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フランキー・モンタス
ドミニカ共和国の野球選手 (1993 - ) ウィキペディアから
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フランセリス・モンタス・ルナ(Francellis Montas Luna, 1993年3月21日 - )は、ドミニカ共和国サン・クリストバル州サナイグア出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのニューヨーク・メッツ所属。
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経歴
要約
視点
プロ入りとレッドソックス傘下時代
2009年にボストン・レッドソックスと契約してプロ入り。
2010年に傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・レッドソックスでプロデビュー。12試合(先発4試合)に登板して0勝3敗、防御率9.55、18奪三振を記録した。
2011年もルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・レッドソックスでプレーし、5試合に先発登板して0勝1敗、防御率4.26、12奪三振を記録した。
2012年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッドソックスとA-級ローウェル・スピナーズでプレーし、2球団合計で13試合(先発10試合)に登板して1勝5敗、防御率3.65、45奪三振を記録した。
2013年はA級グリーンビル・ドライブでプレーした。
ホワイトソックス時代
2013年7月30日にシカゴ・ホワイトソックスとデトロイト・タイガースを含んだ三角トレードで、J.B.ウェンデルケンと共にホワイトソックスへ移籍した[1]。移籍後は傘下のA級カナポリス・インティミディターズでプレーし、移籍前を含めた2球団合計では24試合(先発23試合)に登板して5勝11敗、防御率5.43、127奪三振を記録した。
2014年はルーキー級アリゾナリーグ・ホワイトソックス、A+級ウィンストン・セイラム・ダッシュ、AA級バーミングハム・バロンズでプレーし、3球団合計で15試合に先発登板して5勝0敗、防御率1.44、80奪三振を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、グレンデール・デザートドッグスに所属した。11月20日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[2]。
2015年、マイナーではAA級バーミングハムでプレーし、23試合に先発登板して5勝5敗、防御率2.97、108奪三振を記録した。また、7月にはオールスター・フューチャーズゲームの世界選抜に選出された[3]。9月1日にメジャー初昇格を果たし、翌2日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビュー[4]。この年メジャーでは7試合(先発2試合)に登板して0勝2敗、防御率4.80、20奪三振を記録した。
ドジャース傘下時代
2015年12月16日にロサンゼルス・ドジャースのスコット・シェブラー、ホセ・ペラザ、ブランドン・ディクソン、シンシナティ・レッズのトッド・フレイジャーとの三角トレードで、マイカ・ジョンソン、トレイス・トンプソンと共にドジャースへ移籍した[5]。
2016年は傘下のAA級タルサ・ドリラーズとAAA級オクラホマシティ・ドジャースでプレーし、2球団合計では7試合(先発4試合)に登板して防御率2.25、22奪三振を記録した。
アスレチックス時代
2016年8月1日にジョシュ・レディック、リッチ・ヒルとのトレードで、ジャレル・コットン、グラント・ホームズと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[6][7]。移籍後は傘下のマイナーでも登板しなかった。オフには2年ぶりにアリゾナ・フォールリーグに参加し、メサ・ソーラーソックスに所属した。
2017年は2年ぶりにメジャー登板し、23試合に登板して1勝1敗、防御率7.03、36奪三振を記録した。
2018年は13試合(先発11試合)に登板して5勝4敗、防御率3.88、43奪三振を記録した。
2019年は6月21日まで15試合に先発登板して9勝2敗、防御率2.70、43奪三振と好投していたが、同日に禁止薬物使用が発覚し、80試合の出場停止処分を受けた[8]。
2020年は前述の処分から復帰後11試合に先発登板して3勝5敗、防御率5.60と防御率こそ自身最低を免れたものの、ルーキーイヤー以来の負け越しとなった。しかし、チームがポストシーズンに進出した為、この年からシリーズ制となったワイルドカードのシカゴ・ホワイトソックスとの第3戦でポストシーズン初登板初勝利(この試合では2回を投げて1失点)を果たし、チームのワイルドカード突破に貢献した。しかし、続くディビジョンシリーズではヒューストン・アストロズとの第4戦に先発登板するも、カルロス・コレアとマイケル・ブラントリーに本塁打を浴びるなど、3回途中5失点で負け投手となり、チームもこの試合で敗れた為、シリーズ敗退となった。
2021年は年間を通して先発ローテーションに定着し、32試合に先発登板して自身初の2桁勝利となる13勝(9敗)、防御率3.37の成績を記録した。
ヤンキース時代
2022年8月1日にJP・シアーズ、ケン・ウォルディチャック、ルイス・メディーナ、クーパー・ボウマンとのトレードで、ルー・トリビーノと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[9]。
レッズ時代
2024年1月2日にシンシナティ・レッズと1400万ドルの1年契約を結んだ[11]。2025年の契約は2000万ドルの相互オプションとなり、バイアウトの際は200万ドルが支払われる[11]。レッズでは開幕投手に選出されるなど19試合に先発登板し、4勝8敗で防御率5.01という成績であった。
ブルワーズ時代
2024年7月30日にジェイコブ・ジュニス、ジョーイ・ウィーマーおよび金銭とのトレードでミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[12]。ブルワーズに移籍後は11試合に先発登板し、3勝3敗、防御率4.55という成績であった。また、ポストシーズンでも本拠地で行われたワイルドカードシリーズのニューヨーク・メッツとの第2戦に先発登板したが、フランシスコ・アルバレスに適時打を浴びるなど3回途中3失点(失策は自身が絡んだものであったが、前述のアルバレス以降の得点が犠飛だった為、彼の自責は「1」)と結果を残せなかった。なお、この試合では降板後にチームが同点に追いついた為、勝敗は付かなかった。オフの11月4日に2025年の契約オプションを破棄し、FAとなった[13]。
メッツ時代
2024年12月4日にニューヨーク・メッツと2年総額3400万ドルの契約を結んだ[14]。
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選手としての特徴
速球(シンカー、フォーシーム)が投球の6割近くを占める。決め球はスプリットで2021年には被打率.126を記録している。
詳細情報
年度別投手成績
- 2024年度シーズン終了時
MLBポストシーズン投手成績
年度別打撃成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- ピッチャー・オブ・ザ・マンス:1回(2021年9月)
記録
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:1回(2015年)
背番号
- 60(2015年)
- 47(2017年 - 2024年)
脚注
関連項目
外部リンク
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