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ショウワモダン
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ショウワモダン(欧字名:Showa Modern、2004年3月31日 - 2011年12月2日)は、日本の競走馬。主な勝ち鞍は2010年の安田記念、ダービー卿チャレンジトロフィー。

安田記念の勝利は父エアジハードとの父仔制覇であり、祖父サクラユタカオーから続いての内国産父仔3代連続のGI勝利でもある[4]。馬名の意味は、「昭和を偲んで」[5]。
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戦績
2006年7月にデビュー[6]。2007年1月の6戦目で初勝利を挙げ、2008年2月、斑鳩ステークスを勝利してオープン入り[6][7]。その後は一時準オープンへ降級するも、同年11月のノベンバーステークスを逃げ切って再度オープンクラスへ昇級[6][8]。その後の1年でオープン特別を2勝し、2010年4月のダービー卿チャレンジトロフィーで重賞初勝利[9]。続くメイステークスも59kgを背負いながら連勝し、中1週で安田記念へ向かう[10]。
8番人気で迎えた安田記念では、1000m通過が56.3秒、1400mの通過がコースレコードを上回る速い流れを中団から追走[11][12]。直線外から伸びて先頭に立ち、さらに外から伸びてきたスーパーホーネットを1/2馬身抑えてG1初勝利を挙げた[12]。勝ち時計1:31.7はレースレコード[13]。39戦目での国内GI初勝利は、グルメフロンティア、トウカイポイントの35戦を上回る史上最多キャリアだった[13]。安田記念勝利後はフランスへの遠征プランも出たが、以後の8戦は全て着外に敗れる[14][15]。
2011年、出走を予定していた安田記念の追いきり後に鼻出血を発症したため引退が決まり、同年6月8日付けで競走馬登録を抹消された[16][17]。引退後は馬事公苑で乗馬となったが、登録抹消から約半年後の12月2日に馬事公苑内の馬房で事故により窒息死した[18]。
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特徴
安田記念まで連勝した3戦は良馬場だったが、それまでは重馬場、不良馬場を得意とし、同条件では6戦して3勝、2着1回の好成績を上げ、「道悪の鬼」と呼ばれていた[15][16]。また、道悪巧者の意味ではなく純粋に雨そのものが好きだったという話もあり[19]、調教師の杉浦宏昭は「雨の日には歩様もリズミカルで、本当に楽しそうに歩く」とし[20]、騎手の後藤浩輝は「晴れている日はがっくりとうなだれるようにして歩き、雨の日はウキウキしている感じで本当にいきいきしている」とした[21]。道悪専用との評価が定着していた同馬だったが、6歳になり苦手な高速馬場を克服。調教師の杉浦宏昭は本格化の要因について「何もしてない。馬が勝手に強くなった」「気持ちが安定して自信がついたのだろう」と話した[13][22]。また、直接的な要因かどうかは定かではないが、馬っ気が強くなるにつれて成績が上昇したとの声もあった[23]。
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競走成績
- 出典: netkeiba[24]
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血統表
ショウワモダンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | プリンスリーギフト系 |
[§ 2] | ||
父 エアジハード 1995 栗毛 |
父の父 サクラユタカオー1982 栗毛 |
*テスコボーイ | Princely Gift | |
Suncourt | ||||
アンジェリカ | *ネヴァービート | |||
スターハイネス | ||||
父の母 アイシーゴーグル1987 栗毛 |
*ロイヤルスキー | Raja Baba | ||
Coz o'Nijinsky | ||||
シャダイアイバー | *ノーザンテースト | |||
*サワーオレンジ | ||||
母 ユメシバイ 1990 黒鹿毛 |
*トニービン Tony Bin 1983 鹿毛 |
*カンパラ | Kalamoun | |
State Pension | ||||
Severn Bridge | Hornbeam | |||
Priddy Fair | ||||
母の母 ヨドセンリョウ1975 黒鹿毛 |
*エルセンタウロ | Sideral | ||
Planetaria | ||||
*リリーオブザナイル | Never Bend | |||
Nile Lily | ||||
母系(F-No.) | (FN:10-a) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nasrullah:S5×M5, Hyperion:S5×M5 | [§ 4] | ||
出典 |
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主な近親
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脚注
外部リンク
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