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ナショナルゴールデン劇場

日本のテレビ局テレビ朝日系列のテレビドラマ放送枠 ウィキペディアから

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ナショナルゴールデン劇場

  1. 1950年代から1960年代まで読売テレビで放送されていたテレビドラマ日本テレビでは『ヤシカゴールデン劇場』と題して放送。
  2. 1966年から1981年までテレビ朝日ほかが編成していたテレビドラマ放送枠。本項で詳述する。

ナショナルゴールデン劇場』(ナショナルゴールデンげきじょう)は、テレビ朝日系列局ほかが編成していたテレビ朝日1977年3月まではNETテレビ)制作のテレビドラマ放送枠である。

制作局のテレビ朝日では1966年4月7日から1979年12月27日まで編成。その後も1980年1月10日から1981年9月24日まで『ゴールデン劇場』と題して編成され続けた。

概要

当初は毎週木曜22:00 - 22:56 (日本標準時、以下同)に編成されていたが、1971年10月7日に木曜21:00 - 21:56 に変更(1時間繰り上げ)。そして1972年10月には終了時刻が21:55、1975年10月には21:54に変更された。

『ナショナルゴールデン劇場』時代

1979年12月27日までは松下電器(後のパナソニック)・松下電工(後のパナソニック電工。現在はパナソニックに合併、後身は社内カンパニーのライフソリューションズ社)の松下グループ2社(最末期は松下電工が降板して松下電器一社)による単独提供で、TBSの『ナショナル劇場』などと同じく本枠も「ナショナル」をタイトルに冠していた。殆どの場合、枠そのもののオープニングで「明るいナショナル」(作詞・作曲:三木鶏郎)が歌われていた。

オープニングの最後には中江真司(後期には泉大助)による「丈夫で豊かな暮らしを広げる松下電器・松下電工の2社がお送りするナショナルゴールデン劇場」のアナウンスが入っていたが、アナウンス冒頭は後に「社会とともに歩む技術のナショナル」に変更された。さらに松下電器一社提供となっていた『ナショナルゴールデン劇場』末期(1978年時点)には歌の部分をカットしたインスト版になり、提供読みなしですぐCMに入るようになった。

1979年12月27日に放送の『風光る・亜紀子』最終回をもって松下グループ2社(末期は松下電器のみ)による単独提供は終了した。

『ゴールデン劇場』時代

1980年1月10日放送開始の『頓珍館おやじ』からは、マツダロレアルもスポンサーに加わって複数社提供になったため、枠名も『ゴールデン劇場』に変更され、独自の音楽による新たなオープニングキャッチが製作された。

1981年9月24日に放送の『おやじの台所』最終回をもって本枠は終了し、『ナショナルゴールデン劇場』時代からの通算で15年半の歴史に幕を下ろした。

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放送作品

ナショナルゴールデン劇場

ゴールデン劇場

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ネット局

要約
視点

系列はいずれも放送当時の系列。

さらに見る 放送対象地域, 放送局 ...

ネット局に関する備考

  • 本土復帰前の沖縄では、沖縄テレビに『ナショナルゴールデン劇場』名義の松下電器一社提供枠が存在したが、この枠は一時期、NHK大河ドラマ』の放送枠に充てられていた。その後の沖縄放送協会(現・NHK沖縄放送局)の設立に伴い、沖縄における『大河ドラマ』の放映権は同局へ移行した。
  • 本枠のネット開始当初は当時放送されていた『ナショナル劇場』とは異なり、未ネットの地域もあった。1969年から1970年にかけてのアナログUHF局の開局により、他系列とのクロスネット局での放送が増加していった。
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脚注

関連項目

外部リンク

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