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カールトン・フィスク
アメリカの野球選手 (1947 - ) ウィキペディアから
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カールトン・アーネスト・フィスク(Carlton Ernest Fisk, 1947年12月26日 - )は、アメリカ合衆国バーモント州ベローズフォールズ出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。愛称は「Pudge」。
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経歴
要約
視点
ボストン・レッドソックス
1967年1月のMLBドラフトでMLBのボストン・レッドソックスから1巡目(全体4位)に指名を受け入団。同年9月18日の対ボルチモア・オリオールズ戦でMLBデビュー。
1971年9月12日の対デトロイト・タイガース戦でMLB初本塁打を記録。
1972年にレギュラーを獲得し、前半戦で打率.310、15本塁打の成績でオールスターゲームに初選出される。打率.293、22本塁打、61打点、リーグトップの9三塁打、共にリーグ2位の長打率.538、OPS.909を記録し、新人王を満票で受賞[1]。MVPの投票でも4位に入り、ゴールドグラブ賞も獲得した。
1973年はニューヨーク・ヤンキースとの開幕戦で満塁本塁打を含む2本塁打を放ち6打点を記録するなど、前半戦で18本塁打を放つが、後半戦で打率.196と不振に陥った。
1974年は故障で出遅れ、復帰後は好調だったものの6月28日を最後に左足を骨折して離脱し、52試合の出場に留まる。同年のオールスターゲーム前の開会式では、松葉杖に支えられながらアメリカンリーグのスター選手達とファウルライン上に並び、スタンドのファンの大喝采を受けた[2]。

1975年も故障で出遅れ、6月下旬に復帰。79試合の出場ながら打率.331、10本塁打、52打点を記録しチームの地区優勝に貢献。ワールドシリーズ3連覇中のオークランド・アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.417と活躍し、チームは3連勝で8年ぶりのリーグ優勝。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは王手をかけられ、本拠地フェンウェイ・パークで迎えた第6戦の延長12回裏に先頭打者として打席に立ち、左翼ポールを直撃するサヨナラ本塁打を放つ。ポール際に飛んだ打球に向かって両手を大きく右に振って「入れ、入れ」とジェスチャーする姿は全米の注目の的となり、当時世界一の名バレエダンサーだったルドルフ・ヌレエフばりに「ヌレエフ・ダンス」と有名になった[2]。後に「シリーズ史上最高のゲーム」と呼ばれるようになった試合の象徴的なシーンだった。チームは第7戦で敗れてワールドチャンピオンを逃す。レッズ監督のスパーキー・アンダーソンはフィスクの送球がシュート気味に二塁ベースの右の方に偏るのを見抜いて積極的に走らせ、レッズはこのシリーズでフィスクから9連続で盗塁を成功させている[2]。
1977年は26本塁打、102打点、いずれもキャリアハイの打率.315、出塁率.402、106得点を記録。
1978年はキャリアハイの157試合に出場し、20本塁打、88打点を記録。チームはヤンキースとのワンゲームプレーオフで敗れて地区優勝を逃した。1980年オフにフリーエージェント(FA)となる。
シカゴ・ホワイトソックス

1981年3月18日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。同年は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮された影響で96試合の出場に留まるが、シルバースラッガー賞を受賞。
1983年は6月中旬まで打率が.200前後と不調だったが、7月に打率.366、10本塁打、31打点を記録するなど後半戦で打率.319、17本塁打、56打点と調子を上げ、チームの地区優勝に貢献。オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.176に終わり、チームは1勝3敗で敗退。MVPの投票では自己最高の3位に入った。
1985年は9月6日のテキサス・レンジャーズ戦で7打点を記録するなど、打率.238ながらキャリアハイの37本塁打、107打点を記録し、2度目のシルバースラッガー賞を受賞。
1988年にリック・フェレルが持つ捕手としての最多出場試合1806のMLB記録を40年ぶりに更新。同年は76試合の出場ながら19本塁打を記録し、3度目のシルバースラッガー賞を受賞。
1991年のオールスターゲームに43歳で出場して安打を放ったが、これはオールスターゲーム出場選手中、最高齢安打記録である[2]。
その後捕手としての出場試合を2226まで伸ばすが、1993年6月28日に解雇され、現役を引退。この出場試合記録は後にイバン・ロドリゲスが更新している。
引退後
シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番に1997年指定。

ボストン・レッドソックスの永久欠番に2000年指定。
1997年9月14日にホワイトソックス在籍時の背番号『72』が永久欠番に指定された。ちなみに現在MLBの選手の永久欠番でフィスクの「72」は最大の数字である。
2000年にアメリカ野球殿堂に選出。これを記念して同年9月4日に古巣レッドソックスでもフィスク在籍時の背番号「27」を永久欠番に指定した。
2005年6月13日、レッズ戦の試合前にセレモニーが行われ、球団はフェンウェイ・パークの左翼ポールを「フィスク・ファウルポール」と命名した。
2008年よりシカゴ・ホワイトソックスのアンバサダーに就任している。
2012年10月22日、イリノイ州ウィル郡ニューレノックスのトウモロコシ畑の中でウォッカを飲み車で寝ていたところを通報され、飲酒運転の容疑で逮捕、罰金刑となった。ワールドシリーズのサヨナラ本塁打から37年と1日後の事であった[3]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 捕手守備
- 内野守備
- 外野守備
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
表彰
- 新人王(1972年)
- シルバースラッガー賞(捕手部門):3回(1981年、1985年、1988年)
- ゴールドグラブ賞(捕手部門):1回(1972年)
- ボストン・レッドソックス殿堂入り(1997年)
- アメリカ野球殿堂(2000年)
記録
背番号
- 40(1969年)
- 27(1971年 - 1980年)※ボストン・レッドソックスの永久欠番
- 72(1981年 - 1993年)※シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番
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脚注
外部リンク
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