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武蔵野ステークス
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武蔵野ステークス(むさしのステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。2024年まで競馬番組表での名称は「東京中日スポーツ杯 武蔵野ステークス(とうきょうちゅうにちスポーツはい むさしのステークス)」と表記されていた[2]。
競走名の「武蔵野」は東京都と埼玉県にまたがる洪積台地[4]で、南は多摩川から北は川越市付近まで広がっている[5][6]。また、東京都中部にある武蔵野市は、吉祥寺を中心に商業・住宅地として発展している[5][6]。
→詳細は「武蔵野 § 武蔵野の範囲」、および「武蔵国 § 地域」を参照
→「多摩地域 § 歴史」、および「府中市 (東京都) § 地勢」も参照
なお、東京競馬場最寄りの府中本町駅を通るJR武蔵野線も、武蔵野地域・武蔵野台地を貫通して沿線の都市を結ぶことに由来して名付けられたものである。
→詳細は「武蔵野線 § 概要」、および「府中本町駅 § 歴史」を参照
2024年まで寄贈賞を提供していた「東京中日スポーツ」は、中日新聞社が東京(中日新聞東京本社)で発行する朝刊スポーツ紙[4]。同紙は2025年(令和7年)1月31日限りで紙版の発刊を取りやめ、電子版およびWeb媒体に特化することから、2025年の第30回以降寄贈賞および冠が外れて単に「武蔵野ステークス」と改められる予定である。
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概要
1996年に新設された、4歳(現3歳)以上の馬による重賞競走[7]。2014年より、本競走の1着馬にチャンピオンズカップの優先出走権が付与されている[7]。
創設時は5月に東京競馬場のダート2100mで行われていたが、ダート競走体系の整備が進められた2000年にジャパンカップダート(2014年より「チャンピオンズカップ」に改称)が新設されると、本競走はダート1600mに短縮のうえ施行時期も秋の東京開催に変更され、ジャパンカップダートの前哨戦に位置づけられた[7]。
創設時より外国産馬が出走可能なほか、地方競馬所属馬は1997年から、外国馬は2000年からそれぞれ出走可能になった[5]。
競走条件
以下の内容は、2024年現在[1][2][8][9]のもの。
出走資格:サラ系3歳以上
- JRA所属馬(外国産馬含む)
- 地方競馬所属馬(4頭まで)
- 外国調教馬(優先出走)
負担重量:別定
- 3歳56kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減
- 2020年11月14日以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬3kg増、牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬2kg増、牝馬限定GII競走またはGIII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬1kg増
- 2020年11月13日以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬2kg増、牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬1kg増(2歳時の成績を除く)
賞金
2024年の1着賞金は3800万円で、以下2着1500万円、3着950万円、4着570万円、5着380万円[1][2]。
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歴史
要約
視点
- 1996年 - 4歳(現3歳)以上の競走馬による重賞競走(GIII[注 1])として新設、東京競馬場・ダート2100mで施行[5]。
- 1997年 - 指定交流競走となり、地方競馬所属馬が5頭まで出走可能になる[5]。
- 1998年 - 「英国祭UK'98開催記念」の副称をつけて施行[5]。
- 2000年
- 2001年 - 名称を「東京中日スポーツ杯 武蔵野ステークス」に変更[5]。
- 2002年 - 外国馬の出走枠を8頭に拡大[5]。
- 2014年 - この年から1着馬にチャンピオンズカップの優先出走権を付与[5]。
- 2025年 - 東京中日スポーツが紙版を休刊することに伴い寄贈賞を取り止められ、武蔵野ステークスに改称予定[10]。
歴代優勝馬
距離はすべてダートコース。
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。
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同名の競走
重賞競走が創設される以前の1995年まで、同名の特別競走が行われていた。ただし、JRAではこれらの競走を前身としていない。
優勝馬
距離はすべてダートコース。
優勝馬の馬齢は、現行表記に揃えている。
外国調教馬の成績
→詳細は「海外調教馬による日本への遠征 § 武蔵野ステークス」を参照
脚注・出典
外部リンク
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