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1969年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)

1969年に日本で行われたプロ野球ドラフト会議 ウィキペディアから

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1969年度新人選手選択会議(1969ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)は1969年に行われた第5回のプロ野球ドラフト会議である。

概要 ドラフト概要, 開催日 ...

概要

  • 1969年11月20日東京・日比谷日生会館において開催された。
  • 予備抽選で選択指名順を決定し、1位・3位・5位などの奇数順位の指名順は予備抽選の1番→12番、2位・4位・6位などの偶数順位の指名順は奇数順位とは逆に予備抽選の12番→1番に遡る選択指名順を取った。
  • 予備抽選の結果は中日 - 阪神 - 大洋 - 南海 - 西鉄 - 近鉄 - 東映 - 広島 - アトムズ - ロッテ - 巨人 - 阪急
  • 指名選手数は無制限
  • 日本のプロ野球を経ずに米国の野球機構に所属する日本人選手はドラフトの対象となることが、また、前年の巨人などによる新浦壽夫争奪戦を踏まえ、「新人選手」の定義に「日本の中学校、高等学校、あるいは大学に在学する(選手)」を加え、外国籍であることが、直ちにドラフト対象外となる理由にはならないことが、それぞれこの時に明文化されている。
  • この年は早稲田大学谷沢健一荒川堯夏の甲子園初の決勝戦再試合を投げぬき人気となった青森・三沢高太田幸司が注目選手とされた。谷沢は予備抽選1番の中日、荒川は3番の大洋、太田は6番の近鉄がそれぞれ1位指名した。2番の阪神は同年の全日本大学野球選手権大会で優勝した東海大学のエース・上田二朗を指名した。
  • 荒川は巨人・ヤクルトを希望球団としていたため、大洋への入団を拒否。翌年秋、交渉権失効寸前にヤクルトへのトレードを前提に一旦大洋へ入団。直後に金銭トレードによりヤクルトへの入団を果たしたが、この経緯で荒川事件が発生することになる[1]
  • なお大洋はドラフト史上において、指名選手が全員入団した初めての球団となった。
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球団別選択選手

中日ドラゴンズ

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阪神タイガース

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大洋ホエールズ

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南海ホークス

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西鉄ライオンズ

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近鉄バファローズ

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東映フライヤーズ

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広島東洋カープ

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アトムズ

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ロッテオリオンズ

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読売ジャイアンツ

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阪急ブレーブス

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脚注

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