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井原慎一朗
日本のプロ野球選手 (1952-) ウィキペディアから
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井原 慎一朗(いはら しんいちろう、1952年1月2日 - )は、愛媛県川之江市(現:四国中央市)出身の元プロ野球選手(投手)。
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経歴
丸亀商では、2年生の1968年に右翼手、控え投手として夏の県大会決勝に進出して3回から登板するが吉村健二や大北敏博のいた高松商に敗れる。秋は四国大会初戦で八幡浜高の藤沢公也と延長14回を投げ合って勝利、続く準決勝では松村憲章を擁する徳島商に敗れたが3位決定戦に勝利して翌1969年はエースとして春の選抜に出場。1回戦で大田高の福間納投手に投げ勝つが、2回戦では尼崎西に敗退。同年夏の大会は北四国大会準決勝で松山商の井上明投手に完封負け、甲子園出場を逸した。なお、松山商は夏の選手権で優勝している。1年下のチームメートに控え投手の宮脇敏がいた。
同年のドラフト5位でヤクルトアトムズへ入団。
1972年に主にリリーフ投手として17試合に登板するが結果を出せず、その後は二軍暮らしが続く。
1975年は開幕から調子をあげ、安田猛に次ぐ22試合に先発、7勝を記録した。
1977年には中継ぎとして起用される。
1978年は抑えに回って10勝4セーブを挙げ、ヤクルトのリーグ初優勝に貢献した。同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズは4試合にリリーフとして登板、第5戦では梶間健一をリリーフし3回を好投、勝利投手となっている。
1981年には先発に復帰して9勝をあげるが、その後は徐々に成績を落とす。
1984年4月の試合中に肩を痛めて以降、右肩痛に悩まされるようになり、同年限りで現役引退した[2]。
引退後は東京都内の鉄鋼商社であるサンプロダクツに勤務した[1]。 2017年時点では、ヤクルト(国鉄・サンケイを含む)OBとヤクルト本社により設立されたNPO法人「つばめスポーツ振興協会」の理事長を務める[3]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- 月間MVP:1回(1978年6月)
記録
- 投手記録
- 初登板:1970年10月6日、対中日ドラゴンズ22回戦(中日スタヂアム)、7回裏に5番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初奪三振:同上、7回裏に水谷寿伸から
- 初先発:1970年10月25日、対大洋ホエールズ24回戦(川崎球場)、4回3失点で敗戦投手
- 初勝利:1972年10月7日、対広島東洋カープ24回戦(広島市民球場)、5回裏に3番手で救援登板・完了、5回無失点
- 初先発勝利:1974年10月14日、対大洋ホエールズ24回戦(川崎球場)、7回1失点
- 初完投勝利・初完封勝利:1975年4月16日、対中日ドラゴンズ5回戦(明治神宮野球場)
- 初セーブ:1977年4月8日、対大洋ホエールズ1回戦(川崎球場)、6回裏1死に2番手で救援登板・完了、3回2/3を無失点
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:2回(1978年、1981年)
背番号
- 26 (1970年 - 1984年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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