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日本の俳優 ウィキペディアから
むらた たけひろ 村田 雄浩 | |||||||||||
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2024年 第2回横浜国際映画祭にて | |||||||||||
生年月日 | 1960年3月18日(64歳) | ||||||||||
出身地 | 日本・東京都 | ||||||||||
身長 | 180 cm | ||||||||||
血液型 | A型 | ||||||||||
職業 | 俳優 | ||||||||||
配偶者 | 村田映里佳(2006年 - ) | ||||||||||
事務所 | 個人事務所 | ||||||||||
公式サイト | 株式会社TAP(業務提携先)公式サイト | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ
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東京都出身[4]。小学5年生より越谷市で育ち、越谷市立北陽中学校、埼玉県立三郷高等学校出身[注釈 1]。
少年時代は柔道に励み、ディズニーや黒沢映画への憧れから、16歳で劇団ひまわりに入団。のち、仲間と自主映画を撮り始め[5]、劇団「アクターズ・スリル&チャンス」を結成(1998年解散)。
1979年『思えば遠くへ来たもんだ』(朝間義隆監督)でスクリーンデビュー[4]。
『澪つくし』などを経て、1992年の『ミンボーの女』や『おこげ』の演技により、キネマ旬報賞・報知映画賞・日本アカデミー賞などの数々の映画賞を受賞し[4]、役者としての地位を確立した。
映画では大林宣彦作品に複数回起用されたほか、ゴジラシリーズには、主演から端役までの様々なポジションで計5作に出演している。
デビュー当初は強面で屈強な役柄が多かったが、温和な人柄と純朴とした雰囲気から人気を得る[注釈 2]。素朴な笑顔や自然で味のある演技、脇を固める渋い演技に定評がある[6]。ゴジラシリーズの監督を務めた大河原孝夫は、細かい注文をしなくてもうまく人間味を出し、しっかりとした芝居ができると評している[7]。
数は少ないながらも洋画吹替への出演経験があり、スタンリー・キューブリック監督作の『フルメタル・ジャケット』では厳しい訓練の末に精神に変調をきたすレナード役を担当。村田の演技に関し、キューブリックからも賛辞を送られた[8]。
2006年10月13日に20歳年下の女優・中江里香(現:村田映里佳)と結婚[9]。
俳優を目指したきっかけは、小学生のころにゴジラシリーズを観て、自身もゴジラのいる画面の中に入りたいと思ったことであった[10]。『ゴジラ2000 ミレニアム』で演じた篠田雄二は、ゴジラへの憧れや興味が自身と重なっていると感じ、内面は作り込まず自身の想いをそのままぶつけたという[10]。
『渡る世間』出演以降は泉ピン子との共演も多く、ピン子夫妻とはプライベートでも家族ぐるみの付き合いで、実弟のように可愛がられている。
趣味は乗馬やボウリングで、特にボウリングは2012年にパーフェクト(300点)を達成したほど。プロ顔負けの腕前で『ダウンタウンDX』では「見知らぬ若者に『今時、マイボール持って来てる』と言われた際は本気で殺意を覚えた」と告白したほど(2015年には日本プロボウリング協会より名誉プロボウラー第1号として金色のワッペンを授与されている)[11]。
全て『おこげ』によるもの。
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