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シルクレーシング
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有限会社シルクレーシング(Silk Racing Co.Ltd[1])は、日本中央競馬会に馬主登録をしているクラブ法人である。愛馬会法人「シルクホースクラブ」より匿名組合契約に基づく競走馬の現物出資を受けて、中央競馬などの競走に出走させている。
勝負服の柄は、水色、赤玉霰、袖赤一本輪、冠名は特に用いないが、 かつては「シルク」「シルキー」を使用していた。2013年までの名称は「有限会社シルク」。代表者の米本昌史は吉田勝己の娘婿で、元不動産開発業であった[2]。
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歴史
要約
視点
沿革
創業
創業家である阿部家は福島県伊達郡霊山町(現在の伊達市霊山町)で絹糸などを生産する阿部製糸株式会社を営んでいた[2]。有限会社シルクは福島馬主協会の会員[6]、有限会社シルク前代表の阿部善武は福島馬主協会の役員である(2019年8月現在)[5][7]。
阿部製糸経営者の阿部善男は古くからサラブレッドのオーナーをしており、バリシニコフ(1982年オータムスプリントS優勝、種牡馬[8] )、キッポウシ(1986年カブトヤマ記念優勝[9] )、フレンチパッサー(1991年紅梅賞優勝[10] )、マチエール(中央4勝[11] )などの馬主である。阿部善武はペガサス(1992年新潟3歳SGIII、1993年福島記念GIII優勝[12] )、ルミネッセンス(1997年ターコイズS優勝[13] )の兄妹やスギノハヤカゼ(1996CBC賞GII・1997年スワンSGIIほか優勝[14] )のオーナーである。
福島県伊達郡桑折町には大正時代に創業の資生園早田牧場があり、その経営者である早田家の主治医は阿部家の人物だった[4]。その縁で、早田牧場が北海道新冠町に進出するにあたり、阿部家も支援した[4]。上述のフレンチパッサー、ペガサス、ルミネッセンスは早田牧場新冠支場の生産馬である。クラブ法人としての有限会社シルクは、1985年(昭和60年)に創業した[2]。クラブ名や競走馬の冠名となる「シルク」という語は、阿部製糸が絹糸生産をしていたことから選んだ[2][5]。翌1986年(昭和61年)には早田牧場を代表する繁殖牝馬モミジの産駒ロイヤルシルキーが重賞クイーンステークスGIIIを制し、クラブにとっても早田牧場にとっても初めての重賞勝ち馬となった[15]。
以後、1997年(平成9年)に早田牧場新冠支場生産馬のシルクジャスティスが有馬記念に優勝し、GI競走初勝利を果たす[2]。さらに2000年(平成12年)にも早田牧場新冠支場産のシルクプリマドンナが優駿牝馬に勝って、GI競走2勝目となった[2]。
この間、クラブ法人でも変革が行われた[4]。1995年(平成7年)から募集口数を500口に拡大し、募集用のビデオやカラーパンフレットを作成した。その初年度募集馬からシルクジャスティスが出て有馬記念に勝った[4]。これ以前には会員数は200名程度だったのが、2000年(平成12年)にシルクプリマドンナが優駿牝馬に優勝する頃には会員数16,000人にまで成長していた[4]。
苦難
しかし、その頃すでに早田牧場の経営が危機に瀕していた[4]。1999年(平成11年)に福島県天栄村に開設した育成牧場天栄ホースパークの巨額の建設資金などの多くの負債を抱えており、日本経済の景気悪化やライバルの社台グループが導入したサンデーサイレンスの大成功などにも圧されて経営が悪化、2002年(平成14年)に破産宣告を受け経営破綻した[4]。
これに先立つ2001年(平成13年)には、グラスワンダーの馬主として知られる福島県の伊東純一・半沢一磨と共同で、早田牧場支援のため天栄ホースパークを買収した[4][注 1]。以後、シルクの馬は天栄で育成・調教を行うようになった[4]。
しかしクラブの成績は悪化し、会員数も減少していった[4]。この時期、倒産した早田牧場から購入した最後の世代であるシルクフェイマスが数年に渡ってトップクラスの競走馬として活躍、GII競走を3勝し、GI競走でも宝塚記念2着、有馬記念や天皇賞(春)で3着になるなど4億7000万円あまりを稼ぎ、クラブの経営を支えたという[4][注 2]。
クラブでは2003年(平成15年)に阿部幸也を代表に据えて改革に乗り出した[4]。楽天競馬と提携したり、北海道のばんえい競馬にも進出するなどの試行錯誤を行った(ばんえい競馬は後に撤退)[4]。
しかし、2010年に金融庁の指導で、それまで行われてきたクラブ会員への補償制度が撤廃されることになり、クラブを苦境に追いやった[4]。この補償制度は、クラブ会員が出資した競走馬が未出走や未勝利のまま引退した場合に、出資金の一部を還元し、次の競走馬出資に充当できる制度だった。この制度はクラブ会員にとってはリスク軽減になるし、クラブ法人側にとっても会員離れを防ぐメリットがあった[4]。しかし、共同馬主制度(クラブ法人馬主)は法律上投資ファンドの枠組みで成り立っており、金融商品取引法の規制を受ける。金融庁は未出走・未勝利馬の補償制度を、金融商品取引法で禁じられている「損失補填」にあたるとしたのである[4]。全てのクラブ法人は補償制度を廃止せざるを得なくなり、結果として会員募集がさらに困難になった[4]。
さらに追い打ちをかけたのが翌2011年(平成23年)の東日本大震災である[19]。地震による直接的被害として天栄ホースパークの調教用坂路コースが破壊され、さらに福島第一原子力発電所事故の放射線の影響で、ここに競走馬を預託するのを忌避されるようになった[19]。当時、天栄ホースパークには約260の馬房があり、そのうち160室で外部からの競走馬預託を受け入れていたが、これが立ち行かなくなってしまった[19]。
転機
クラブではこの年、天栄ホースパークをノーザンファームに売却、かつての早田牧場のライバルだった社台グループとの提携強化に踏み切った[20]。社台グループとは、早田牧場の破綻後から関係を築いており、クラブ募集馬として2008年から白老ファーム生産馬を購買していた[20]。
こうして2011年から天栄ホースパークはノーザンファーム天栄となった[5]。この年からはクラブ募集馬の主力がノーザンファーム生産馬となり、クラブは社台グループとの結びつきを一気に深めたのだった[5][2]。これはクラブ運営には大きなインパクトとなり、会員数は激増した[19]。
この2011年のノーザンファーム提携初年度の募集馬からすぐにG1優勝馬が出た[19]。2012年阪神ジュベナイルフィリーズG1を勝ったローブティサージュである[21] [2]。クラブにとってはシルクプリマドンナ以来12年ぶりのG1競走優勝となった[19][注 3]。
「アベノシルク」
クラブはさらに様々な改革を行った。この一連の改革は、「アベノミクス」をもじって「アベノシルク」と呼ばれているという[19]。手数料を引き下げて会員への賞金配分率を高めたり、優勝時の厩舎への祝儀金を廃止するなどして、会員への配当額の増加を図った[19]。福島を本拠としていたクラブ法人の東京移転もその一環である[19]。2013年には会員のための「ラウンジ」(赤坂オフィス・ラウンジ)を開設した[19]。
2014年(平成26年)に法人名を有限会社シルクレーシングに改称[2]、代表を阿部善武から米本昌史に変更した[5]。米本は2012年にノーザンファームに入社し、2013年からシルクレーシング取締役を務めていた[22]。
この間、クラブの成績は右肩上がりに上昇、2012年40勝(獲得賞金による馬主順位9位)、2013年48勝(11位)、2014年78勝(6位)、2015年66勝(5位)、2016年96勝(4位)とし、2017年(平成29年)には年間102勝(JRA99勝、地方3勝。4位)をあげ、過去最多勝利[2][5][20]。2018年には所有馬アーモンドアイが牝馬三冠を達成、JRA賞年度代表馬にも選出された。
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主な所有馬
- 重賞勝ち馬(シルクR所有馬として、ファンド解散後の地方転厩などで名義変更されて以降の勝ち鞍は除く)または総賞金1億円以上の馬。
クラブ競走馬の戦績
- 1986年
- 9月 - ロイヤルシルキーがクイーンSに勝ち、クラブ初重賞制覇。
- 1997年
- 12月 - シルクジャスティスが有馬記念優勝、クラブG1初制覇。
- 2000年
- 5月 - シルクプリマドンナが優駿牝馬優勝、クラブ初のクラシック競走制覇。
- 2018年
- G1優勝。クラブのG1優勝は6年ぶり[2]。 4月 - アーモンドアイが桜花賞
- オーストラリアロイヤルランドウィック競馬場のシドニーカップG1に遠征するが、出走直前に取消。故障により競走能力喪失と診断された。 4月 - プレストウィックが
- 10月 - アーモンドアイが牝馬三冠を達成。
- 11月 - アーモンドアイがジャパンカップをレコード勝ち。この年の年度代表馬に選出。
- 2019年
- 3月 - アーモンドアイがドバイターフ優勝。クラブ初の海外G1制覇。
- 11月 - インディチャンプが春秋マイル制覇。
- 2020年 - アーモンドアイがこの年の年度代表馬に選出。
- 2022年 - イクイノックスがこの年の年度代表馬に選出。
- 2023年 - イクイノックスがこの年の年度代表馬並びにワールドベストレースホースに選出。
- 3月 - イクイノックスがドバイシーマクラシック優勝。
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主な表彰馬
- アーモンドアイ(2018年・2020年)、イクイノックス(2022年・2023年)
- ローブティサージュ(2012年)
- ブラストワンピース(2018年)、イクイノックス(2022年)
- アーモンドアイ(2018年)
- イクイノックス(2023年)
- アーモンドアイ(2020年)
- インディチャンプ(2019年)
- JRA顕彰馬
- アーモンドアイ(2023年選出)、イクイノックス(2025年選出)
シルク・ホースクラブ(愛馬会法人)
代表者の米本晃子は、ノーザンファーム代表の吉田勝己の娘である。
募集馬はノーザンファーム及び白老ファーム生産馬が中心である。
脚注
関連項目
外部リンク
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