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ファストフレンド

日本の競走馬、繁殖牝馬 (1994-2025) ウィキペディアから

ファストフレンド
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ファストフレンド(欧字名:Fast Friend1994年5月12日 - 2025年1月11日)は日本競走馬繁殖牝馬である[1]。現役時はダートで活躍し、砂の女王と呼ばれた[2]

概要 ファストフレンド, 欧字表記 ...
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戦歴

デビューは遅く、1997年5月の未勝利戦(芝1600m)に出走し9着だった。これが最初で最後の芝レースとなり、以降はダートに専念する。3戦目で未勝利を勝ち上がり、その後900万条件まではトントン拍子に勝ったがここで成績が頭打ちになり、1998年終了時点では13戦4勝とどこにでもいる条件馬に過ぎなかった。

変わり身を見せたのは5歳となった1999年4月のマリーンカップ。ここで重賞初挑戦を初勝利で飾り、さらにこの年スパーキングレディーカップエンプレス杯クイーン賞に勝ち、年末の東京大賞典でも2着と好走、瞬く間にダート戦線の中心馬となった。

明け6歳となった2000年川崎記念フェブラリーステークスと連続3着の後東海ステークスをレコード勝ちし、帝王賞へと出走。人気薄のドラールアラビアンをハナ差抑えて勝利し、初のGI勝ちを飾る。この後さらにエンプレス杯連覇、東海菊花賞レコード勝ち、東京大賞典で2度目のGI制覇と大活躍。NARグランプリ特別表彰馬に選出された。また、この年施行された第1回ジャパンカップダートでは1番人気に支持されている(結果は5着)。

2001年は精彩を欠き1勝もできず、オグリキャップ記念ではこれが引退レースとなった地元笠松の逃げ馬ハカタビッグワンに逃げ切りを許している。その後、帝王賞11着を最後に現役を引退。

ジャパンカップダート当日の11月24日、東京競馬場にて引退式が行われた[3]。帝王賞を制した時のゼッケン「5」を身に着け、蛯名正義が騎乗し、芝コースでキャンターを行った[3]

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競走成績

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主な勝ち鞍

重賞9勝中8勝が統一重賞である。

引退後・繁殖成績

当初は生まれ故郷の中前牧場で繁殖生活を送っていたが、2006年からはノーザンファームで繋養された[4]。2005年産のフォーティファイド(父フォーティナイナー)は2013年大井記念、2014年金盃優勝馬。2013年にベルゲンを出産。その後、生まれ故郷に戻った。2017年アレッタ(父トランセンド)を出産後に繁殖を引退。2018年からは離乳した当歳馬のリードホースを務めている[5][6]

2025年1月11日、中前牧場で老衰による心不全のため死亡した。31歳[7]

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血統表

ファストフレンド血統ダークロナルド系 / Lady Angela5×4=9.38% Norseman5×5=6.25% Hyperion5×5=6.25%)(血統表の出典)

アイネスフウジン
1987 黒鹿毛
父の父
*シーホーク
Sea Hawk
1963 芦毛
Herbager Vandale
Flagette
Sea Nymph Free Man
Sea Spray
父の母
テスコパール
1976 栗毛
*テスコボーイ
Tesco Boy
Princely Gift
Suncourt
ムツミパール *Montaval
マサリュウ

ザラストワード
1987 鹿毛
*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Vicrotia Victoria Park
Lady Angela
母の母
グロリアウェーブ
1978 黒鹿毛
*シルバーシャーク
Silver Shark
Buisson Ardent
Palsaka
*ブルーウェーブ Neanderthal
Capriann F-No.2-b
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脚注

参考文献

外部リンク

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