Loading AI tools
日本の政治家 ウィキペディアから
西川 公也(にしかわ こうや、1942年(昭和17年)12月26日 - )は、日本の政治家。自由民主党幹事長特別参与。学位は農学修士(東京農工大学、1967年)。
西川 公也 にしかわ こうや | |
---|---|
オーストラリアにて(2014年3月17日) | |
生年月日 | 1942年12月26日(81歳) |
出生地 |
日本 栃木県塩谷郡氏家町 (現・さくら市) |
出身校 |
東京農工大学農学部農業生産工学科卒業[1] 東京農工大学大学院 農学研究科修士課程修了 |
前職 | 地方公務員(栃木県) |
現職 | 政党専従(自由民主党幹事長特別参与) |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
農学修士(東京農工大学・1967年) 旭日大綬章(2023年) |
親族 | 長男・西川鎮央(元栃木県議会議員) |
公式サイト | 衆議院「西川公也(こうや)」公式 WEBサイト|再始動宣言 |
第55-56代 農林水産大臣 | |
内閣 |
第2次安倍改造内閣 第3次安倍内閣 |
在任期間 | 2014年9月3日 - 2015年2月23日 |
選挙区 |
(栃木2区→) (比例北関東ブロック→) (栃木2区→) 比例北関東ブロック |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1996年10月21日 - 2009年7月21日 2012年12月19日 - 2017年9月28日 |
在任期間 | 1993年3月 - 1994年3月 |
選挙区 | 塩谷郡選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1979年4月30日 - 1989年6月30日 1991年4月30日 - 1996年10月 |
栃木県議会議員(5期)、栃木県議会議長(第81代)、衆議院議員(6期)。内閣府副大臣、衆議院農林水産委員長、農林水産大臣(第55・56代)、衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長(初代)[2]、自民党たばこ議員連盟副会長、内閣官房参与などを歴任。
栃木県塩谷郡氏家町(現・さくら市)生まれ。栃木県立宇都宮高等学校、東京農工大学農学部農業生産工学科卒業[1]。東京農工大学大学院修士課程修了[3]。1967年、栃木県庁に入庁。
1993年から1994年まで県議会議長を務めた。1989年、第15回参議院議員通常選挙に栃木県選挙区から出馬するため、栃木県議会議員を辞職(結果は次点で落選)。
1991年の栃木県議会議員選挙で栃木県議会議員に復帰し、1996年に第41回衆議院議員総選挙に出馬するまで通算5期務めた。
第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で栃木2区から出馬し、民主党前職の小林守を破り、当選した(小林も比例復活)。以後、4期連続で当選。2001年、第2次森改造内閣(中央省庁再編後)で内閣府大臣政務官に任命される。
第1次小泉第1次改造内閣では経済産業大臣政務官を務め、第1次小泉第2次改造内閣では再び内閣府大臣政務官(経済財政政策、青少年育成、少子化対策、食品安全及び国民生活関係の政策を担当[4])に任命された。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、比例北関東ブロック選出であった森山眞弓元法務大臣が衆議院比例区の73歳定年制により比例単独での出馬が不可能になったため、栃木2区から出馬。入れ替わる形で西川が比例北関東ブロック単独で出馬し、3選。第2次小泉内閣でも内閣府大臣政務官に再任された。2004年、第2次小泉改造内閣で内閣府副大臣(経済財政政策、郵政民営化関係の政策を担当)に任命された。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、4選を果たす。第3次小泉内閣にて内閣府副大臣に再任された。
2006年、衆議院農林水産委員長に就任。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、引退する森山に代わり栃木2区から自民党公認で出馬。公明党[5]や栃木県建設業協会の政治団体「県建設業協会政治連盟」の推薦も受けたが、民主党前職の福田昭夫に敗れ、比例復活も叶わず落選した。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では栃木2区で福田を破り、同年12月19日に当選が告示され[6]、国政復帰を果たした(福田も比例復活)。同年、二階派の事務総長に就任した[7]。2013年より自民党のTPP対策委員会にて委員長を務める。
2014年9月の第2次安倍改造内閣で農林水産大臣に就任。現職大臣として臨んだ12月の第47回衆議院議員総選挙は栃木2区で福田に199票差で敗れるも、比例復活で6選した[8]。同年12月20日に当選が告示され、中央選挙管理会から当選証書が授与された[9]。なお第2次安倍改造内閣の閣僚としては、辞任した小渕優子と松島みどりを含めて小選挙区で敗北した唯一の候補者であった。同年12月24日に発足した第3次安倍内閣で再任されたが、政治献金問題が発覚し、責任を取る形で2015年2月23日に辞任した[10]。この問題を追及した玉木雄一郎は自民党から圧力をかけられたという[11]。
2017年の第48回衆議院議員総選挙は比例重複をせずに立候補し、無所属(立憲・社民・民進推薦)の福田昭夫に敗れ落選した[12]。11月8日に内閣官房参与に任命され、農業政策全般について助言を行うことになった[13]。2020年9月16日、安倍晋三首相辞任に伴い、内閣官房参与を退職した[14]。9月25日、菅義偉首相により内閣官房参与に再任された[15][16]。しかし、鶏卵汚職事件に絡んで、農林水産大臣だった吉川貴盛が政治資金を受けていた当時に日本養鶏協会幹部でもあったアキタフーズの元代表からクルーズ客船での接待を受けていたと報じられ、12月8日付で辞任した[17][18]。
2021年4月14日、この日までに新設された「党幹事長特別参与」となる[19]。同月23日、次期衆院選に出馬しない意向を表明した[20]。同年10月に行われた第49回衆議院議員総選挙では、調整の結果、栃木2区からは自民党栃木県連が公募で選んだ五十嵐清が出馬。長男の西川鎮央は比例北関東ブロックに回ったが落選した(五十嵐は福田に敗れたが比例復活)[21][22]。
週刊文春によると、千振ダムの工事を請け負った建設業者から、コンクリート打ちの不備を見逃す見返りとして現金を受け取っていた容疑を掛けられた[36]。千振ダム汚職事件を捜査していた栃木県警察本部刑事部捜査第二課は、1971年9月に西川を収賄罪の容疑で逮捕した[36]。ただ、見返りとして受け取った金額が少額だったことや、西川自身がまだ若かったことなどが考慮され、起訴猶予処分となった[36]。なお、同時に逮捕された建設業者や西川の上司らは、そのまま起訴され、執行猶予は付いたものの有罪判決を受けている[36]。
環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に絡み、2015年9月に一般社団法人日本養鶏協会の当時の会長から現金を受け取っていたことを認めた[46]。
2023年12月26日、西川が代表を務める政治団体「幸湖会」が、2021年に所属していた二階派から1048万円の寄付を受けていながら、政治資金収支報告書に収入として記載していなかったことが分かった。同日、総務省に訂正を届け出た。西川は取材に「事務所の担当者が不慣れで収入として見落としてしまっていた」とし、事務的なミスだったと説明した。
二階派と安倍派は政治資金パーティーの販売ノルマの超過分を所属議員に還流させていたとされる。西川はノルマ超過分の還流について「受け取って報告書に載せていた」と証言。一方、二階派の事務総長時代に不記載の事実を認識していたかについては「事務方に任せており、把握していなかった」と話した[51]。
2011年8月に破綻した那須塩原市の畜産会社安愚楽牧場から、2006年から2010年までの4年間で計125万円の献金を受けていた。西川の長男が同社の顧問を務めており、同社の三ケ尻久美子社長は西川の下へ陳情に訪れていた[55]。
日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券の購入等による資金提供を受けていたと報じられた[56]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.