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和田光司

日本の歌手 (1974-2016) ウィキペディアから

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和田 光司(わだ こうじ、1974年1月29日 - 2016年4月3日)は、日本男性歌手。京都府福知山市出身。身長175cm血液型B型

概要 和田 光司, 別名 ...

病気の療養による2度の活動休止を経て歌手復帰を果たす姿から、デビュー曲のタイトルにかけて不死蝶のアニソンシンガーと呼ばれていた[1]

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来歴

要約
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1999年4月、テレビアニメ『デジモンアドベンチャー』(フジテレビ系)の主題歌「Butter-Fly」でメジャーデビュー。同曲はオリコンチャート47位にランクイン[2]し、自身の代表作となった。これがきっかけでデジモンシリーズでは『デジモンフロンティア』(2002年)まで4年連続で主題歌を歌唱し、以降のシリーズにも継続して参加していた。

2000年にはテレビアニメ『トランスフォーマー カーロボット』で主題歌「炎のオーバードライブ~カーロボットサイバトロン~」を担当。

2001年12月、ファーストアルバム「all of my mind」をリリース。

2003年、上咽頭がんを患っていることが発覚。「5年後の生存率は40%」と医師より宣告され、同年4月に開催された"We Love DiGiMONMUSiC お台場メモリアルコンサート2003-春-"のライブをもって活動休止する[3]

2005年、療養から復帰。手術や放射線治療により一時は声を失った[4]が、声が出るようになったため、ライブなどの活動を再開した。

2006年11月、テレビアニメ『デジモンセイバーズ』の主題歌「ヒラリ」でメジャー復帰を果たす。

2007年からはブラジルを中心に海外のアニメ関係のライブイベントへの参加を始めた。同年2月にはベストセレクションアルバム「The Best Selection~Welcome Back!」をリリース。

2009年、メジャーデビュー10周年を記念して「Butter-Fly ~Strong Version~」をリリース。翌年にはテレビアニメ『デジモンクロスウォーズ』の挿入歌を担当した。

2010年、声優・歌手の前田愛とユニット“KALEIDO☆SCOPE”を結成し、ユニット活動を開始。

2011年、癌の再発が発覚したため同年10月に再び治療専念を理由に活動休止を発表[1]

2013年10月3日、2年振りに活動を再開することをブログ・Twitter[5]にて報告。後日、YouTubeにメッセージ動画を公開[6]。11月のソロライブで復帰を果たした[7]

2014年1月付でSOLID VOXに移籍。8月、Animelo Summer Liveに出演[8]。10月にはデビュー15周年を記念したソロライブを開催。

2015年3月、ミニアルバム「re-fly」をリリース。7月にはソロライブが予定されていたが、6月に体調不良となり、以降のライブやイベントへの出演が取り止めとなった。11月上映のOVA作品『デジモンアドベンチャー tri.』では主題歌「Butter-Fly~tri.Version~」を担当。この曲が最後のレコーディング曲となった。

2016年4月3日早朝、上咽頭がんにより死去[9]42歳没。葬儀は近親者による密葬。生涯独身だった。同月26日には恵比寿LIQUIDROOMにて「和田光司 お別れの会」が執り行われた[10]

2018年8月30日、Zepp Tokyoにて、“和田光司 三回忌追悼ライブ「不死蝶(バタフライ)よ永遠に」-We Love DiGiMONMUSiC-”と題した追悼ライブが行われた。宮崎歩、AiMらが出演[11]

2025年1月5日、Zepp DiverCity TOKYOにてデビュー25周年企画ライブ“和田光司トリビュートライブ2025~不死蝶(バタフライ)よ永遠に~”が行われた[12]

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人物

ギターを購入して歌い始めた頃は、専らバラードを歌っており、「Butter-Fly」はほぼ初めて歌うロックであった[13]

デジモンアニメシリーズではすべての作品に歌唱で参加しており、「仕事の8割はデジモン絡み」[14]「デジモンシンガー」とも言われている。

独特の掠れた歌声を持つ。治療で喉を痛めたことにより復帰後は歌声が変わったという指摘もあったが、本人は「(復帰後の)ちょっとがらっとした声の方が、自分が好きな声に近づいている」「僕としては、自分にとって理想の声を得られたという思いがあります」と語っている[4]

2度目の休養の際は、医師から完治と通告された直後の再発であったためにショックは大きかったという[4]。「このまま引退してもいい」というほど歌う気力を失っていたが、知り合いに「使命感で歌い続けるのではなく、歌える時に歌って、歌えなくなったらまた休めばいいじゃない」と言われたことにより考えを改め、再び歌手活動を行う事を決意した[15][16]

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ディスコグラフィ

要約
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シングル

インディーズ

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メジャー

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映像作品

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企画盤(コラボレーション等)

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アルバム

フルアルバム

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ミニアルバム

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ベストアルバム

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トリビュートアルバム

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参加作品

上記シングル、アルバム未収録の歌唱楽曲のみ記載。

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出演作品

提供楽曲

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タイアップ

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脚注

外部リンク

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