鳥取城
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鳥取城(とっとりじょう)は、鳥取県鳥取市(因幡国邑美郡)にあった戦国時代から江戸時代の日本の城。国の史跡に指定[1]され、別名は久松城(きゅうしょうじょう)・久松山城(きゅうしょうざんじょう)という。山名氏・武田氏・尼子氏・毛利氏の争奪戦の舞台となり、織田信長の中国攻めでは、家臣の羽柴秀吉が兵糧攻めを用いて攻略した。開城後、入城した宮部継潤によって山上ノ丸の改修が行われ、江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入り、麓の二の丸以下の曲輪が拡張された[2]。現在は天守台、石垣、堀、井戸などが残っている。戦国時代から江戸末期にかけての城郭形態の変化を窺うことができることから「城郭の博物館」の異名を持つ[2]。