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増巳山豪
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増巳山 豪(ますみやま たけし、1922年1月17日 - 1995年5月11日)は、和歌山県西牟婁郡(現・東牟婁郡)串本町出身で出羽海部屋(入門時は三保ヶ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は石谷 昌治(いしや まさはる)。身長182cm、体重99kg。引退後は、年寄・阿武松や同・待乳山として後進の指導に努めた。
来歴・人物
小学校卒業後は神戸市内の企業に勤めていたが、16歳の時に上京し、三保ヶ関部屋へ入門。1939年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、故郷の近くの名勝である熊野灘から1字を取った「熊ノ浦」(後、「秀ノ海」を経て「増巳山」へ改名している)。
1944年5月、幕下にいた時に召集され、兵役に就く。その間、1946年5月に師匠の8代三保ヶ関(元十両4・滝ノ海)が亡くなり、それに伴って弟子達は出羽海部屋に預けられた。そのため、帰還した時には、出羽海部屋の所属となっていた。
1949年1月、新十両に昇進。1950年1月場所では13勝2敗と大勝ちして十両優勝を飾り、翌5月場所で新入幕を果たした。この場所から、兄弟子であった元大関・増位山の三保ヶ関親方(9代目)が出羽海部屋から独立して三保ヶ関部屋を再興したため、4年ぶりに同部屋へ戻る事となった。
突っ張りと叩きを主な武器としたが、幕内上位には上がれず、最高位は1950年9月場所に於いての西前頭13枚目に留まった。幕内を8場所連続保ったあと、1953年1月場所では十両に陥落し、その後は1場所だけ再入幕した。
以降、1958年9月場所まで十両に在り、十両在位は通算29場所に及んだ。
同年11月場所では幕下に落ちて初日より休場し、場所後、36歳で引退。
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主な戦績
- 現役在位:54場所
- 通算成績:321勝343敗1分12休 勝率.483
- 幕内在位:9場所
- 幕内成績:54勝81敗 勝率.400
場所別成績
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝の数。
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各段優勝
- 十両優勝:1回(1950年1月場所=13勝2敗)
改名歴
- 熊ノ浦(くまのうら、1940年1月場所)
- 秀ノ海(ひでのうみ、1940年5月場所-1947年11月場所)
- 増巳山(ますみやま、1948年5月場所-1958年11月場所)
年寄変遷
- 阿武松(おうのまつ、1958年11月-1960年3月)
- 待乳山(まつちやま、1960年3月-1987年1月)
参考文献
- 『全幕内力士 個人別大相撲星取大鑑』(著者:小池謙二、発行元:医聖社)
- 『戦後新入幕力士物語 第1巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社)
関連項目
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