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ダンスインザモア
日本の競走馬 ウィキペディアから
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ダンスインザモア(欧字名:Dance in the More、2002年5月3日 - )は、日本の競走馬[1]、誘導馬。主な勝ち鞍に2005年のスプリングステークス、2010年福島記念。
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戦績
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[5]
2004年12月5日、中山競馬場での2歳新馬戦でデビューし、1着[6]。2005年初戦の500万下特別黒竹賞でシーザリオの4着となったのち2月東京競馬場での500万下条件戦で2勝目を挙げ、スプリングステークスでもウインクルセイドの追撃を振り切って重賞初制覇[7]。クラシック三冠路線ではディープインパクトの前に皐月賞8着、日本ダービー14着という結果に終わる。秋は富士ステークス7着、中日新聞杯ではグランリーオの2着に入った。2006年は中山金杯から始動して8戦するも3着以内は一度もなく、5歳となった2007年は初戦のニューイヤーステークスでスプリングステークス以来の勝利をおさめ、続く中山記念でもローエングリンの3着に入るものの続く3戦は勝てず、エプソムカップ6着後1年半近く休養に入った。
2008年11月のカシオペアステークスで戦列に復帰したが、2008年、2009年ともに勝てずじまいに終わる。2010年も前半4戦では依然として勝てなかったが、秋に入り秋初戦の富士ステークス13着から臨んだ福島記念では12番人気ながら直線でディアレトゥーサを差し切って勝利[8][9]。2007年のニューイヤーステークス以来およそ3年10か月ぶり、重賞に限ってみても2005年のスプリングステークス以来およそ5年8か月ぶりの勝利で[8]、メジロマイヤーが持っていた中央競馬 (JRA) における重賞最長間隔勝利記録を大きく更新した[9]。その後は最後のレースとなった2012年の中山金杯まで11戦したが、掲示板内に入ったのはわずか1度という成績に終わり、2012年中山金杯でフェデラリストの14着だったのが最後の競馬となって2012年1月11日付で競走馬登録を抹消された[2][10]。
引退後は福島競馬場で乗馬となり[2][10]、誘導馬に転じたのち2015年に福島競馬場を退厩後は福島県鏡石町の岩瀬牧場に移った[11]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、JBISサーチ[5]およびnetkeiba.com[12]に基づく。
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血統表
ダンスインザモアの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ヘイロー系 |
[§ 2] | ||
父 ダンスインザダーク 1993 鹿毛 |
父の父 *サンデーサイレンスSunday Silence 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason | |
Cosmah | ||||
Wishing Well | Understanding | |||
Mountain Flower | ||||
父の母 *ダンシングキイDancing Key 1983 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer | ||
Flaming Page | ||||
Key Partner | Key to the Mint | |||
Native Partner | ||||
母 スーパーリヴリア 1990 鹿毛 |
*リヴリア Rivlia 1982 鹿毛 |
Riverman | Never Bend | |
River Lady | ||||
Dahlia | Vaguely Noble | |||
Charming Alibi | ||||
母の母 *ダンサーズカップDancer's Cup 1985 鹿毛 |
Green Dancer | Nijinsky II | ||
Green Valley | ||||
Loving Cup | Big Spruce | |||
Seductive | ||||
母系(F-No.) | ダンサーズカツプ(USA)系(FN:16-g) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nijinsky II 3 × 4 = 18.75% | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
外部リンク
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