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松岡正海

日本の騎手 (1984-) ウィキペディアから

松岡正海
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松岡 正海(まつおか まさみ、1984年7月18日 - )は、JRA(日本中央競馬会)の騎手美浦前田禎厩舎所属でデビューし、2005年10月に同調教師が死去し厩舎解散になったあとは相沢郁厩舎に所属。2013年からはフリーとなっている。妻は元ファッションモデルの杉浦美帆

概要 松岡正海, 基本情報 ...
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来歴

要約
視点

神奈川県川崎市出身[2]。小中学生の時に野球をやっていた[3]。小学校低学年のころから競馬のテレビを見て騎手を志す[4]

2003年3月1日中山競馬第12競走でプラチナウィンクに騎乗しデビュー(14着)。同年3月23日の中山競馬第12競走でデュエットシチーに騎乗し初勝利を挙げる。

デビュー年は11勝にとどまったが、2年目の2004年は28勝と勝利数が上昇。夏には北海道競馬に参戦し、函館競馬で初の特別競走勝ちを収めるなどの活躍をした。

その後2005年のダイヤモンドステークスでウイングランツに騎乗し重賞初制覇。美浦所属の2003年デビュー組のなかで一番乗りでの重賞初制覇であった(栗東所属も含めると、前年の長谷川浩大福島記念優勝)に次いで2人目)。そしてこの年の桜花賞GI初騎乗を果たすなど、グレード競走にも徐々に名を連ねるようになり、最終的に49勝をマークした。

2006年4月1日には中山4Rでコスモメルベーユに騎乗し1着となり、現役では83人目となるJRA通算100勝を1713回目の騎乗で達成[5]。同年6月12日からはマイケル・キネーン騎手の紹介により、アイルランドの有力な調教師ジョン・オックス英語版厩舎のもとで約3か月間の国外出張を行った。現地では騎乗は2レースのみ(6着、8着)だったが、馬の身の回りの世話や日本との違いなどを肌で感じ取った。松岡自身も、「この時の経験が、自分の競馬に対するスタンスを変えた」と語っている。3か月のアイルランドでの修行を経て、9月16日の中山競馬よりJRAのレースに騎乗を再開した。

日本復帰後はプリサイスマシーンマイネルレーニアサンツェッペリンアイルラヴァゲインと重賞勝ちを積み重ね、勝負強さを際立たせた。

2007年5月13日に12番人気コイウタヴィクトリアマイルを制し、JpnI(GI)初勝利を挙げた[6]。また4月15日の皐月賞でも15番人気のサンツェッペリンをハナ差の2着に持ってきており、ともに大波乱を演出する。同年6月26日から再び、アイルランドのジョン・オックス厩舎へ武者修行へ出るが、相沢調教師の呼びかけに応えて予定の9月3日を繰り上げ、7月28日に帰国する[7]

2008年3月29日、中山1Rでケージーハッピーに騎乗し1着となり、現役53人目となるJRA通算200勝を2944戦で達成した[8]

地方競馬での騎乗にも積極的で、2008年11月3日、公営園田競馬場で開催されたJBCスプリントバンブーエールで制覇し、交流Jpn競走初勝利を挙げた。また地方競馬場では、とくに南関東公営競馬で交流競走以外に条件競走・特別競走・地元重賞を問わず、地元馬にも多く騎乗している[9]

2009年4月18日、中山7Rでヒカリマーガレットに騎乗して1着となり、JRA通算300勝を3829戦目で達成した[10]。同年5月3日天皇賞・春では、前走の日経賞アルナスラインの2着にもってきたマイネルキッツに引き続き騎乗し、12番人気という低評価を覆し、八大競走初制覇。前走敗れたアルナスラインにクビ差競り勝った[11]

2010年5月9日、東京3Rでアプローチミーに騎乗し1着となり、現役32人目のJRA通算400勝を達成した[12]。同年12月4日、中山12Rでヒットジャポットに騎乗し1着となり、自身初となるJRA年間100勝を達成した[13]

2011年からは落馬負傷による戦線離脱が相次いでいる。8月28日に左腓骨11月19日には右鎖骨を骨折。明け2012年には1月5日京都金杯マイネルラクリマで制覇し1年ぶりの重賞勝ちとなった直後の京都競馬第12競走で競走中に落馬。検査の結果左足関節内果骨折、左手関節捻挫と診断された。2020年には2月8日の東京競馬第6競走にて騎乗していたゴールドミッションの故障による転倒で落馬し、左大腿骨骨折と診断された。同年10月に復帰するも患部の状態が思わしくなく、12月の香港カップでのウインブライト騎乗を最後にふたたび休養に入った[14]。翌2021年11月6日東京競馬第7Rで328日ぶりの復帰を果たした[15]

2013年3月31日、中山6Rでカフェリュウジンに騎乗し1着となり、中央競馬史上65人目、現役27人目となるJRA通算600勝を達成[16]

2016年1月10日、中山3Rでイルフォーコンに騎乗して1着となり、中央競馬史上55人目、現役23人目となるJRA通算700勝を8838戦目で達成した[17]

2017年10月22日、東京6Rでパラノーマルに騎乗し、史上32人目、現役20人目となるJRA通算10000回騎乗を達成した[18]

2018年9月2日、札幌11Rでリッジマンに騎乗し1着となり、史上50人目、現役25人目となるJRA通算800勝を1万615戦目達成した[19]

2019年4月28日香港沙田競馬場にて開催されたクイーンエリザベス2世カップウインブライトにて勝利し海外G1レース初制覇。勝利後の現地メディアによるインタビューには流暢な英語で応対した。同年5月26日、京都1Rでストームガストに騎乗し、中央競馬史上30人目、現役18人目となるJRA通算11000回騎乗を達成した[20]

2023年4月1日、中山1Rでペイシャアンジェロに騎乗して、史上33人目、現役20人目となるJRA通算1万2000回騎乗を達成した[21]

2025年4月19日、中山8Rでマンダリンボレロに騎乗し1着となり、JRA通算900勝を1万2953戦目で達成した[22]。同年5月24日、東京9Rでコスモイシュタルに騎乗して、史上29人目、現役17人目となるJRA通算1万3000回騎乗を達成した[23]

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エピソード

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評価

  • 週刊Gallopや自著「藤田伸二の男ラム」で、藤田伸二が「最近の若い騎手は覇気がない」と言いつつも「正海はいいね」と発言したことがある。
  • 一方、田原成貴は、松岡について注目する若手騎手とし[34]つつも「いい意味でのヤンチャとただ荒々しいことを取り違えているんじゃないかと疑いたくなるほどもつれた場面で危険な乗り方をしているレースがある」との懸念も表明している[35]

主な騎乗馬

太字はGI級競走

表彰

  • 福島競馬場リーディングジョッキー
2008年第2回12勝
  • 新潟競馬場リーディングジョッキー
2008年第2、3回22勝
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騎乗成績

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脚注

関連項目

外部リンク

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