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コスモファントム

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コスモファントム
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コスモファントム (: Cosmo Phantom) は日本競走馬2011年中山金杯中日新聞杯優勝馬。馬名の由来は冠名+幻。

概要 コスモファントム, 欧字表記 ...
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戦歴

2009年

6月28日阪神新馬戦デビュー。その新馬戦・未勝利戦と3着だった。8月15日の札幌ダート1700m戦で初勝利を飾った。9月20日の野路菊ステークスではリルダヴァルの2着。10月31日の萩ステークスではテイラーバートンの2馬身差をつけ2勝目を挙げた。重賞初挑戦となった12月26日ラジオNIKKEI杯2歳ステークスではヴィクトワールピサの2着に敗れた。

2010年

放牧休養を経て5月8日京都新聞杯で復帰、人気通りの2着。次走第77回東京優駿では10着と惨敗した。その後ダート路線に戻りジャパンダートダービー白山大賞典を2着3着と好走した。再び芝へと戻り10月31日天皇賞(秋)に出走したが15着と大敗を喫した。続く中日新聞杯では2着だった。

2011年

初戦の中山金杯では好位を進み直線で脚を伸ばし優勝、重賞初制覇を果たした。アメリカジョッキークラブカップ4着を挟み陣営はフェブラリーステークスに出走させたが最下位16着と惨敗した。5ヶ月の休養を経て七夕賞で復帰したが7着、次走小倉記念では14着と敗戦が続いた。レース後は放牧に出された。12月の中日新聞杯では中団やや前で追走し直線に入り馬群から抜け出すとゲシュタルトの追撃をクビ差退け重賞2勝目を挙げた。また騎乗した大野拓弥は重賞初勝利となった。

2012年

1月5日の中山金杯ではフェデラリストの3着。2月4日小倉大賞典で初騎乗となる蛯名正義を鞍上に据え出走。同騎手のJRA全10場重賞制覇の期待もかけられていたが逃げるエーシンジーラインを捕らえきれず3着に敗れた。3月4日の中日新聞杯では15着と惨敗。4月1日大阪杯では2番手に控える形となったが直線で伸びず7着惨敗。3ヶ月の休養を経て函館記念に出走したが8着と惨敗し、オールカマーでは5着に敗れ再び休養に入った。

2013年

2年ぶりのダート戦となるマーチステークスに出走したが16着に惨敗し、続く新潟大賞典鳴尾記念はいずれも15着だった。4ヶ月の休養を経て白山大賞典に出走したが7着に敗れ、続く福島記念とディセンバーステークスはいずれも11着だった。

2014年

年明け初戦は中山金杯に出走し8着、アメリカジョッキークラブカップは16着に敗れた。その後は障害未勝利戦に出走し1番人気に応え勝利したが、この競走を最後に引退した。

引退後

引退後は金沢大学馬術部で乗馬として供用され[2][3]、同所で9年間在籍し中部学生大会中障害個人優勝を含む4度の全日学出場などの成績を残した。2023年7月18日深夜、腸捻転のため、死亡した[4]

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競走成績

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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血統表

コスモファントム血統ボールドルーラー系 / Northern Dancer 6.25% 5 x 5)(血統表の出典)

Stephen Got Even
1996 鹿毛
父の父
A.P. Indy
1989 黒鹿毛
Seattle Slew Bold Reasoning
My Charmer
Weekend Surprise Secretariat
Lassie Dear
父の母
Immerse
1988 鹿毛
Cox's Ridge Best Turn
Our Martha
Baroness Direct Blushing Groom
Avum

Southern House
1996 鹿毛
Paris House
1989 芦毛
Petong Mansingh
Iridium
Foudroyer *アーテイアス
Foudre
母の母
My Southern Love
1986 鹿毛
Southern Arrow Smarten
Northern Lake
Time Wind Dance in Time
Schoolhouse Dale F-No.19

参考文献

外部リンク

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