中心に全国的に知れ渡るようになり、第二次バンドブームの先駆けとなった。

半年後に発売した2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』も好調、そして1988年に発表した3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』が50万枚を超えるヒットとなり、同作からリカットされたシングル「TRAIN-TRAIN」がドラマの主題歌などにも起用されるなど、一躍音楽界のトップシーンに登り詰めた。

しかし4thアルバム以降は、以前ほどの売れ行きは見せなくなった。その後3枚のアルバムを発表。1995年にラストアルバムを発表し、バンドは解散。

解散とその後

要約
視点

解散

解散当時に発売された音楽誌『バンドやろうぜ』の編集局コラム等によると、「河口が宗教(幸福の科学)に没頭し、スタッフやファンを勧誘したことに甲本と真島が怒ったために解散に至った」とされている[5][6]。しかし、甲本がのちに音楽誌に語った内容では「バンドを続けるにはある程度の演奏技術が必要。それがあのメンバーでは出せないから解散した」となっている。他にも雑誌『VIEWS』のインタビューで、甲本は当初は解散ではなく、自分がバンドを抜けるつもりだったとのこと。その理由に言及していないが、「あの時、ヒロトが言い出さなければ自分が抜けていた」とのちに真島が語っている。凸凹ツアー中の宿泊先のホテルで、メンバーひとりひとりと話し合い、「ヒロトが抜けるなら解散」→「でもまたあとで再結成というのも恥ずかしいのでひとまず活動休止」ということとなった。

活動休止中に甲本は別バンド「ヒューストンズ」、真島はソロ、梶原はドラマーズなどで活動。結局は解散を最終決定するも、レコード会社との契約がまだ残っていたために、アルバムを一枚出す必要性に迫られた。ラストアルバム『PAN』がブルーハーツ名義にもかかわらず、中身がブルーハーツではない(ソロの楽曲の寄せ集め)のはそのため。そしてNHK-FMミュージックスクエアで「今後の予定は?」と聞かれて「解散です」と突然の解散発表。それから10年後の2005年あたりから、元メンバーが公の場に揃って姿を見せるなど、再び交流が活発化している。

このラジオ番組で行われた解散宣言の前に届いていたブルーハーツ集団(ファンクラブ)会報誌「BLUE-PARTS」には、号外として今回のラジオ出演の告知があり、「放送内で解散宣言をします」と明記されていた。1995年1月1日号には「ブルーハーツ集団、解散」の告知があった。甲本はこの時に「ずっと続いているものを一旦リセットしたいと思って」と話していた。

その後

1995年にブルーハーツを解散した後、甲本と真島は3人の新メンバーを加えTHE HIGH-LOWSを結成。晩年のブルーハーツでもその兆候はあったが、社会的メッセージというよりシュールな歌詞が多くなった。それでも躍動感あふれる曲を多く作り、固定ファンの期待に応えるだけでなく、新たなファンも獲得していった。こちらも10年後の2005年に活動休止したが、2006年に甲本と真島が再びコンビを組み、二人の新メンバーを加えザ・クロマニヨンズを結成し活動を再開した。

ブルーハーツ解散後にメンバーがブルーハーツ時代の曲を歌うことは原則ないが、甲本は一度、他人のライブの飛び入りで「僕の右手」を歌い、また『ヨルタモリ』出演時に「リンダリンダ」のセッションにブルースハープで参加しハミングをしたものの、歌唱はしなかった。真島はイベントで何度か「青空」を歌い、河口がSUMMER SONICで間寛平らと共に「リンダリンダ」を、梶原がThe 3peaceとして「リンダリンダ」を演奏した[要出典]

Remove ads

略歴

1982年
  • 甲本、真島、河口は、新宿の歩行者天国のイベントで初めてセッションを行う。
1984年
  • 11月、甲本、真島、河口の三人は遊び仲間としてよく遊んでいた。
  • 12月24日、当時甲本の家だった笹塚の廃屋のパーティーで、THE BREAKERSの解散を決定した真島が、同時期にザ・コーツを解散した甲本に「バンド一緒にやらないか」とブルーハーツ結成の話を持ちかける。
1985年
  • 1月5日、真島が数人の仲間とギターを片手に甲本の住家を突然訪れてそのまま住みついてしまう。同日の夕方、元ベース担当の望月も静岡より上京し甲本の家に住み着くようになる。
  • 1月25日、THE BREAKERS解散。
  • 1月後半、甲本、真島、望月の3人で原宿クロコダイルで行われたジョニー・サンダースのライブを観た帰り、代々木公園で一人ドラムの練習をしていた英と初めて出会う。
  • 2月、甲本と真島を中心に結成される。結成当時のメンバーは、Vo.甲本ヒロト G.真島昌利 B.望月正水 Dr.英竜介。
  • 4月3日、新宿ロフトで初ライブ[7]。チケットはドリンク付きで1,000円。
  • 6月、望月脱退、正式メンバー決定までの間、コーツ、グレイトリッチーズ、ディープ&バイツで活動していた山川のりをが一時的にベーシストとして参加(甲本は山川をこの年いっぱいはメンバーとしてやっていくといっていた)。
  • 8月17日 渋谷屋根裏、それまでマネージメントを行っていた河口が正式加入。
  • 12月24日、都立家政スーパーロフト(現存せず)にて初ワンマン・ライブ「世界一のクリスマス」256人動員。全レパートリー21曲を演奏。
1986年
  • 3月8日、渋谷屋根裏で開催されたライブ『JUST A BEAT SHOW』出演。後にこの時のライブを収録したオムニバス・アルバムも発売。
  • 3月20日、渋谷東映で開催された反核イベント『アトミック・カフェ・フェスティバル』に出演[8][9]有頂天ZELDAECHOESといったプロのバンドの中に混じりアマチュアバンドで唯一出演し、お客の目を全て奪う[8]
  • 3月21日、目黒鹿鳴館「Bright Lights Beat City」を最後に英脱退。
  • 4月19日、都立家政スーパーロフトから梶原が正式加入。
  • 5月19日、テレビ東京“スーパーマガジン・すばらしき人生”でテレビ初出演。
  • 6月9日、目黒鹿鳴館にて2度目のワンマンライブ「人にやさしく」、489人動員。1985を除く全レパートリー24曲を演奏。
1987年
  • 1月、「ハンマーツアー」スタート。
  • 2月25日、自主制作シングル「人にやさしく/ハンマー」発表。
  • 5月1日、シングル「リンダ リンダ/僕はここに立っているよ」でメジャーデビュー。
  • 5月21日、1stアルバム「THE BLUE HEARTS」発売
  • 5月21日、ニッポン放送・オールナイトニッポン第1部に出演。DJは爆風スランプサンプラザ中野
  • 7月4日、日比谷野外音楽堂にてライブ。チケットは即日ソールドアウト。3382人動員。
  • 10月1日、初の全国ツアー「ドブネズミツアー」スタート(全40公演)。
1988年
  • 2月8日、「TOUR'88 PRETTY PINEAPPLE」スタート(全65公演)。
  • 10月3日、「パイナップルの逆襲ツアー」(全40公演)。
1989年
  • 杉浦逸生から白井幹夫を紹介される。
  • 8月16日、初の海外ツアー「PORTLAND TOUR'89」敢行。
  • 9月、レコード会社をメルダックからイーストウエスト・ジャパンに移籍。
1993年
  • 10月25日、通算17枚目のシングル「夕暮れ」発売。THE BLUE HEARTSとしての最後のシングルとなる。
1994年
1995年
  • 所属事務所から独立。甲本と真島が代表となって有限会社ハッピーソング設立。
  • 6月1日、NHK-FMの音楽番組ミュージックスクエアで解散発表(出演部分の収録は5月17日)。
  • 7月10日、ラストオリジナルアルバム『PAN』発売。
Remove ads

作品

シングル

さらに見る 発売日, シングル名 ...

アルバム

オリジナルアルバム

さらに見る #, 発売日 ...

ベスト・アルバム

さらに見る #, 発売日 ...

ライブ・アルバム

オムニバス・アルバム

リミックス・アルバム

トリビュート・アルバム

ビデオ

VHS

  • THE BLUE HEARTS (1987年3月21日)- メルダック
  • THE BLUE HEARTS LIVE! 〜1987.7.4日比谷野外音楽堂〜 (1987年9月1日) - メルダック
  • TOUR'88 PRETTY PINEAPPLE SPECIAL 〜2月12日 日本武道館〜 (1988年6月21日) - メルダック
    • 別名『ブルーハーツ、武道館を見学。』
  • ブルーハーツのビデオ VIDEO CLIP 1987-1989(1990年1月1日)- メルダック
  • 全日本EAST WASTE TOUR '91(1991年9月10日)- イーストウエスト・ジャパン
    • 通称『茶の間でドーダ』
  • ENDLESS DREAMS 〜THE BLUE HEARTS MEET THE MUTOID〜(1993年7月10日)- イーストウエスト・ジャパン
  • ブルーハーツのビデオ2 VIDEO CLIP 1990-1993(1993年11月10日)- イーストウエスト・ジャパン
  • ザ・ブルーハーツ凸凹珍道中(1995年7月10日)- イーストウエスト・ジャパン
  • ブルーハーツが聴こえない〜HISTORY OF THE BLUE HEARTS(1996年2月7日)- メルダック

DVD

  • 全日本EAST WASTE TOUR '91(2002年4月24日)- イーストウエスト・ジャパン
  • ブルーハーツのビデオ2 VIDEO CLIP 1990-1993(2002年4月24日)- イーストウエスト・ジャパン
  • ザ・ブルーハーツ凸凹珍道中(2002年4月24日)- イーストウエスト・ジャパン
  • ブルーハーツのビデオ+幻のビデオ復刻版(2004年5月26日)- メルダック
    • VHS版『THE BLUE HEARTS』と『ブルーハーツのビデオ VIDEO CLIP 1987-1989』収録
  • THE BLUE HEARTS LIVE!(2004年5月26日)- メルダック
    • VHS版の『THE BLUE HEARTS LIVE!』と『TOUR'88 PRETTY PINEAPPLE SPECIAL』を収録
  • ブルーハーツが聴こえない HISTORY OF THE BLUE HEARTS(2004年5月26日)- メルダック
    • VHS版と内容が若干違う
  • THE BLUE HEARTS on TV DVD-BOX(2010年6月9日)- オフィスM4/ハピネット
  • THE BLUE HEARTS on TV(2010年6月9日)- オフィスM4/ハピネット

カセットテープ

  • 1st - 3rdアルバム(正規品)- メルダック
  • 4th - 8thアルバム(8thは非売品)- イーストウエスト・ジャパン
  • 1st - 6th?シングル - メルダック・イーストウエスト・ジャパン
  • THE BLUE HEARTSオリジナルカラオケI - IV - メルダック
  • 1stアルバムのプロモーションテープ(非売品)
  • BLAST OFF!とTHE BLUE HEARTS
    • USAツアー時に販売したテープ
  • ブルーハーツのしおり
  • その他、インディーズ時代にライブ後に自主製作で売っていたものなど。
Remove ads

タイアップ一覧

さらに見る 使用年, 曲名 ...
Remove ads

関連商品

書籍

  • ドブネズミの詩 (1988年12月、角川書店ISBN 978-4-04-883230-4
    • 歌詞やインタビュー、ライブでのMCの語録など。
  • ブルーハーツのしおり (1990年3月、角川書店)ISBN 978-4-04-883255-7
    • メンバーが出演していたNACK5の同名ラジオ番組を本に起こしたもの。
  • ブルーハーツのしおり/ひと夏の経験編 (1990年9月、角川書店)ISBN 978-4-04-883262-5
    • 上記の第二集。
  • ザ・ブルーハーツ写真集 (1991年12月、ジャグラー)
  • 日曜日よりの使者の詩(2007年2月、G.B.)ISBN 978-4-901841-54-2
    • ヒロト作詞の曲の歌詞を載せたもの。未発表曲を除く139曲が載っている。

関連書籍

パチスロ

  • パチスロTHE BLUE HEARTS(2008年8月 銀座
    • ブルーハーツをモチーフとするタイアップ機として発売された。販売台数は2009年3月末時点で約1万1千台[34]

パチンコ

Remove ads

ライブ・イベント

要約
視点
さらに見る 年, ツアー・イベント名 ...
Remove ads

未発表曲

要約
視点

ブルーハーツには未発表曲が十数曲ある。

未発表曲

窓をあけよう

(作詞・作曲:甲本ヒロト / 編曲:THE BLUE HEARTS)

  • 1986年~1987年に演奏されていた曲(1987年9月27日の日比谷野音での演奏が最後)
  • DVD『ブルーハーツが聴こえない』にサビのみ収録されている。
  • 2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』に収録される予定だったが新曲「遠くまで」「星をください」の完成によりカットされた。
  • THE BLUE HEARTS BOX付属の歌詞カード、およびブックレットの年表部分に、「窓をあけよう」が演奏された1987年7月4日の野音のライブのセットリストらしきものが掲載されており、同じ未発表曲の「涙の男」と共に曲タイトルのみ書かれているのが確認できる。
  • ヒューストンズでも演奏され、その活動期間中に甲本のソロでデモも作られた。
ほんの少しだけ

(作詞・作曲:甲本ヒロト / 編曲:THE BLUE HEARTS)

  • 1986年~1987年に演奏されていた曲(1987年9月27日の日比谷野音のライブでの演奏が最後)。
  • 窓をあけようと同じく、2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』に収録される予定だったが新曲「遠くまで」「星をください」の完成によりカットされた。
  • ヒューストンズでも演奏され、その活動期間中に甲本のソロでデモも作られたが、このデモではコーラス部分が微妙に歌詞が異なる。
  • また、会報誌「BLUE PARTS」の1987年11月1日号には歌詞が掲載された。
陽のあたる場所

(作詞・作曲:真島昌利 / 編曲:THE BLUE HEARTS)

  • 1986年10月1日 渋谷ライブイン「ワン・ツー・パンチ!!」にて初披露。
  • その後数回演奏されたのみで、メジャーデビュー後は一切演奏されず。
  • スタジオ録音されたデモ音源が存在する。
おやすみなさい

(作詞・作曲:甲本ヒロト / 編曲:THE BLUE HEARTS)

  • 陽のあたる場所と同じく、1986年10月1日 渋谷ライブイン「ワン・ツー・パンチ!!」にて初披露。その後数回演奏されたのみで、メジャーデビュー後は一切演奏されず。
伝染病

(作詞・作曲:甲本ヒロト / 編曲:THE BLUE HEARTS)

  • 1989年の全国ツアー「ON TOUR全国版」にて初披露、このツアー以降演奏されず。
ロックの豚野郎

(作詞・作曲:真島昌利 / 編曲:THE BLUE HEARTS)

  • ボーカルは真島。
  • 89年の全国ツアー「ON TOUR全国版」にて初披露、アンコールのラストに演奏された。このツアー以降演奏されず。
  • ライブによって歌詞が変化し、「LSD」や「ドラッグ」など、89年12月の大宮ソニックシティ平塚市民センターのライブでは「宮﨑勤」といった名も登場する。
おまえの宇宙にいれてくれ

(作詞・作曲:真島昌利 / 編曲:THE BLUE HEARTS)

僕はどこへいった

(作詞・作曲:甲本ヒロト / 編曲:THE BLUE HEARTS)

  • 1985年~1986年に演奏されていた曲で、「世界一のクリスマス」でも演奏された。(1986年6月9日に目黒鹿鳴館で行われた「人にやさしく」での演奏が最後。)
  • スタジオ録音されたデモ音源が存在する。
涙の男

(作詞・作曲:甲本ヒロト / 編曲:THE BLUE HEARTS)

  • 1987年7月4日の日比谷野音でのライブで一度のみ演奏された。
  • 同年4月19日に起きたラフィンノーズ公演雑踏事故について甲本自身の思いを語った曲。
  • THE BLUE HEARTS BOX付属の歌詞カード、およびブックレットの年表部分に、「涙の男」が演奏された野音のライブのセットリストらしきものが掲載されており、同じ未発表曲の「窓をあけよう」と共に曲タイトルのみ書かれているのが確認できる。
  • また、会報誌「BLUE PARTS」の1987年9月1日号には歌詞が掲載されている。
幸せのブルース

(作詞・作曲:甲本ヒロト / 編曲:THE BLUE HEARTS)

  • 1986年6月9日に目黒鹿鳴館で行われた「人にやさしく」で一度のみ演奏された。
  • ギターを真島と河口、ベースを梶原が弾くというスタイル。
  • 甲本曰く、「自身の持ち歌」らしい。
  • 4thシングル「ラブレター」のケースの内側に「今だって ホラ ホラ ホラ! 幸せになりかけているじゃあないか ヒロト」と幸せのブルースの「今も幸せになりかけているじゃないか」という歌詞に似たフレーズがある。
WHITE X'MAS

(作詞・作曲:アーヴィング・バーリン/編曲:THE BLUE HEARTS)

  • 1985年12月24日「世界一のクリスマス」で一度のみ演奏された。

未発表歌詞などを含むもの

電光石火
1988年の「PRETTY PINEAPPLE TOUR」中に発表された当初は音源化分の後の歌詞「水平線に隠された 宝の地図が幽かに見える 立ち止まってばかり 振り向いてばかり それじゃデタラメも夢も叶わない」や歌詞を繰り返す部分があったが、ステージを重ねる内に歌詞が削られた。
デモ音源では未発表バージョンで演奏されている。また、未発表バージョンにおいての2回目と3回目のサビの歌詞が同じになっている。
チェインギャング
最初の数回のライブでは最後の「一人ぼっちが怖いからハンパに成長してきた」が「ゴマカシはもうたくさんだ、くだらない嘘はゴメンだ」となっている。
ブルーハーツより愛をこめて
1985年に初披露したときには後半の歌詞がなかった。
ほんの少しだけ
「今、何が見える」が「今、みんなが見える」となっているライブ音源が存在する。
風船爆弾
アルバム収録版より歌詞が少なく、「あなたの胸の奥に当たれよ風船爆弾」が「今夜はその場所で爆発するんだ」となっているライブ音源がある。
リンダ リンダ
1988年夏頃のライブで、後半の歌詞「決して負けない 強い力を 僕は 一つだけ持つ」を「決して負けない 強い強い力を 僕たちは ひとつづつ持つ」とした事が何度かある。

ライブによって歌詞が変わる曲

ブルースをけとばせ
アルバムに収録される前は毎回歌詞を変えて歌っていた。「宮﨑勤」、「永山則夫」、「川俣軍司」や「ウルトラセブン」といった歌詞が登場したりもした。
平成のブルース
毎回歌詞を変えて歌っていた。「宮崎勤」や「一杯のかけそば」などといった歌詞も登場した。

未発表バージョン

リンダリンダ(alternative versionもしくはremix-version)
シングル・アルバム収録のものよりキーが1つ高く、かなりロック風なアレンジがかかっている。

その他

「終わらない歌」は1988年から1989年にかけてのライブでは最後のサビを三回演奏(二回歌唱)した。

1993年から1994年にかけて行われた凸凹ツアーでは、「風船爆弾」が河口ボーカル(普段は甲本ボーカル)でメドレーの五曲目として歌われた。

1988年に日清パワーステーションで行われたライブでは甲本が「ダンスナンバー」の2番と3番の歌詞を間違えて歌い、「これからは2番と3番を逆に歌ったらカップヌードルバージョンと呼ぼう」とMCで釈明していた。

真島が友部正人のライブにゲスト出演したときには、「終わらない歌」、「青空(一部、歌詞を変えて)」、「手紙」、「脳天気」を歌い、ソロライブでは、「青空」、「さすらいのニコチン野郎」を歌った。さらに河口は、SUMMER SONICで間寛平らと共に「リンダリンダ」を歌った[要出典]

Remove ads

影響

  • 彼らの残した影響は強く、2000年代前半に起こった青春パンクブームでブレイクしたバンドの多くが、ブルーハーツの影響を強く受けていることを公言している。音楽界以外にも、彼らから影響を受けたと語る有名人は多数いる。
  • 爆風スランプサンプラザ中野くんは、知人のつてで知ったメジャーデビュー前のブルーハーツの曲を聴いて衝撃を受け、当時自身がパーソナリティを務めていた『サンプラザ中野のオールナイトニッポン』でディレクターに、この曲を掛けたいと希望を出して番組で流したところ大反響を呼び、そこから一躍ブルーハーツのメジャーデビューにつながったという[38]
  • 劇団 第三舞台の主宰・鴻上尚史は、自身がパーソナリティを務めた『鴻上尚史のオールナイトニッポン』内で、幾度となくブルーハーツ好きを公言しており、ライブにも度々足を運び、感想を語っていた。「1985」(鴻上曰くソノシート音源)をフルで流したり、88年2月12日の武道館ライブを見に行った日の深夜の放送では、その日披露されたばかりの新曲「青空」のライブ音源を流したりと、この番組でしか聴けない音源も多かった。後に自身の映画に「青空」を挿入歌として使用している。
  • 1989年、作家の吉本ばなならが『僕の話を聞いてくれ』という、ブルーハーツを絶賛する本を出した。吉本ばななは、「I Love ザ・ブルーハーツ」というタイトルで寄稿し、本の帯に「ブルーハーツは全員、丸ごとの自分をきちんと大事にしている。これは大変贅沢で、かなり素晴らしいことに違いない」と書いた。
  • 漫画家の森田まさのりは、メンバーをモデルとしたキャラを『ろくでなしBLUES』(週刊少年ジャンプ連載)に登場させた。また、「英雄にあこがれて」と題された回では、同タイトルのブルーハーツの楽曲(『YOUNG AND PRETTY』収録)の歌詞を作中で引用している。また、ヒロインの初恋の思い出の曲として、「リンダリンダ」を作中で引用し、1話作っている。
  • 2002年、香取慎吾主演のフジテレビ系ドラマ『人にやさしく』の主題歌と挿入歌に起用され、CDが再発。ブルーハーツをリアルタイムで聴いていない世代も多く聴くきっかけとなった。
  • 大森うたえもんはブルーハーツの解散発表直後にファンレターを書いており、そのファンレターにはブルーハーツの楽曲名が25曲(「もどっておくれよ」は「もどってくれ」と書かれている)も書かれており、さらに「君のため」の歌詞を引用するなどしている。
  • 2004年、鴻上尚史が、ブルーハーツの楽曲19曲を使った音楽劇『リンダリンダ』を公演した。山本耕史松岡充SILVAらが主演。
  • 2005年、『リンダ リンダ リンダ』という映画が制作された。韓国からの留学生を含む女子高生バンドがブルーハーツの楽曲をカバーする。彼女らのバンド名「パーマンラウム」は韓国語で「青い心(=Blue Hearts)」の意。なおこの映画には、甲本ヒロトの弟であり俳優の甲本雅裕が教師役で出演している。
  • 2006年、「ラブレター」の歌詞を基にして作られた映画、『ラブレター 蒼恋歌』公開。同年には、このほか「1001のバイオリン」や「リンダリンダ」も、それぞれ別のCMソングとして起用されている。
  • 2015年 テレビアニメ『ローリング☆ガールズ』が放映。各話のサブタイトルがブルーハーツの楽曲名となっている。また、主題歌や挿入歌では、主要キャストによりブルーハーツの数多くのカバー曲が歌われている。
  • 5月28日放送の関ジャム完全燃SHOWの「日本のギタリスト列伝」というコーナーで真島が選出される。「月の爆撃機」のライブ映像の一部が放送された。
  • ザ・カセットテープ・ミュージック』では今までに、「1985」、「青空」、「未来は僕等の手の中」「月の爆撃機」が放送された。
Remove ads

受賞歴

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads