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品川徹

日本の俳優 ウィキペディアから

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品川 徹(しながわ とおる、1935年12月14日[2][1] - )は、日本男性俳優声優北海道旭川市出身[2]ノックアウト所属[2]

概要 しながわ とおる 品川 徹, 本名 ...
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来歴

幼少期は勉強が嫌いな子供で、学校から家に帰っても遊んでばかりだった[4]。内気でシャイであったが、家の中では威張っていたことから内弁慶だった[4]

勉強が嫌いで高校に進学せず、家具屋に入り修業をしていた[4]。1年間、カンナのかけ方や刃の研ぎ方やノコの使い方を教えてもらい、職業補導所で簡単なものを作らせてもらえた[4]。その後、兄弟子が5人いる町の工場で2年半くらい働いていた[4]。下駄箱を作ったり、北海道独特の木目模様を出す技法を使ったタンスを作ったりもしていたが、飽きて嫌になり辞めた[4]。その後は「もう少し勉強しよう」と思い、定時制高校に進学して4年間通う[4]。「人前に出ていくのが恥ずかしいという自分の性格を克服しよう」と思い、演劇部に所属[4]。その時に演劇に取り付かれてしまい、「俺は役者になりたい!」と決意し北海道から上京[4]

舞台芸術学院で3年間学び、同時に俳優座の養成所も受けていた[4]。小説が好きで、色々な作家の本を読んでいたが「作家が書くような綺麗で気の利いたものを書かないといけない」と思い込んでいたところがあり、作文が書けなかった[4]。試験では、話し方やパントマイムなど色々なことをしていたが、作文だけが書けず白紙で出してしまい、結果は落選[4]

1962年に舞台芸術学院を卒業し、舞台芸術学院で演技基礎の手ほどきを受けていた演出家の程島武夫が旗揚げしていた劇団自由劇場に誘われて入団[2][4]

29、30歳の頃に色々な劇団を渡り歩いていた時、当時程島の助手をしていた太田省吾に出会う[4]

1967年常田富士男、太田省吾ら演劇企画集団66に参加[2]

1968年、太田省吾らと劇団転形劇場の設立に参加。1988年に劇団転形劇場解散[2]

以降、舞台映画テレビ番組と幅広く活躍している[2]

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人物

太田省吾作・演出の舞台に出演しており、太田とは16年間、転形劇場で一緒に多数の舞台をして、海外の多くの演劇祭にも参加[4]。転形劇場の解散後も太田は年に1回くらい劇を作っていたこともあり、品川らもそれに出演していた[4]。太田がいなかったら役者としての品川徹は存在していなかったと語る[4]

他に品川にとって刺激を受けた人物として、品川が出演していた『この空の花 長岡花火物語』、『野のなななのか』の監督を務めていた大林宣彦を挙げている[4]

俳優になっていなかったら「指揮者」と語る[4]。子供の頃はテレビもなく、上京して演劇の学校に入学してもテレビは買えず、30歳を過ぎてからようやく買った[4]。音楽は何も勉強したことがなく、音符も読めなかったが、テレビで指揮者を見て、「すっごいかっこいいな」と思った[4]クラシック音楽が好きで、LP盤のレコードは何枚も持っており、かつては4本足のついたステレオでよくクラシックを聴いていたという[4]

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出演作品

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

テレビ朝日

テレビ東京

WOWOW

その他

映画

舞台

Webドラマ

テレビアニメ

OVA

ゲーム

ドラマCD

吹き替え

映画(吹き替え)

ドラマ(吹き替え)

アニメ(吹き替え)

CM

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受賞歴

2014年度
2015年度

脚注

外部リンク

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