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アダム・オッタビーノ

イタリア系アメリカ人のプロ野球選 ウィキペディアから

アダム・オッタビーノ
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アダム・ロバート・オッタビーノAdam Robert Ottavino, 1985年11月22日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区出身のプロ野球選手投手)。右投両打。愛称はオットOtto[1]

概要 基本情報, 国籍 ...
概要 獲得メダル, 男子 野球 ...
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経歴

要約
視点

プロ入り前

2003年MLBドラフト30巡目(全体878位)でタンパベイ・デビルレイズから指名されたが[2]、この時は入団せずにノースイースタン大学へ進学した。

プロ入りとカージナルス時代

2006年MLBドラフト1巡目(全体30位)でセントルイス・カージナルスから指名され[3]、契約を結びプロ入り。

2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)イタリア代表に選出された[4][5]

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セントルイス・カージナルス時代
(2010年3月26日)

2010年5月29日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビューを果たした。しかし、右肩を痛めて故障者リスト入りし、シーズン終了後に40人枠から外れた[6]

2011年はメジャー登板なしに終わったが、AAA級メンフィス・レッドバーズでは141イニングを投げて健康面での不安を払拭した。オフの11月18日には再び40人枠に加えられた[6]

ロッキーズ時代

2012年4月3日にウェイバー公示を経てコロラド・ロッキーズへ移籍した[7]。5月に2シーズンぶりのメジャー昇格を果たし、中盤以降はカルロス・トーレスジョシュ・レネキーらと共に、75球程度に投球を制限されたロッキーズの先発投手を救援する“ピギーバックハイブリッド)”投手として貢献した[8]

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コロラド・ロッキーズ時代
(2014年5月18日)

2013年より、自身のイニシャルである「O」にちなんで、背番号を「0」に変更する。

2015年4月27日、右上腕の炎症で15日間の故障者リスト入りとなり、その後の検査で右肘のトミー・ジョン手術が必要であることが明らかとなり、5月14日に60日間の故障者リストに入り、シーズン中の復帰は絶望となった[9]。12月19日に3年契約で契約を延長した[10]

2016年2月18日、引き続き60日間の故障者リスト入りすることになった。7月5日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャー復帰した。最終的に34試合に登板して1勝3敗7セーブ、防御率2.67という成績を残した[11]

2018年は75試合に登板してナショナルリーグ最多となる34ホールドを記録した。オフの10月29日にFAとなった[11]

ヤンキース時代

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ニューヨーク・ヤンキース時代
(2019年7月13日)

2019年1月24日にニューヨーク・ヤンキースと3年総額2700万ドルの契約を結んだ。また、ヤンキースの一桁背番号で唯一の空き番号であり、ロッキーズ時代より着用していた背番号0を背負うことも決まった[12]。ヤンキースの選手が背番号0を着用するのは球団史上初のケースとなる[13]。チームトップの73試合に登板し、6勝5敗2セーブ29ホールド、防御率1.90を記録し、移籍1年目にしてリリーフ陣の柱となった[11]

レッドソックス時代

2021年1月25日に後日発表選手または金銭とのトレードで、フランク・ヘルマンと共にボストン・レッドソックスへ移籍した[14]。オフの11月3日にFAとなった[15]

メッツ時代

2022年3月14日にニューヨーク・メッツと400万ドルの単年契約を結んだ[16]。 オフの11月6日にFAとなった[17]が、新たに2年$14.5Mで再契約[18]

2023年はシーズン開幕前の2月10日に第5回WBCアメリカ合衆国代表に選出された[19]。オフの11月3日に契約延長オプションを破棄して、一度はFAとなったが[20]2024年1月30日に単年450万ドルのスプリット契約で再契約を結んだ[21]

2024年シーズンは60試合に登板して、2勝2敗1セーブ15ホールド、防御率4.34、70奪三振を記録した[11]。チームはポストシーズンに進出したが、ポストシーズンのロースターから漏れた為、登板機会は無かった。オフの10月31日にFAとなった[11]

メッツ退団後

2025年2月18日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングには招待選手として参加したが[22]、開幕ロースター入りはならず3月23日に自由契約となった[23]

ヤンキース復帰

2025年4月1日にヤンキースと契約を結び、約5年ぶりに同チームに復帰することとなった[24]。なお、背番号は自身のイニシャルでもある『0』をマーカス・ストローマンが着用していた為『58』となった。

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選手としての特徴

スリークォーターから、最速98.9mph(約159km/h)・平均93mph(約150km/h)の速球フォーシームシンカー)と、平均83mph(約134km/h)の横に大きく曲がるスライダーで全投球の大半を占める。2015年以降は稀に90mph(約145km/h)程度のカッターも使う。かつてはスライダーよりもチェンジアップを投げる割合が高かったが、ロッキーズ移籍後は速球とスライダーが投球の中心となった[25]

詳細情報

年度別投手成績

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  • 2024年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

ポストシーズン投手成績

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  • 2024年度シーズン終了時

WBCでの投手成績

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年度別守備成績

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  • 2024年度シーズン終了時

背番号

  • 35(2010年 - 同年途中)
  • 56(2010年途中 - 同年終了)
  • 37(2012年)
  • 0(2013年 - 2024年)
  • 58(2025年)

代表歴

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脚注

関連項目

外部リンク

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