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ミツアキサイレンス

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ミツアキサイレンス
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ミツアキサイレンスとは日本競走馬種牡馬である。佐賀記念2連覇などダートグレード競走4勝を含む重賞10勝を挙げ、不出走のまま種牡馬入りした父・エイシンサンディの名を上げた。

概要 ミツアキサイレンス, 欧字表記 ...
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戦績

1999年

9月15日、デビュー戦となったJRA2歳認定競走で初勝利。連勝で臨んだJRAの芝レースは6,7着に終わる。

2000年

地元に帰って皐月賞トライアルの選定競走・ゴールドジュニアを制し、出走権を得た若葉ステークスはクリノキングオーの5着。新緑賞を制し、地元5戦無敗で出走した第1回兵庫チャンピオンシップはゴール手前で先行集団を一気に差し切りダートグレード競走初制覇。その後3歳ダートグレード競走は4,6,2着だったがダービーグランプリではレギュラーメンバーには大差を付けられたものの、2着で地方馬最先着を果たす。あまり目立たないが、次走に中日新聞杯を選び、芝の重賞でも3着に入線。2000年のNARグランプリサラブレッド4歳最優秀馬に選出される。

2001年

1月1日の東海ゴールドカップで勝利をあげると、その勢いを持続し、佐賀記念ハギノハイグレイドを破ってダートグレード競走2勝目。その後は他場のダートグレード競走を中心に使われ、帝王賞4着、JBCクラシック5着などGIでも好走している。年度末には、新設された名古屋グランプリでハギノハイグレイドを再び撃破し、ダートグレード競走3勝目をあげた。

2002年

年明け緒戦に佐賀記念を選び、マンボツイストを破って連覇達成。天皇賞出走権をかけて臨んだ阪神大賞典ジャングルポケット(2着)と大接戦も4着に敗れる。ダートでも2000メートル以上の距離に良績が集中した同馬にとって、春の天皇賞は絶好の舞台だったが、出走はかなわなかった。その後オグリキャップ記念の2着などをはさんで、宝塚記念にも挑んだが、11着に終わった。秋は3戦して勝ち星をあげられず、この年は佐賀記念の1勝のみに終わった。

2003年以降

ローテーションはあまり変わらないまま着順が落ち込み、徐々に衰えが見えるようになる。2004年は福島テレビオープンで60キロを背負いながら2着に突っ込んだ他、オータムカップで2年半ぶりに勝利しているが、衰えは隠せなくなる。ダートグレード競走の申請を取り下げ地区交流重賞となった2005年のオグリキャップ記念を勝利。これが最後の勝利となった。5度目の挑戦となった2006年の佐賀記念で8着に敗れた後、戦列を離れていたが、9月18日付で引退した[1]

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.com[2]およびJBISサーチ[3]に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
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引退後

2007年から北海道日高の優駿スタリオンステーションで種牡馬として供用を開始し、その年の種付けシーズン終了後にオーナーが開設したミツアキ牧場に移動した[4]

2008年に誕生した初年度産駒は2010年デビュー。同年11月12日の笠松競馬の2歳戦でミツアキビリーブが産駒初勝利を挙げている[5]。しかし、ミツアキ牧場閉鎖の関係で、2012年2月に廃用となっている。重賞レースを制しているにもかかわらず功労馬繋養展示事業の対象馬になっておらず、その後の消息は分かっていない。

血統表

ミツアキサイレンス血統サンデーサイレンス系/5代内アウトブリード(血統表の出典)

エイシンサンディ
1993 鹿毛
父の父
*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
父の母
エイシンウイザード
1986 芦毛
*ノーザリー Northern Dancer
Politely
シルバーナイキ *ドン
ケープルビー

ユウコウターナ
1991 黒鹿毛
*ターナボス
1977 鹿毛
Blakeney Hethersett
Windmill Girl
Stilvi Derring-Do
Djerella
母の母
ユウコウルビー
1986 栗毛
*ラディガ Graustark
Celia
ユウコウ St.Paddy
*インディアナウェイ F-No.9-h
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出典

外部リンク

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