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九ヶ錦坦平
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九ヶ錦 坦平(くがにしき たんぺい、1913年5月15日 - 1976年11月1日)は、東京府東京市(現:東京都台東区)出身で朝日山部屋(入門時は井筒部屋)に所属した大相撲力士。本名は細山 幸次郎(ほそやま こうじろう)。最高位は東前頭3枚目。
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来歴
1913年5月15日に東京府東京市(現:東京都台東区)で生まれる。次第に力士を志すようになると、当時大関だった豊國福馬を頼って井筒部屋へ入門、1930年5月場所において初土俵を踏んだ。豊國が現役引退後に九重部屋を創立させると一緒に移籍し、幕下昇進後の1933年限りで師匠・九重(豊國)が廃業すると朝日山部屋へ再移籍した。四股名は豊國が当初名乗っていた「陸錦(くがにしき)」としたが、「りくにしき」としか読んでくれなかったというので[1]。、途中から「九ヶ錦」に改めた。
番付に名前が記載されるまで2年を要し、十両昇進は1938年5月場所と決して早くなかった。その原因の一つに受け身相撲があり、受け身かつ半身になることが多く、それが中堅どころで終始する一因ともなった。それでも1940年1月場所において新入幕を果たすと、それから約8年もの長きに渡って幕内力士として活躍した。現在なら8年以上に渡って幕内を維持し続ける力士は多数存在するものの、当時は第二次世界大戦による食料難もあって5年以上維持する力士は三役以上または横綱ぐらいしかおらず、平幕力士では非常に稀だった。
取り口としては、左手で相手の廻しをつかむと、上手でも下手でも相手の隙をうかがって攻めるのを得意とし、投げを打って寄っていく呼吸がうまかった[1]。
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主な成績
場所別成績
要約
視点
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝の数。
※他に大ノ海と九州山に、引分が1つある。
改名歴
- 細山 幸次郎(ほそやま こうじろう):1930年5月場所-1932年5月場所
- 豊泉 幸一郎(とよいずみ# こういちろう):1932年10月場所-1935年1月場所
- 陸錦 坦平(くがにしき たんぺい):1935年5月場所-1939年1月場所
- 九ヶ錦 坦平(くがにしき たんぺい):1939年5月場所-1943年5月場所
- 九ヶ錦 幸次郎(くがにしき こうじろう):1944年1月場所-1947年11月場所
- 九ヶ錦 坦平(くがにしき たんぺい):1948年5月場所-1949年1月場所
脚注
関連項目
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